「
稽古して 技が滑りて 嘲笑う わざとらしさは あざとらしさw」、「スカートを 覗くカースト ストーカー 何を狙うの 何でだろうね」、「風が吹き 桶屋儲かる ことあれど 名画傷つけ 脱炭素ならず」、「植物を 日向に出して 脱炭素 緑増やして 乞う豪勢」

今夜「風風の湯」のスタンプ・カードが満印になった。カードの表側に印刷されるキャラクターは横長にひしゃげられ、そのことを先月筆者は嵯峨のFさんがフロントでカードを出す際に気づいて指摘したが、Fさんはその時に初めて気がついたと言った。関心のないことに対しては誰でもそうだ。そして指摘されても認めない人はいる。特に高齢者はそうだ。だが関心のないことであるので、記憶が間違っていても恥じ入らない。どうでもいいことに対しては誰でもそうだ。ある人はギャンブルや金儲けに血眼になり、ある人は若い女のことを始終考えて行動する。自分の考えの正しさに信念を持ち、それを捨てねばならないと迫られると死も覚悟する人がある。それはさておき、先週ネットで東大の准教授による興味深い文章を読んだ。冒頭にかつてモナリザの絵画が日本で展示された時、スプレーか何かを吹き付けようとした女性に対して土方定一が発言を引用していたことに目を留めた。同様の名画を汚そうという事件は世界で続出しているが、それは二酸化炭素を削減して地球温暖化を至急防げという主張のためだ。地球がもっと高温になれば価値ある名画に何の意味があるのかという彼らの主張に同意するのがその准教授で、土方の語った「やり方はいくらでもあるのに直接行動に出るのは礼節がなく、精神が浅い」との言葉を否定していた。筆者は土方の考えに賛同し、准教授の立場は理解出来ない。昨夜近所のある人と久しぶりに語り合い、芸術の話になった。その人は筆者より10歳年長で美術に関心がそれなりにある。その人は大学で教える立場にある者でも芸術に全く無関心な人もいると意見したが、そのとおりで、古い土方の言葉を引用して自論を展開した准教授もその部類だろう。だいたい有名大学卒を筆者は尊敬も信頼も全くしない。試験勉強が得意であっただけの要領のよさに優れているだけで、それには無関係の術には憎悪を抱いている。自分はそういうものから疎外されていると思うのだろう。簡単に言えば精神が浅い。名画を汚そうとするのは百年前のダダ的行為だが、ダダの最初の行為は名を遺そうとしてギリシア時代に神殿を燃やしたヘロストラトスともされ、彼は死刑になった。今回はゴッホの『ひまわり』がガラスで覆われていることを知ってのトマト・スープのぶちまけで、ガラスがなければどのような刑になるのか。世の中にはどうにもならないことがある。地震など天災がそうで、地球温暖化もどこまで人間が原因かどうか。今年400年ぶりの干ばつとなった地域があると聞くと、400年前に地球温暖化があってその後収まったことになるのではないか。
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