「
称えらる ことのなき人 法被着て ハッピーになる 国は栄えり」、「どこまでも 戯れ飛ぶや 連理蝶 生は短し 番継がるる」、「鉢植えで 我慢させるや 松と梅 置き場所変えて 喜ぶかもと」、「駐車場 造って潰す 空き地かな 土を隠して 金を望みて」

昨日は浦上玉堂について書き足りなかったが、あまりの長文では書くのも読むのも疲れる。長ければいいとは限らない。それで今日は締めくくりとして一段落のみ。「白沙村荘」の名称は白川村に因む。東山は嵐山の渡月橋から見ると比叡山を頂点にして南方に向かって凹んでいる。これは長年の風雨で削られたためだ。東山は六甲山系と同じく花崗岩が主体とされ、白沙村荘の北方の北白川地域は墓石の産出地として古くから知られていた。江戸時代から品質のよくない石が多いとされ、もう良質の花崗岩は採り尽くされたのだろう。東山が削られ、花崗岩が白い砂となって川底に堆積したところから白川の名で呼ばれるようになった。この白い砂は京都の禅寺の枯山水に用いられているが、東山が花崗岩でなければ枯山水は別の様相を呈していたかもしれない。「白川村荘」と呼ばずに「白沙村壮」としたのは、中国風に全部音読みにしたかったからか。また「砂」を「沙」にしたところに、「白川」の「川」を意識したようにも思える。さて、先月9月21日、美術館ⅠとⅡを見た後、入館口とは別の場所から外に出た。そこは駐車場で、関雪が生きていた頃は樹木が植わっていたか、駐車スペースはもっと小さかっただろう。現在は大型バスでも停められる。駐車場の東側が「ノアノア」という南国風のレストランで、その命名はゴーギャンのタヒチについての本の題名に因むのではないか。関雪がゴーギャンに関心を抱いていたかどうかはわからないが、パリからタヒチに移住することは全く季節も風土も違う楽園を目指した思い切りのよさを示し、広い庭園を造ることよりもっと過激で、そのことに関雪が感心したことはあり得る。「ノアノア」の東隣りに「はしもと」という和食の店がある。筆者は銀閣寺付近にめったに行かないので周辺に食事処があるのかどうか知らないが、白沙村荘の敷地内のこの2軒の店は外からでも雰囲気がよさそうに見え、遠方から来た人は庭園と美術館の余韻に浸りながら利用するのだろう。筆者らは先を急いでいたこともあって、すぐに市バスに乗った。企画展の内容によるが、次回訪れるればどちらかの店で休憩したい。話を戻して、駐車場に出た時、二匹の揚羽蝶がつかず離れず飛び交っていた。「ノアノア」のとの境界に背の高い垣根があって、それを背景に飛び、あるいは駐車場のアスファルトの表面近く、さらには高さ3メートルに舞い上がり、二匹はそのまま美術館Ⅱの方向に消え去った。庭園内部であれば蝶は安心してランデヴーが出来るし、子孫を残すにも条件がいい。わが家の小さな裏庭でもさまざまな蝶がよく飛来する。それに大きな芋虫もたまに見かける。
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