「
把握して ほとんど忘れ 気にならず 把握せずとも 道は満ちたり」、「うぬぼれは 幸せなれど 笑われし 傍目気にせず 能誇示目立ち」、「長く咲き 朽ちる形も 面白き 鶏頭の花 赤色保ち」、「花ごとに 形違うや 鶏頭の ラビウム集う ラビリンスかな」
13日に京都府立植物園に訪れたのは10数年ぶりのことだ。あるいは20年は経っているかもしれない。北門から50メートルほどのところですぐに鶏冠鶏頭を見つけた。今日の最初の写真の一花とひどく崩壊した同じ品種のもう一花が地面に倒れかかっていた。大型の品種で、花の頂部の幅が25センチほどはある。盛期には花の色はもっと濃かったと思う。葉はすべて落ちていたが、その状態も観察しながら1時間半ほど要して3枚描いた。園内に人影は少なく、邪魔されなかったのはよかった。それでも写生する姿は珍しいのか、人は寄って来る。「わー、すごい」という声を背中に聞きながら、こっちは夢中でありつつ別のことを考える。すなわち花数のあまりの少なさに不満な気持ちを抱きつつ、「広大な植物園でも人気のない鶏頭をもっと多く植えることは無理」と理解を示す。描き終えた後、背後や周辺を確認すると、やはり鶏頭は筆者が描いた2株のみであった。それにしてもモンスター花だ。これは品種によるのか、育つ条件がいいのか、花の名札がないのでわからない。この鶏頭から20メートルほど離れたところで時々カサカサという作業音が響いていた。帰り支度を済ませてその場所に行くと、20代の園芸高校出らしき茶髪の男性作業員がしゃがんで花壇の手入れをしていた。たぶん筆者が描いた鶏頭も近日中に撤去されるだろう。花期が終わった植物は別の新たなものに植え替えられ、そして来園者の目を楽しませる。そう考えると筆者が急に植物園を思い出して電話したのは、この化け物鶏頭が姿を見てほしい、描いてほしいと筆者を呼んだのではないか。ところで、これほど大きな花は久留米鶏頭ではあたりまえでも、鶏冠鶏頭と久留米鶏頭は全くの別品種と言うほどのことではなく、生育条件があまりよくなければ久留米が鶏冠にかなり近づくことは何となく想像出来る。ただしこの植物園のものは昔ながらの品種のようで、祇園祭りの鉾に飾られる丈の短い暖簾状の垂れ幕に横並びで染め抜かれる「大鶏頭文」を彷彿とさせる。その有名な文様は中国から大昔に将来された錦に表現され、日本人はそれをそっくり模倣して西陣で袋帯に織り出しても来た。そして真夏の祇園祭りに採用されるところ、この花には厄病を跳ね返す強靭さがあると目されているからでもあるだろう。今日の2枚目の写真は南門辺りまで歩き、さまざまな鶏頭のみを植える花壇で見つけた。わかりにくいと思うが、写真の手前に茎の細い小型の鶏冠鶏頭が7,8本並び、またどれも茎は大きく傾いていた。この品種は嵯峨のスーパー近くでよく見かけるもので珍しくない。
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