「
袈裟憎し 坊さんやめて 俗人に 今朝は爽やか 頭に毛生え」、「古稀を越え 昔語りに 屁をこきて 孫まごつかせ ギャグで虐待」、「知恵絞り 脳内汗に おしぼりを 能ない人の 焦りあくせく」、「身の丈に 合わぬ服着て 福来るか 大は小兼ね 小は小金に」
一昨日アマゾンで12月16日発売のザッパのCD6枚組の新譜『WAKA/WAZOO』を予約注文した。円安なので輸入盤は割高で、どれほどの価格になるのか心配したが、9738円で12月16日の到着予定だ。一方9月6日に注文した2枚組CD『ZAPPA‘75』は先月14日に遅延メールが届いた。いつ届くかわからなくても、待つしかない。ところが昨日アマゾンから発送メールがあって、今朝届いた。早速一度通して聴き、ブックレットも全部読み、今二度目を聴きながらこれを書いている。ブックレットのすべての写真も投稿用に加工し、全3、4回で投稿するつもりでいるが、さてあまり書くこともない気がしている。その最大の理由はほぼ同じメンバーでオーストラリアのシドニーでの76年1月6日のライヴを収録した2枚組『FZ:OZ』が20年前に発売済みであることと、その直後の2月の日本公演の4か所での演奏は海賊盤やYouTubeですべて聴くことが可能であるからだ。本作の新鮮味はそれら後のツアーには参加しなかった若い黒人女性サックス奏者のノーマ・ベルの即興演奏とヴォーカルが含まれることだ。もっとも、ステージごとに同じ曲でも異なる演奏を心がけたザッパで、『FZ:OZ』や日本公演と本作を聴き比べると、ザッパの工夫の跡をたどることが出来る。ザッパ没後の大量のアルバムの発売はすべてその点に価値があると言ってよく、近年成り立てのザッパ・ファンはザッパが生存中に発売したアルバムをまずすべて聴き込むことだ。それだけでも大きな労力と費用を要する。アルバム50周年記念はビートルズやジェスロ・タルなど60年代にデビューしたロック・ミュージシャンは熱心に考慮して1万円以上もする特性のアルバムを次々に発売している。ザッパはそういう時代が来ることを見越していたかもしれない。どの演奏も出来る限り録音しておけば、それらがいずれ何かの役に立つ。その最大の結果は没後に発売され続けているアルバム群だ。それがどこまで続くのかファンは見当がつかない。ビートルズはジョージ・マーティンの息子が新たなミキシングをしていて、それは「手を変え、品を変え」の最たる例だ。本作もザッパが保存していたテープをジョー・トラヴァースの監修下、クレイグ・パーカー・アダムスが数年前からリミックスを担当し、現在のリスナーに馴染みやすい音質が意図されている。ということは、同じテープを別人がリミックス出来るから、ビートルズの比ではない無限のアルバムが作り得る。たぶん1世紀先でもザッパの新譜は発売されている。そのようなことは以前にも書いた。
本作は社会主義国家でソ連と関係が深かった旧ユーゴスラヴィアの自由主義陣営からザッパのバンドが招聘され、75年11月21日と22日の2日、二度の演奏を収録し、その録音をいいとこ取りしてつなぎ合わせたものだ。ザッパ以前に同国でサンタナやアース・ウィンド・アンド・ファイアーが演奏したというから、70年代半ばにベルリンの壁崩壊の予兆は東欧で少しずつ進んでいたと見てよい。ともかく本作はマザーズが唯一東欧で演奏した例で、アジア唯一は日本公演であるから、70年代半ばのザッパは相変わらず、あるいは以前に増して多忙であった。21日はザグレブ、22日はリュブリャナで演奏し、両方の都市は100キロほど離れ、リュブリャナはイタリアまで50キロの距離にある。どちらも小さな都市で、前者は東西4キロほど、後者は2キロほどで、演奏会場はアイスホッケー場の氷を覆ったという。11月下旬であるのでかなり寒かったろう。その点は日本公演も同じであった。東欧での演奏は楽器も録音機材もザッパが用意せねば満足な結果が得られない。その労苦を慮ってか、本作のブックレットにはジョーの前書きに次いでジョーによる当時の録音技師デイヴィ・モアへのインタヴューがある。この半分ほどの内容は録音テープや機材の専門的なことで、筆者にはあまり理解出来ない、あるいは本作をまとめ上げるに当たってのジョーの苦労が何となくわかるだけだが、本作が海賊盤とは桁違いにていねいに作り上げられたものであることには気づく。そしてジョーはザッパが生きていればおそらくこうしたであろうという想定にしたがって新譜作りをしていることに思い至る。また本作の音質は大きなステレオで大音量で聴いて初めてまともに伝わるものであって、パソコンのスピーカーで聴くのでは海賊盤と大差ない。またそのことから思うのは、いずれ発売されるはずの日本公演を収める新譜は本作に倣ってCD2枚に4会場からベスト・テイクを選んでまとめたものになる気配だ。というのはYouTubeで4会場の演奏全部が視聴出来る状態であれば、ジョーは音質で勝負するしかない。また本作を聴いて筆者は思いのほか音がよいことに感心しているので、日本公演盤に期待を抱く。ブックレットによればザグレブとリュブリャナは会場の響きが全然違ったという。それで両会場の録音をひとつにまとめ、不自然に聴こえないようにするにはさまざまな工夫が必要であったはずで、そういうことは海賊盤では全く不可能なことだ。本作は8トラックと2トラックで録音されたが、前者はテープ幅が狭く、8トラックのそれぞれを分離し、音を磨き上げるのは大変であったようだ。当時のその録音機の所有者から機材を借り、また付き添ってもらってデジタル化、編集の作業をしたようだが、半世紀経つとすっかり録音機材は変化し、録音テープをいい音で蘇らせるのは大きな手間を要する。
カセットテープ時代にノイズを減らすドルビー・システムというものがあった。本作のブックレットにはザッパはドルビーを嫌い、テレフンケンのものを好んだとある。それがドルビーとどう違うのは筆者にはさっぱりわからないが、録音につきもののノイズをどういう仕組みで減らすのか、またドルビーとテレフンケンとではどう聞こえ方が違うのか、さらにはそのことがアルバムを作る際にどう音の差となって表われるのか、おそらくジョーはそういうことを知っていて、それでザッパがテレフンケンを好んだことに賛成するのだろう。つまりザッパは自作自演のほかにいかに多くのことに気を配っていたか、またそのことがザッパの音楽に滲み出ていることをジョーは暗に言いたいのだろう。これはザッパにより近づいた者だけが感じられ、またそのことをジョーはファンと分かち合いたいために本作で特に技術的な情報を散りばめたのだろう。ただしそういう技術的なことはザッパの音楽を楽しむこととは直接には関係しない。付け加えると、ジョーがそういう専門的な苦労話を書いておきたいのは、ザッパ没後、妻のゲイルが生きている間に新譜をあれこれと作り上げて来て、どのライヴをどういう形でアルバム化することのほかに音質をいかに改良するかという問題が常にあったからだ。ところが本作はふたつのコンサートをつなぎ合わせた不自然さが完全になくなってはいない。急に音が変化する箇所があるのは、基本的に使用したマスター・テープにはない音源を別のテープで補ったからだ。それにテリー・ボージオはふたつのコンサートは同じレパートリーであったと書いているのに、本作のディスク2のボーナス・トラック3曲には「ガソリン・スタンドで働くのは終わりにしろ」があって、これはディスク1全部とディスク2の本編には含まれないので、ザグレブかリュブリャナのいずれかで演奏されたと考えるしかない。同曲をなぜ本編に組み込まなかったのか。というのはボーナスの3曲の2曲が本編とだぶるからで、いずれかのヴァージョンを捨てるに忍びないのでその2曲をボーナスとしてアルバムの最後に収めたと考えられる。この2日の演奏の海賊テープがあるのかどうか調べていないが、観客は4000から5000人であったようで、アメリカのロック・グループが来ることは当時のユーゴスラヴィアの若者には大事件であったはずで、ひとりくらいはカセットを持ち込んで録音したのではないか。おそらく海賊テープが出回っているので、ジョーはふたつのコンサートをつなぎ合わせた。またそこから前述のように日本公演でもCD枚組で発売される可能性が大きい気がする。日本らしさを強調したジャケット・デザイン、ブックレットの写真にして2,3年以内に発売してほしい。ザッパと演奏したメンバーも高齢化ないし死亡しており、後5年の間に代表的なライヴはすべて発売されるべきではないか。
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