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●『シダネルとマルタン展 最後の印象派』
薬を 要約すれば 化粧かな 素焼き素顔も 美しさあり」、「ミニマルを 主義とする人 素気なし ミニマル絵画 飾るは矛盾」、「愛想なき 店に響くや 愛想して 金を受け取り やはり無愛想」、「合いそうも なさそなふたり 案の定 白けて無口 餡の上皮」●『シダネルとマルタン展 最後の印象派』_d0053294_12230352.jpg 先月15日、家内と出かけた市内美術館巡り、その最後は久しぶりのJR京都駅の百貨店伊勢丹にある美術館「えき」で開催され始めたばかりの『シダネルとマルタン展』だ。来月6日までの2か月近い会期で、これは同美術館が開館25周年を迎えた記念展であるからか。シダネル展は同じ会場で10年前にあった。その実績があったので今回の企画展が巡回されたのだろう。東京ではどこで開催されたか知らないが、日本では特に印象派絵画の人気が高く、シダネルとマルタンをもっと知ってもらおうという主催者の考えは理解出来る。また何冊も画集のある有名な画家では百貨店内の美術館での開催はほぼ無理だ。それはさておき、10年前の展覧会ではシダネルの薔薇を画題にした作品が多く展示された。日本では代表作を網羅した画集はなく、筆者はよほどフランスから買おうかと思ったが、そのまま10年が過ぎた。今回は友人で同世代のマルタンとの二人展で、画風の比較が出来たのはよかったが、両者の作品を会場の前半と後半とに分けず、混在展示であったため、特に初期はシダネルかと思えばマルタンで、またその反対の場合もあって、ふたりの画風の印象が入り混じりやすかった。ふたりとも経済的に成功し、フランス各地に家を所有し、制作三昧の日々を送った。その理由のひとつはアメリカで個展くぉよく開き、金持ちが作品を買ったからだ。アメリカ人の途方もない経済力はアクセル・ムンテの『サン・ミケーレ物語』(『ドクトルの手記』)でも何度も描かれる。そしてヨーロッパ人にはだいたい嫌われたようだ。歴史が浅いのに成金となって金にものを言わせたからだ。それでも高額で買ってくれるファンがあることは画家にはありがたい。10年前のシダネル展では薔薇の育成に多大な時間を費やしたシダネルの同じような絵が何枚も並んだが、それらはモネの光の移ろいを追い求めた連作とは違って、動きの乏しい静謐な画面で、同工異曲ぶりが顕著であった。ただしさすがに技術は巧みで、いかにも印象派末期の、そして象徴派の雰囲気が濃厚な、それでいて暮らしぶりの豊かさ、親密ぶりが露わで贅沢な雰囲気の作品になっていた。ただし、どこか憂鬱な暗さも支配していて、経済に心配のない暮らしの中で何となく退屈していたような心持ちが伝わった。そのアンニュイさが絵画好きな金持ちに大いに受けたのだろう。薔薇に覆われた自宅、庭での食卓、光と影の対象が強い風景や、人を描かず、人の気配は遠くの窓の灯りのみといった風景画は、満ち足りた生活を送りながら孤独を感じさせ、アメリカにはないそのヨーロッパ的なところがアメリカ人の琴線に響いたのだろう。
●『シダネルとマルタン展 最後の印象派』_d0053294_12232286.jpg とはいえシダネルはフランスの画家で、フランスでもっぱら売れるのが当然だ。本展の出品目録によればマルタンとともに展示作品の大半はフランスの個人蔵で、アメリカから借りて来たものはない。個人蔵の作品は1点ずつ別の人が所有しているのであれば本展の開催は日本が企画することは難しい。そう考えると、個人蔵と記されている作品は大部分が同じ人物が持っているのではないか。日本でもそうだが、個人で美術作品を所有している人は珍しくなく、彼らが美術館級の名品を持っていても、そのことが美術館関係者に知られなければ広く紹介されず、展覧会に出品されることもない。それで画家は名声を広めたいのであれば、個人よりも美術館に所蔵してもらいたい。本展ではフランス最北部のダンケルクの美術館や同じく北部のランス美術館、オランダのシンガー・ラーレン美術館の所蔵作がぽつぽつとあって、これはシダネルの活躍した地域で、いわば郷土の画家として評価されていたことがわかる。シダネルはベルギーのブルージュに住んだことがあり、その街の風景を愛したそうだが、そのことは彼の作品に如実に反映している。ベルギー象徴派のクノップフは特にその街を描いたことでよく知られるが、今調べるとクノップフはシダネルより4歳年長で22年早く死んでいる。クノップフは日本で大規模の展覧会が開催されたことがあり、人気はシダネルを圧倒しているが、部屋に飾って楽しく、美しい絵という条件ではシダネルが大いに勝っている。それはクノップフのように人物を描かなかったからでもあろう。日本でもそうだが、人物画は売れない。金儲けを第一に考えるのであれば、写実的な風景画が最もよい。そのことをシダネルはよく知っていたようだが、シダネルの絵にクノップフと共通した空気が流れているのは、同世代でブルージュを好んだことが最大の理由だろう。シダネルは印象派の末裔の点描派に分類されながら、ベルギー象徴派を側面から支えた面がある。前述した家屋の窓の灯りが一点小さく見えるシダネルの風景画は、筆者はベルギーのルネ・マグリットの夕暮れの街角の街灯を描いた作品を連想する。シダネルはシュルレアリスムに一切踏み込まなかったが、マグリットの風景画の象徴性はシダネル譲りであっても不思議ではない。そう考えると、シダネルと他の有名画家の画風との関連をテーマにいくつもの企画展が俎上に挙げ得る。またそのような作業を多く経ることでシダネルの評価は一段と上昇する。ということは作品の読み込みが大事で、新たな発見から新たな評価が定まり、実物を目の当たりにする展覧会は欠かせない。芸術家の評価は没後百年ほどを経なければ定まらないが、定まって見えてもいつの間にか人気が減少する場合もある。作品は劣化を除いて変化はないから、評価の変遷はおかしいことのようだが、人間が世代交代すれば新たな意見は出るし、形あるものの評価は変わり得る。
 それで生前人気が高い画家の作品を個人が買ったとして、数十年後は価値がほとんどなくなっている場合は多々ある。逆にほとんどの人が見向きもせず、格安で売られていたものが大化けすることもある。買ってから死ぬまで手放す気がなく、心豊かに暮らせれば元を取ったのであって、自分が死んだ後の作品の価値や行方などは気にしたところで仕方がない。画家が存命中に売られる絵はさほど高価ではなく、高価な衣服を買うつもりで買えばいいと思うが、ネット時代になって本やCDを買わない若者が増え、ましてや飾る場所、保管場所を取る美術品となればそもそも手を出せない。日本はわずかな大金持ちと大多数の貧乏人とに分断されていると言われ、前者が資産価値にもなると考えて美術品を買い漁り、余裕があれば個人で美術館を建てる。現代のその傾向は欧米の収集家を真似たもので、金持ちは美術愛好家となって作品を買い集め、それを一般に公開する。嵐山の福田美術館はその一例だが、どういう作品を系統立てて集めるかは難しい問題だ。なぜこんな話題になっているかと言えば、シダネルの絵を筆者が最初に見たのはいつかと先ほど調べたからだ。手元に2冊の図録がある。どちらもスイスのジュネーヴにあったプチ・パレ美術館から作品を借りての展覧会で、1冊は筆者がまだ学生の頃の1971年2月に難波高島屋で見た『20世紀名画展「ルノワールからキスリング」』展のものだ。当時とても貧しかったのに、展覧会には出かけ、500円でその図録まで買っていた。2冊目は1983年3月に梅田の大丸ミュージアムで開催された『フランス近代絵画「その愛と輝き」』だが、どちらの展覧会にも筆者が大好きなヴァン・ドンゲンの「村の広場」が展示され、会場で買ったその絵はがきを図録に挟んだままにしてある。83年展に想像どおりに1点のシダネルの風景画が出品されていた。同図録におけるそのカラー刷りは本展のチケットの上の絵画にきわめて似た明るい黄土色や橙色を中心とした建物を描き、即座にシダネルとわかる。当然筆者は同展以降先ほど図録を繙く40年ほどはその絵を忘れていたが、10年前と本展を見たことでようやくシダネルの作品の妙味がわかるようになった。話を戻して、83年展は71年展に比べて図録は判型が一回り大きくなり、厚さは倍になって出品作品も倍増した。全く別の作品が選択されたのではなく、多くは同じ作品が展示されたが、図録によればスイスのプチ・パレ美術館は常時600点ほどを展示するも、それは全所蔵作のほんの氷山の一角とある。ただしどれほどの点数があるのかは書かれていない。展覧会に貸し出される作品は有名画家が中心となるのはやむを得ない。そしてそういう絵は同美術館には600点には全く届かないはずだ。ついでながら、同美術館から作品を借りての展覧会は91年、93年、そして去年秋に滋賀の佐川美術館でも開催された。
●『シダネルとマルタン展 最後の印象派』_d0053294_12234548.jpg
 続けて書くと、スイスのプチ・パレ美術館は1968年の開館で、その10年ほど前から館長で収集家のオスカー・ゲーズは世界各地に作品を貸し出ししていて、日本にも71年以前に何点か来ていた。彼は実業家だが、何で財を成したかも書かれない。所蔵する絵画を世界中で公開することを使命と思っていた人物で、71年展の図録に簡単に書かれるように、どの作品も買った時の特別の思いがあるとのことだ。この点は筆者にはよくわかる。いずれ値上がりするといった考えではなく、オスカーは好みの写実的な絵を画家のつながりで次々と購入して行った。そのため購入当時は安価であったものが大半だろう。そのことは画家の実力とはひとまず関係はない。オスカーはこういうことを書く。「15年ほど前には美術愛好家が手頃な値段で印象派の巨匠の作品を買うことができましたが、今日ではなかなかむずかしく、非常な金持ちでさえほとんど不可能であります。ときがたつほどこれらの美術家の作品を見つけることはますますむずかしくなる一方、美術館は市場に出される作品を独占することになります。後期印象派は評価が高まっており、数年内には、すでに世界的に認められている巨匠の作品を探すのと同じくらいかれらの作品を探すのはむずかしくなるだろうと容易に推察出来ます」後期印象派展は日本でしばしば開催されるが、ゴッホやセザンヌの絵は今では数十億円で取り引きされる。今後はさらに高騰するはずで、オスカーも1950年代半ばではもう購入は諦めるしかなかった。71年展の図録には今泉篤男が的確なことを書いている。以下かいつまむ。「この蒐集の一番の特色は、ヨーロッパにおける近代絵画の曙ともいうべきこの時期の画家の中で、すでに名声の定まった有名画家だけではなく、その周辺に活躍し、しかも紙一重の差で世評からは余りもてはやされなかった、いわば不遇な画家たちの作品も、あまねく蒐めていることだと思う。……作品を眼の前にして、画家の名前だけにとらわれない作品に即した自分の鑑賞力の試金石とすることも出来るわけだろう。そして、そういう鑑賞力の密度だけが、本当の絵を観る力を養うことだと私は信じている」この文章を当時19歳の筆者は読まずに同じことを思い、そしてこれまでジャンルを問わず4000以上の展覧会を見て来た。半世紀も美術ファンであればそれは普通のことだ。それはさておき、71年、83年展に出品されたたとえばマクシミリアン・リュスの「アベス街の食料品店」は昨日見たかのようによく覚えている。この画家は二流であまり知られないが、この作品には現実の幸福のざわめきが描かれている。同様にピエール=ウージェーヌ・モントザンの「ロワン河岸」も光が素晴らしい。名作は自分が発見するものだ。「紙一重の差」で有名にはなれなかった無数の画家がいる。オスカーは自分の眼を信じてそういう画家の作品を大量に購入した。
●『シダネルとマルタン展 最後の印象派』_d0053294_12240550.jpg
 オスカーのコレクションの中に今後再評価される画家があるかもしれない。シダネルの評価も10年前と本展によって確実に日本では上がっているだろう。さてシダネルの作品について書いて来たが、筆者が所有する先の2冊の図録にはアンリ・マルタンの作品がない。マルタンの名前はよく知っているが、筆者は作品をどこで最初に見たか。このふたりの画風は筆の細長いタッチや点描を混合させ、スーラやピサロとの関連が明白だ。それで85年夏に京都市美術館で開催された『点描の画家たち』の図録を見るとふたりの画家の作品図版は掲載されている。その説明によれば、マルタンの油彩画は日本の国立西洋美術館が13点所蔵し、同展出品の2点は同館から借りられた。解説から少し引用する。「85年にはイタリアへ旅行し、……初期ルネッサンス絵画に心惹かれると共に、……当時のイタリアの現代絵画にも興味を抱いた。帰国後はイタリア旅行で深めた象徴主義への志向を……点描主義に結びつけ、……1900年を過ぎると、マルタンの画面からは次第に文学的主題が影をひそめ、かわって風景や日常的な情景に取材した親密な画題が増えていった。そのほかパリ市庁舎など、公共建築の大画面装飾でも活躍し、当時この分野の第一人者として知られた。ピュヴィス・ド・シャヴァンヌからも高い評価を受けた」蛇足ながら、シダネルとマルタンはともに名前がアンリ(英語ではヘンリー)だ。アンリの名前の画家はスイス・プチ・パレ美術館が所蔵する作品だけでもアンリ・ファンタン=ラトゥール、アンリ・モレ、アンリ・ルバスク、アンリ=エドモン・クロス、アンリ・マンギャンがいるが、たとえばアンリ・バスクの作品はめったに紹介されない。話を戻す。マルタンはシダネルより2歳下で4年長生きした。外光の明るさではマルタンが上で、ピサロの画風をもっと明るく、原色に近づけた感じがある。簡単に言えば風景画のシダネル、人物群像のマルタンと対照的だ。マルタンは前述のように壁画に打ち込んだ時期があったので、個人に売る小さな絵の数はシダネルほどには多くないかもしれない。両者の画風の差はシダネルがフランスの北方、マルタンが南フランスでもっぱら描いたためで、住む場所が入れ替わっていると画風も違ったかと言えば、そうではないだろう。シダネルは北のやや暗い光を好み、マルタンは明るさを求めたのであって、そもそもどちらも好みの場所に住んで描いた。本展会場ではチケットに採用されたシダネルの1点とマルタンの2点だけ撮影が許可された。図録を買っていないので、額縁つきのそれらの作品の写真を今日は掲げておく。会期が始まってまだ数日であったためもあるが、会場はほとんど人がいなかった。百貨店での美術展では消防法などの規制で国宝や一流画家の作品の展示は不可能だが、有名な公的美術館では本展のようなあまり有名でない画家の企画展は開催されない。
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by uuuzen | 2022-10-03 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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