「
べったりと べったら漬けが 好きになり 出鱈目ったら しゃべったら駄目」、「思い出に 生きて重いや 明日を向き それに疲れて 認知の病」、「継続は 力なりとは 言うけれど 力なくして 継続もなし」、「力とは 刀に借りる ことでなし 力なき者 刃物に頼り」
本作はマネージャーのハーブ・コーエンが特別に手配して2分の1インチ幅で8トラックのテープで録音した音源をメインにし、それで足りない箇所を4分の1インチの2トラック・テープを使ったという。後者を「NAGRA」と呼び、ザッパが普段使っていたそうだ。マネージャーが前者で録音したのはユーゴスラヴィアという当時ロック・ミュージシャンが入国して演奏出来る珍しい機会であったからだろう。本作は当時のメンバーでは唯一のマルチ・トラック録音されたテープを使ったものであるというが、録音機器は当時に限らず日進月歩で、ザッパが録音トラック数の多さを求めていたことは生前に発売されたアルバムに記される情報や写真からもわかる。本作のメンバーからノーマ・ベルが抜けた5人体制の76年期のアルバムとして2002年発売の『FZ:OZ』は、ジョー・トラヴァースの書くところによれば1インチの8トラックによってライヴ録音されたもので、日本公演も同様の録音機材を持ち込んだと考えてよい。それゆえにアルバム『ズート・アリュアズ』に大阪での「ブラック・ナプキンズ」が収録され、その音質はとてもよい。となると本作はテープ幅が半分の8トラックであるから、単純に考えて音質のよさは半分になる。それでも『FZ:OZ』並みに思えるのはCD製作技術の進歩か。またこれは疑問だが、2002年発売の『FZ:OZ』は現在の技術を使えばもっと音質がよくなるのだろうか。ここ20年の技術的進歩はあったはずで、そうなるといずれ『FZ:OZ』もミキシングを変えるなどして最発売されるかもしれない。『FZ:OZ』の話になったのでついでに書いておく。同作は紙ジャケットで、ジャケット裏にオーストラリアの地図が印刷され、演奏会場となったシドニーが星印で位置表示されている。本作は紙ジャケットでないのが残念だが、ジャケット裏にユーゴスラヴィアの地図とザグレブとリュブリャナの位置がやはり星印で示され、『FZ:OZ』のシリーズものという位置づけであることがわかる。そのことから推して、日本公演盤がたとえばCD2枚組で発売されるならば、ジャケ裏に日本の地図と東京、大阪、京都の3都市が星印で位置表示される。実現するかどうかわからないその『ザッパ・イン・ジャパン』を思うのは、演奏日時順に本作、『FZ:OZ』の次に同作を置くと、ザッパが短期の間に即興を主体とする曲においてどのように新曲として独立させ得る演奏を見つけて行ったか、またそのベスト・テイクはどれか、またそれをザッパが発表したかしなかったかがわかるからだ。
本作のブックレットにジョー・トラヴァースは2008年発売の『ジョーのメナージュ』が本作より20日前の演奏である75年11月1日のヴァージニア州のウィリアム・バーグでの演奏を収めると書く。今日の最初の写真の左端中央にあるように、同作CDトレイ底にプロペラ機を見上げる男の写真がある。この飛行機の意味が本作のブックレットの説明からわかる。当時ザッパは初めてプライヴェイトの飛行機を所有した。メンバー全員がファースト・クラスを利用するより4倍高くついたそうだが、ザッパは飛行機の中でメンバーに休んでもらいたかった。メンバー以外にマネージャーやザッパの妻、それに録音技師も同乗し、本作ではデイヴ・モアが飛行機専属のアテンダントの女性による食事サーヴィスなどが適切であったことへの感動を発言している。ザッパはグレイハンドそっくりのバスも所有し、それもツアー中の移動に使っていたことが書かれる。なお専用飛行機でユーゴスラヴィアに飛ぶことは出来ず、テリー・ボージオによれば、シカゴまで飛んでそこから乗り換えてフランクフルト、そして同地からJALを使ってザグレブまで飛んだというが、これが通訳のジョークと括弧書きされる。JALに乗ったのが冗談として、そのどこが面白いのかわからない。話を戻して、『ジョーのメナージュ』は当時のツアーの半ばの50分ほどを収録する。最長曲は「チャンガの復讐」で約14分、この後にテリーのドラム・ソロが7分弱続き、両曲合わせて21分だ。75,6年のツアーでは「チャンガの復讐」は各メンバーのソロを順に聞かせるために用意され、最後に必ずテリーのドラム・ソロがあって、時にそのソロが「チャンガ」に包含されて表示されることがあった。『FZ:OZ』ではそうなっていて、「チャンガ」は約16分だ。本作ではドラム・ソロは別曲として分離されるが、「チャンガ」とつなげば約17分になって、だいたいどの会場でも20分前後演奏されたことがわかる。ついでに書くと、同ドラム・ソロの後にギター・ソロ曲「ズート・アリュアズ」が必ず演奏され、「チャンガ」でのギター・ソロとともにザッパのギター演奏の修練の場となった。「ズート」は独立した曲名であるので、当時の新曲「ブラック・ナプキンズ」とともにほとんど完成の域にあったが、ややこしいことを言えば76年の「ズート」の演奏は最後にセイグェイで「シップ・アホイ」が演奏されることがあって、『FZ:OZ』ではそうなっている。日本公演でもそのように演奏され、大阪公演の「シップ・アホイ」が独立曲として後年の3枚組通販ギターLPに収録された。さらにややこしいことを書いておくと、「ズート」に続けて気分が乗れば演奏された「シップ・アホイ」はさらに気分が乗った時は「ミズ・ピンキー」のギター・ソロ・ヴァージョンが演奏された。その代表的な名演は京大西部講堂でのヴァージョンだ。
ただしそのヴァージョンを含めてザッパのギター・ソロの「ミズ・ピンキー」はまだCD化されていない。そこで日本公演盤が発売されるならば、ぜひ同曲を収めてほしいと筆者は昔から思い続けている。このようにザッパの名演は全部発売されているようでいてそうではなく、それゆえ新譜を買い続けることになる。話を戻す。『メナージュ』の「チャンガ」は最初に珍しくノーマ・ベルのヴォーカルが1分ほどある。続く2分半ほどのサックスはたぶんナポレオンだろう。続けてアンドレ・ルイスによるシンセサイザー・ソロが4分近く続き、次にザッパがリズム・ギター・ソロを前置きして2分半演奏する。このリズム・ギター・ソロは76年録音の「ジ・オーシャン・イズ・ジ・アルティメイト・ソリューション」を思い起こさせる。思い出したのでついでに書いておく。本作でザッパは「ヴォアラ!」と叫ぶ場面がある。ザッパは74年にフランスで演奏したので、その時にこの言葉を覚えたとして、「ZOOT ALLURES」がフランス語の「ZUT ALORS」(畜生!)に通ずることを同じ時期に知り、それで新曲のギター・ソロを「ズート・アリュアズ」と命名したのではないか。また話を戻す。本作の「チャンガ」は最初にナポレオンのテナー・サックス、次にノーマ・ベルのアルト・サックス、アンドレのキーボード、そしてザッパのギター・ソロが8分ほど演奏され、『メナージュ』の同曲とはかなり違う。ブックレットにジョーは本作では後年のギター・ソロ曲「ファイヴ・ファイヴ・ファイヴ」が演奏されると書くが、その冒頭の5拍子のリフは本作の「チャンガ」でザッパが奏でる。つまり本作の「チャンガ」のギター・ソロは強いて言えば「ファイヴ・ファイヴ・ファイヴ」の最初期のヴァージョンだが、実際はその主題を含め全く別の曲で、ザッパが「チャンガ」で割り当てた自分の出番のソロでギター・ソロをさまざまに試行錯誤していたことがわかる。同じことはひとりでの練習でも可能だが、大勢の観客を前にしての真剣勝負では却って才能が閃きやすいと思っていたのだろう。大勢の客で思い出した。ブックレットにはアメリカでは2500から3000人の客数がヨーロッパでは7500から9000人になったという。それでザッパはヨーロッパ・ツアーをよく敢行した。ユーゴスラヴィアでの動員客数は書かれないが、鄙びた小都市であるのでアメリカより少々多めであったと想像する。さて今日もブックレットの見開き写真を載せるが、ジョン・ルディアックとゲイルが撮った。前者は現地で雇ったカメラマンではないだろうか。今日の最初の写真中央上に赤で大きく1975と書かれる写真に写る顔面マスクのロイ・エストラーダは、同じ格好で本作の写真にも登場する。これは「イリノイの浣腸強盗」の演奏中であるのは間違いない。そのロイは未成年女性と性行為した罪で懲役刑を受けて獄中にいる。
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