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●『白沙村荘 橋本関雪記念館』その2
候の 出会う仔猫の 甘え声 素敵に見えて 敵に見つかり」、「見たことの ない花の夢 しばしば見 今朝はその花 激しく踊り」、「庭石を 集めて狭し 裏庭に 主亡くなり 曼殊沙華咲く」、「見られたな 毛虫急いで まっしぐら 吾に触れるな この姿見よ」●『白沙村荘 橋本関雪記念館』その2_d0053294_21541060.jpg 堂本印象美術館は主に建物が印象設計の面白さであるのに対し、白沙村荘は庭に見どころがある。当初は水田で、大正3年(1914)から亡くなるまでの昭和20年(1945)にかけて造営が続けられた。土地は順次買い足して一万平米まで広げ、区画はほぼ東北角を直角とした直角三角形を呈している。一万平米は百メートル角の正方形に匹敵する。敷地の東北角に昨日の最初の上写真の鳥居がある。筆者らは「銀閣寺前」のバス停で降りたが、次のバス停はその交差点を西に折れて「銀閣寺道」で、そこで下車したほうが入館口には近い。バスが「銀閣寺前」を過ぎてやや北に進み、そして西に折れる際に左手に蘇鉄の鉢が見えた。それでバスを降りた後、筆者は家内を白沙村荘の入館口で待たせ、道を戻ってその蘇鉄の写真を撮りに行った。確かに写ったと思ったのに帰宅後に写っていないことがわかった。蘇鉄の次にバスの中から見かけたは前述の石の鳥居だ。そこは白沙村荘の敷地内で、入館してすぐにその近くに行くと、神社はなく、鳥居のみであった。もらったリーフレットの案内図によれば鎌倉時代の「石造八幡宮」とある。関雪は全国の寺社に寄進し、そのお礼としてこうした石造の美術品を贈られた。堂本印象も襖絵や柱絵など、各地の社寺に絵を描いたが、返礼はあったのだろうか。筆者は社寺に描く場合は無料と思っていたが、基本は無料で、それでは具合が悪いと社寺側は思って何かをお返しするのだろう。ところが社寺に絵を寄進したい画家は大勢いるから、社寺側は特に高名な画家に依頼し、そしてしかるべき価値のあるものを返礼として贈るのだろう。鎌倉時代の作となれば社寺としてもそうたくさんあるものではない。ただし白沙村荘に置かれるのであれば、場所が変わっただけで保存は今後も行なわれるから、社寺としては惜しい思いもあまりないかもしれない。庭園に入ってすぐに気づくのは昨日と今日の写真からも明らかなように、大きな自然石、石燈籠、石仏、塔など、石がとても目立つことだ。自然石はどれも山水画に画題にぴったりの面白い形をしていて、関雪のこだわりがよく伝わる。気に入った石をどこにどう置き、そして周囲の植生をどう工夫するか。それは絵画の構図を考えるのと同じようなところがある。つまり造形への独自のこだわりだ。絵画なら燃えやすいが、庭ならば手入れし続ければ千年でも保存出来る。関雪はおそらくそう思って絵画の制作以上に庭を理想的なものにすることに思考の時間を費やしたであろう。死ぬ年まで造営を続けたことは、未完成の部分もあったかもしれない。
●『白沙村荘 橋本関雪記念館』その2_d0053294_21543016.jpg 案内図には庭園に配置される石造美術が12点紹介されている。当日は気づかなかったが、ほとんどが鎌倉時代のものだ。後述するが今日の2枚目下の写真は関雪が画室として使った建物で、その西側に安土桃山時代の「北野大茶湯 利休使用井筒」がある。これは関雪が北野天満宮に絵を寄進したお礼ということになる。では北野天満宮のどこでその作品を見ることが出来るのだろう。もちろん関雪が絵を寄進する際、その社寺にある石造美術品を返礼として狙ってのことではないだろう。しかも寄進はしたが、取り立てて誇るべき返礼がある場合ばかりではなかったと考えれば、関雪は全国のどれほどの社寺に描いたのかと思う。堂本印象の場合は同美術館のパネルに作品図版つきで説明があるが、関雪の場合は白沙村荘内の記念館にそうした説明書きはなく、関雪の画業が不明部分が大きい気がする。さて案内図にしたがって庭園を歩いてほしいと受付で言われた。東北の角近くから入って南下すると昨日の最後の写真下の右端に写る門がある。これは瑞米山と呼び、入館口を入ってすぐ正面、受付人が座っている建物の背後に位置する。白沙村荘の主家(おもや)で、約束のある者のみ入室可能とされる。その門をくぐらずに左に進むとやがて小さな石橋がある。今日の最初の写真上はその橋の上から北を向いた。中央にわずかに水の流れが見える。案内図によれば水は先の石造八幡宮近くの敷地東北角から引いているようだ。小橋をわたると少し南に最初の写真下の茅葺き屋根の門がある。これは小径の名称に因んで「矯々門」と呼ばれる。「矯正」からして「矯」は曲がっているものを直す意味であることはわかる。ところがネットによれば、「無理に曲げる」の意味もある。これは元々曲がっているたとえば牛の角を直線にしようとする行為を指す。「矯々」は水田に土を盛って造った庭園の小径らしい呼び名で、元の畦道を少々曲げて趣のある様子にしたことを指すのではないか。案内図の順路を示す赤い線では、庭園内ではこの小径は唯一直線が長く続くように記される。実際は今日の3枚目上の写真のように、わずかに曲がっていて、無理に曲げたことがわかる。関雪は中国の故事に詳しく、漢文の素養が当時の画家の中では随一と言ってよいほど豊かであった。それで冨田渓仙が賛をした漢詩か題名か忘れたが、関雪はその誤りを侮蔑しながら指摘し、ふたりは京都の東と西の端にいて仲が悪かった。関雪は江戸時代の文人画家の伝統を継ぐには漢詩の才能に長けているのは当然と考えた。戦後からこっち、漢文は無駄であると主張する人が増え、日本画家でも漢文どころか、現代詩でも読まない人があたりまえになっているだろう。そのことから言えば、関雪は古い時代の、言い換えればもう人気のない画家で、渓仙のほうが現代に近いことになる。同郷の仙厓に私淑した渓仙の絵のほうがわかりやすいことは確かだろう。
●『白沙村荘 橋本関雪記念館』その2_d0053294_21545643.jpg 中国との関係がおかしくなっている今ではさらに関雪の漢文に対する素養は無視されがちだ。そうであればまだよいが、日本の画家としてはあるまじき趣味を持っていたと主張する者が出て来ないとも限らない。わからないことを恥じず、逆に相手のせいにする風潮がある時代だ。無知であるのに口だけ達者な者が大いに世間に持て囃され、大金持ちにもなれる今の世の中では、毛沢東時代の紅衛兵のような若者はSNSによってどの国にでも出現しやすいのではないかと時に筆者は思う。それはさておき、今日の3枚目上の写真は芙蓉池南東に架かる石橋近くにある燈籠と石仏で、案内図に記されないところ、由緒はわからないのだろう。3枚目下の写真は芙蓉池に面する存古楼だ。その中央の前にも石燈籠がある。これも鎌倉時代で、「国東燈籠型石幢」とある。珍しいもののようで、石幢(せきどう)には燈籠のような火袋はない。とにかく白沙村荘は至るところに石造物があり、眺めのどこを切り取っても絵になるように変化に富む。4枚目下の写真は芙蓉池南端、橋を東にわたったところにある十三重石塔で、鎌倉時代のものだ。案内図には白沙村荘の有名な写真がある。筆者は長年これを存古楼と思っていたが、1916年の主家上棟式でのものだ。数十人が屋根に上り、さらに同じほどの人が地面に立っている。関雪は1917年から45年の間の大作屏風のほとんどを存古楼の1階の大画室で描いた。池の反射光を主な光源とし、制作は東から陽が上って頭上に来る正午までが勝負ということになる。存古楼に近づくにつれ、ヴァイオリンの音色が大きくなった。バッハの無伴奏のソナタかパルティータで、存古楼1階のガラス襖を開けた箇所から西洋人男性の立ち姿が見えた。生の音はさすがに趣があってよい。やがて日本の唱歌も1曲演奏されたが、彼は練習場としてそこを借りているのか、あるいは白沙村荘が来館客へのサーヴィスとして雇っているのかはわからない。案内図には存古楼は基本的に公開されていると書かれるので、筆者らも靴を脱いで上がることが出来たかもしれない。だが演奏者がいるのでは邪魔してはないないとの思いがはたらき、ほとんど近寄りもしなかった。また芙蓉池から存古楼へ至る橋の上に若いカメラマンがふたりいて、彼らは園内の映像を撮影中で、その邪魔をしてはならないと思い、筆者らは案内図の赤線にしたがって庭園南部を迂回することをすっかり忘れてしまった。そのルートをたどれば芙蓉池の南にある渉月池の東から南を歩き、茶室など三つの建物を見ることになった。今日の3枚目上の写真中央に蓮の葉の向こうに「四阿 如舫亭(あずまや にょほうてい)」が、また3枚目下の写真は茶室の「倚翠亭(いすいてい)」が見える。その双方の建物の裏側を歩いて存古楼の南西角に戻って来るのが正しい道順だ。それで少しは損した気分だが、機会があれば次回は春に訪れたい。
●『白沙村荘 橋本関雪記念館』その2_d0053294_21552873.jpg

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by uuuzen | 2022-10-07 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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