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●『パリを愛した画家たち』
2日に大阪心斎橋大丸で見た。タイトルを見ただけで内容がわかってしまうような展覧会で、ついでがなければ行くことはなかった。先日見た『ポーラ美術館の印象派コレクション展』と大同小異か、以下の内容だと踏んでいた。



●『パリを愛した画家たち』_d0053294_1215173.jpg会場に入ってまず、どの所蔵先から借りて来たものかを説明パネルで確認した。するとそのことはどこにも書かれておらず、「協力・健康保健南海病院」だけが小さく書かれていた。ひょっとすればその病院か関連先が所有して絵なのかもしれない。日本には印象派やそれ以降のフランス絵画のコレクションがかなりあるので、そうであっても別に驚くに当たらない。そして、一部の人が見るよりもこうして百貨店で展覧されると多くの人が見やすいので、どんどんと紹介してほしい。だが、鶏と卵の話ではないが、みんなが印象派やエコード・ド・パリの絵画を愛するから金持ち連中がせっせと買うのか、金持ちが買って展覧会を頻繁に開催するから価値あるものだと思ってみんなが見るのか、本当の事情は誰にもよくわからない。昨日あるところで人と話したが、たとえばせっかく有名な日本画家の展覧会を美術館が開催しても、あまり一般に馴染みのない画家であればほとんど人が入らないと言う。それでもしその画家の研究家、愛好家が欧米にいたとして、そういう人々がまだ価格の安い間に日本で買い集め、自分のコレクションを本にまとめるか展覧会などで紹介するようになって初めて日本でもその画家のブームが起きる。外国からお墨つきをもらわないと自信が持てないのが日本人の習性と言ってよいが、一部の目利きはそんな外人が目をつける前から価値をよく知っている。だが、一部の人が頑張って公立美術館を動かして展覧会を開いても、関心のあるわずかな人しか訪れず、しかも一過性の出来事としてすぐに忘れ去られる。また、日本の美術愛好家の中には欧米の美術には詳しくても、日本美術には関心をあまり抱かない人も多い。愛好家の中でお金がふんだんにある人が趣味、そして投機の目的で印象派などの絵画を収集するが、まるでそうした絵画を多く所有する国家が一等国であるかのような錯覚を抱いているのではないか。印象派絵画の価値が定まったものであるかどうかは今後数百年の歴史を経ないことには何とも言えないはずだが、それよりも経済大国が常にその時の自国の芸術を世界的に価値あるものにして来たことを思えば、日本は全く落第と言わざるを得ず、金持ちになっただけで、それに見合う世界に誇る芸術家やその運動、一派のようなものを何ら生み出していない。一方で自国の芸術の価値を定められないままに欧米のコレクターがせっせと来日して買い漁って行き、気づいた時には優品はみんな持って行かれていて、その代わりに2、3流の印象派絵画だけが残るという具合だ。
 欧米のあらゆる文化を吸収する過程で絵画もまた見習えということで、日本でのみ通ずる画家たちを多く生んで来た。だが、江戸時代までの絵師の作品が欧米で評価され続けている割りにこの1世紀ほどの間に描かれた作品で欧米人が熱心にほしがるのはごくわずかであろう。そしてそんな画家は江戸時代の伝統を強く継ぎながら革新的な仕事をした場合に限る。日本は日本なりの価値基準があって、日本の明治以降の画家の作品が欧米で何ら関心を惹かず価格もつかなくてもよいという意見がある。これはある程度筆者も賛成だが、そうした画家たちの海外に向けての積極的な紹介や、時代に則した芸術としてどういう価値があるかの盛んな論が立てられる必要がある。欧米にない日本独自のものをと考えて作品を作る人を冷やかに見る作家が日本には多いし、そんな人は欧米人と全く同じ画材やモチーフを使用してなお日本的であることが本当は国際的評価を得ると自信ありげに言う。実際ジャパネスクの要素だけで欧米が日本の芸術を評価することはもうないだろう。だが、欧米人と全く同じ画材やモチーフを使用しても日本人的感性があれば日本の真の芸術が出来ると考えるのも呑気な話で、それはこっちがそう思っているだけでの話かもしれない。画家として何ら劣らない能力を持ちながら、フランスに生まれれば世界的有名になり得て、日本に生まれれば日本だけのローカルな存在に終わるという事情に甘んじなければならなかったのは明治から昭和にかけてのことで、もうそろそろ才能だけで評価される時代が来ると考えている人があるとすれば、やはりそれも脳天気な見方であろう。芸術は個人の活動ではあるが、それが有名になるには多くの人が絡み、時として国家の政策も関係する。日本人画家の中から世界的に名を馳せる巨匠が出ないとすれば、それは政治家がそんなことに尽力しようとしていないからだとも言える。それに日本のTVドラマを見ていても、今まで芸術家の生涯を描いて大人気を得たものがあったろうか。それどころか音楽や美術を愛する登場人物すら稀だ。何度も書くように、ドラマ『おしん』がそうであったし、先日再放送になった4話連続の日本のブラジル移民を扱ったNHKのドラマも同じ、芸術よりももっと大事なことが「金儲け」というスタンスで暗にストーリーが組み立てられていて、アホらしくて見る気になれない。また、仮に日本の芸術家を取り上げる番組があっても、すでに評価のある、あるいは欧米で注目されて来ているというお墨つきが前提で、これも見るのが時間の無駄というものだ。もっとTVが芸術を引っ張って行く気概があってよいはずだが、TV界に芸術を深く知る人材が少ないのだろう。
 不満のはけ口になってしまったが、無力な筆者がここで何を言ってもどうにもならない。さて、展覧会について書こう。4セクションに分かれていた。1「ナビ派、フォーヴィズムの画家たち」、2「エコール・ド・パリ」、3「第二次世界大戦後のフランス絵画」、4「パリに学んだ日本人画家たち」で、ちょうど『ポーラ美術館展』の続編といった感じであった。1、2は見慣れている分野であるので、3、4が面白かった。まず1について簡単に触れる。珍しい画家としてルイ・ヴァルタ(1869-1952)の「座る裸婦」(1897)、アンリ・マンギャン(1874-1943)の「裸婦」(1922)があった。前者はナビ派と同世代で、ゴーギャンの強い感化を受けた。ナビ派とフォーヴをつなぐ位置にあるとされる。後者はモローの門下生だ。まだまだこうした馴染みの比較的うすい画家の作品は安価で買えるだろう。またかと思える画家よりも力を入れて買うべきだと思う。他にルオー、ボナール、ブラマンク、マルケ、ドラン、ディフィなどで、筆者の大好きなヴァン・ドンゲン(1877-1968)の「白い衣裳の女」があった。この作品は初めて見る。これだけでも行った価値があった。ドンゲン特有の色彩とタッチで、女性の肌はキャンヴァス地が見えるほどの絵具のうす塗り、白いドレスが最も厚塗りになっていて、手慣れたタッチと的確なモデリングにはいつものことながら舌を巻く。またあまり体を細長くデフォルメしていない描き方で、実物のモデルの気だるい表情をきっとよく捉えているのであろう。退廃的なムードの濃い画家とされるが、1920年代は社交界という事情を考えればそうなって当然であり、時代の空気を敏感に写し取っている。セクション2はこれも馴染みの画家が主体で、キスリング、パスキン、スーティン、ユトリロ、ローランサン、シャガール、ピカソなどがあった。藤田嗣治は「裸婦」(1932)と2曲屏風「犬」(1936)の2点で、後者は動きのある犬6匹を墨絵として描いている。珍しいところではヴァン・ヴェルデ(1898-1977)の「コンポジション」があった。オランダ出身の画家だ。アール・ヌーヴォーの画家、工芸家のヴァン・デ・ヴェルデかと思ったが作風があまりに違った。帰宅して調べると後者は35年早くベルギーに生まれている。絵はかなり大きくて茶色系を基調とし、ブラックとベン・ニコルソンを足して割ったような構成主義的抽象だ。ピカソの作品「アンチーブの風景」(1965)も100号以上の大きさで、あまりに荒いタッチはほとんど子どもが描いたような抽象画だ。これを「エコール・ド・パリ」に組み入れるのはちょっと無茶で、もっと若い頃の作品がなかったのだろうか。
 セクション3はこうして概観する機会があまりないだけに興味深かった。そして、パリの世界的芸術はエコール・ド・パリで終わったことをよく伝える。まずビュッフェ(1928-1999)の静物画があった。ビュッフェは大阪人には馴染みがある。阪急三番街が晩年のビュッフェに蝶のデザインでロゴ・マークを描いてもらい、今でもポスターなどで盛んに見る。ビュッフェの絵は一時期よく紹介されたが、軽い印象がどうにも否めず、ありがたみを感じない。次にカシニョール(1935-)のお馴染みの女性像があった。日本ではバブル期に大いに売れた画家だが、その後版画は急速に安く入手出来るに至ったと思う。どこかドンゲンに似たアンニュイな表情の女性ばかりを描くが、ドンゲンほどの重みはなく、ただの軽いイラストに見える。ジョルジュ・フェーエル(1929-)はハンガリー出身で、ナビ派的なタッチだ。遅れてやって来たエコール・ド・パリの一員といったことか。ポール・ギアマン(1926-)は古典主義時代のピカソの描く人物像をよく研究しているように思えた。若くしてイタリア留学をし、古典絵画を学んだことが影響しているのだろう。「サーカス」という作品は赤や緑のベタ塗りを目立ち、その感覚は戦後の作家であることをはっきりと伝える。ポール・アイズピリ(1919-)は日本ではそれなりによく知られる。「テラス」「ヴェニス」の2点が来ていた。アンドレ・コタヴォ(1922-)も同じ程度に知られる画家で、絵具のぐにゅぐにゅとした盛り上げ方が異常なほどに厚く、近寄って見ると何を描いているのかわからない。ピエール・ルミュール(1922-)はボナール張りの明るい色彩が特徴的な「静物」が展示されていた。よく言えば洒落ているが、単に軽いだけとも見える。ジャン・フサロ(1925-)は具象画家だが、1点のみでは印象にうすい。クロード・ワイズバッシュ(1927-)は「バイオリン弾き」のみでその特徴がわかるほど他の画家とは作風が違っていた。動きを表現するためか、男のバイオリン弾きの上半身のあちこちがブラシで擦ったようにぼけている。これはまだ乾燥していない絵具を何かで拭き取るなどしているためかもしれないが、顔もまるでフランシス・ベーコンの描く人物像のように一種醜悪な様子を呈している。こうした現代フランスの画家はそれなりにファンがいるのだろうが、もはや世界の美術をリードする位置にないと思える。あるいは紹介されていない画家の中に有望株があるのかもしれないが。
 セクション4は予想していなかった。こうして外国と日本を並べるとまた面白く、それなりに工夫した展覧会ではあった。全部で26人、フランスに行った経験のある日本人洋画家の比較的名のある者ばかりを年代順に展示する。国吉康雄、前田寛治、山口薫、里見勝蔵、荻須高徳、東郷青児、三岸節子、梅原龍三郎、児島善三郎、中川一政、林武など、誰しもよく知る大御所と、玄人好みの画家に分けられる。香月泰男の作品は少し意外であった。フランス留学の経験があるとは思わなかったからだ。今手元にある香月泰男遺作展の図録にある年譜を見ているが、戦後シベリアから戻って来て1952年にパリのサロン・ド・メに出品し、1956年(45歳)にヨーロッパに行き、パリを本拠地にしてイタリア、スペインの各地を回り、大部分を見ることに費やしたとある。今回展示されたのは「青麦」で、シベリア・シリーズに属する作風の小品であった。隣には牛島憲之(1900-1997)の「晴日」があった。比較的見る機会が少ない画家なので印象に強かった。向こうに鉄橋が見える川の畔で釣り糸を垂れるふたりの人物を描くが、人物の背後に水門の装置か消化栓だろうか、何か特定出来ない金属製の物体が置かれ、それも含めて陽炎のようにあらゆるものを曲線的に歪めて描く独自の形態世界が面白い。さらに隣には浮田克躬(1930-89)の「海辺の午下がり」(1982)があったが、この画家が近年急速に人気が高まっていることを知って見るとその理由を探りたくなる。どちらかと言えば重苦しい作風と言えるが、渋い色彩感覚は独自のものだ。また背景のセピア色の空はナイフで的確にザクザクと描いてあったが、間近で見たところ描きむらが気になった。浅井閑右衛門(1901-1983)もあまり見る機会のない画家で、「薔薇図」は絵具画まるで実物の花のように盛り上がって静謐な感じを発散していた。野口弥太郎(1899-1976)の「ヴェニスの窓」は、明るいデュフィの作品のような印象を与えるタッチで、気になる絵であった。日本人画家が大御所にのぼりつめるには、パリやヨーロッパ行きは欠かせない条件になっているようで、それはまだ100年以上は続くだろう。その間にパリが日本人画家の絵を貪欲に買う時が来るだろうか。
by uuuzen | 2006-04-07 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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