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●『郷愁(ペーター・カーメンチント)』
誘を 固辞して事故に 遭う自己を 勇敢と呼ぶ 有閑の体」、「短歌など 簡単ですと 啖呵切り 加担する人 多感なりしや」、「重厚な 銃口見つめ 自由乞い ならば一発 天国行くか」、「同類と 親しくしても 個性あり 何を重視し 縁結ぶか」



●『郷愁(ペーター・カーメンチント)』_d0053294_01194069.jpg 昔から気になっている小説はたくさんあり、最近は特に悔いが残るとばかりに時間を見つけて読む。先日何度か市バスに乗り、その中だけで読み終えたのが今日取り上げるヘッセの有名な小説だ。文庫本なのでバス中で広げやすいのはいいが、文字が細かく、バスの中は薄暗い。しかも悪路の市内を走ってよく揺れるので、目にはきわめて苛酷だが、読み始めるととても面白い。これが小説の何よりもの魅力だが、何事も面白くないものは人気がない。その面白さはもちろん人によりけりで、TVで盛んに登場するお笑い芸人がいるおかげで人生の楽しさを味わっている人もあれば、彼らが出演すると即座にチャンネルを変える人もいる。当然ヘッセの小説はお笑い芸人が笑わせる面白さと同様の効果を狙ったものではない。ヘッセの小説は誰しも10代半ばで最初の1冊は手にする。筆者はその類で、『春の嵐』や『湖畔のアトリエ』、それに『デミアン』を読んだが、全部すっかり忘れてしまっている。そして以前に書いたように、当時『ガラス玉演戯』を繙きながら途中で放り出し、そのことが半世紀以上経った今も時に思い出す。ついに新潮文庫のヘッセを全部揃えて1冊ずつ読むことに決めたが、原則的に市バスに乗った時だけであるので、全部読み終えるのに何年かかるかわからない。前述の昔読んだ小説も読み直すが、なぜそんなことを思うようになったかと言えば、これも昔読み始めて最初の一巻の3分の1ほど読んで止めた平井正の3巻本『ベルリン』を最近最初から熟読し始めていて、そこにヘッセの記述がぽつぽつとあるからだ。つまり『郷愁』についてわずかに言及されている箇所にを見つけ、早速それを読むことにした。ついで書いておく。筆者が17歳の頃、同級生と帰り道で小説の話になり、彼は笑顔でトーマス・マンの『魔の山』をもうすぐ読み終えると語った。当時筆者はマンの別の小説本を買っていたが、『魔の山』はとても分厚く、買って読む気にはなれなかった。ところがその同級生との会話は半世紀以上経っているのに昨日のようによく覚えていて、今も『魔の山』を読まねばと思い続けているが、本はまだ買っていない。それはさておき、『郷愁』は訳者の高橋健二によれば「教養小説」とある。これは読めば教養が深まるとの意味ではない。WIKIPEDIAには、主人公が成長するに伴い、人格を形成して行く様子を描く小説といったように書かれる。筆者は先月満71歳を迎え、今さら人格形成でもないので、やはりこの小説を10代半ばで読んでおくべきであった。それでも当時であれば理解が及ばなかった箇所は少なくないだろう。何しろヘッセはこの小説を27歳で書いた。
 WIKIによれば教養小説はゲーテ以前にもあったが、ヘッセが敬愛するゲーテにその代表すべき作がある。その後ノヴァーリスの『青い花』、マンの『魔の山』に連なるようだ。筆者が『青い花』を知ったのは20代前半で、本は入手しているが、同書を読む以前にハイネを読破したいことや、また伊東静雄などの日本の詩とのつながりも気になっていて、ドイツ・ロマン派はどこから手をつければいいか、やはりほとんど半世紀も手つかずの状態でいる。70代になってロマン派でもないような気がする一方、常識程度は知っておきたいという知的欲求は消えていないからだ。さて『郷愁』は最近読み終えた『荒野のおおかみ』と似たところがあって、主人公は各地を転々とし、さまざまな経験を経て新たな自己を見出して行く。ということは、ヘッセは27歳から『荒野のおおかみ』の50歳まで、ずっと生き方に悩み続け、自己発見を続けたことになる。実際そのとおりで、それは芸術家に共通する姿だ。ヘッセは詩も書き、その一端は『郷愁』でも披露される。詩と小説は富士正晴にも言えるが、絵も描いた点でヘッセと富士は通じている。『荒野のおおかみ』では20年代半ばのドイツの新しい絵画についての記述があって、その表現主義や新即物主義のけばけばしい色合いの絵画はヘッセの水彩画に影響を及ぼしている。ヘッセの小説の本筋とはほとんど関係のないそうした絵画に関する記述は筆者にはとても面白い。谷崎の『細雪』にも絵画や画家への言及があって、やはり印象深いが、教養の言葉を持ち出せば、読み手が文学だけではなく、音楽や絵画について興味や知識が大きければ、つまり幅広い教養があれば、より楽しめる。『郷愁』では女性画家が登場し、主人公のペーターが恋心を抱く。その後登場する女性ともペーターは恋を実らせることは出来ないが、彼女が美術館でセガンティーニの絵画の前に立っている姿をたまたま目撃する場面は、セガンティーニがこの小説のひとつの舞台になっているスイスの画家で、またどういう画風をしているかを筆者はよく知っているので、なお鮮烈に想像出来るのであって、セガンティーニの絵を見たことがなかった10代半ばの筆者ではその場面を読み飛ばしたはずで、知識量が増した高齢になって読むと発見は多い。それはあらゆる文学、音楽、美術を知っておくに越したことはないという事実を示す。さしてそう思わない人はヘッセの小説を面白いと感じず、流行作家の軽い内容の小説で暇潰しをすることのほうが贅沢な時間を潰せる。ヘッセ自身がそう考えていたことは『郷愁』から明らかだ。主人公のペーターが金欠になり、馴染みのレストランでの支払いに困った時、出版社から論評を頼まれていた新刊本をウェイトレスに何冊か差し出す。彼女は支払い代わりにそれを受け取るが、つまらない通俗的な本で、ペーターが女性の知性の程度を知っていたことがわかる。
 最近隣家に置いてある本から1冊気になったので持ち帰って拾い読みしている。中村真一郎の71、2歳頃に書かれた短いエッセイ集で、いつ買ったのか記憶にない。それはともかく、中村は面白いことをたくさん書いている。そのひとつに、「小説は素人が書けるものではない」という言葉がある。開高健は誰でも小説は書けるもので、肉屋なら肉屋しか書けない小説があるといったことを書いた。素人がどんどん小説を書けばいいという意味であろうし、肉屋でも驚くべき文才を持った人がいるだろうとの考えだ。小説を音楽や絵画に置き換えるとよい。誰でも楽器を奏でられるし、絵具も使える、それで猿や象に表現させる人がいる。幼児や知的障碍者は彼らなりの表現をし、そういう作品に感動する人はいる。中村真一郎が言うのは、素人が書く小説は形式に瞠目すべきものを持つ作には比肩出来ないということだ。小説を詩の延長とみなす者であればそうだ。詩に約束があり、小説にもさまざまな工夫は欠かせない。言葉の使い方や全体の構造が重要で、名作を目指すのであれば古典を知らないでは済ませられない。ところが古典はほとんど無限にあるから、それらを読んでいるだけで人生が終わる。肝腎なことは創作だ。古きに学びながら新しいものを開拓して行かねばならない。その意味で『郷愁』は『青い花』の延長上に生まれた新しい教養小説で、ドイツのロマン主義を継いでいる。では『郷愁』の構造が中村の言うようなプロ独特の巧みなもので、素人には真似の出来ないものかと言えば、それは筆者にはわからない。小説は俳句の五七五のように文字数が決まっているものではなく、詩の押韻のような音のリズムもほとんど関係がない。中村が愛する形式美が見事な小説であっても、内容に乏しいものもあるだろう。そのことは音楽や美術の作品を考えてもわかる。となれば小説の面白さは絶えず次のページを繰りたくなる息もつかせぬドラマの展開かと言えば、そうでもない。もちろんそれこそ小説と思う人もあろうし、そういう発想が出来る人は肉を売るかたわらに小説家にもなるだろう。最初に筆者は『郷愁』が面白いと書いた。それは次の物語の展開が汗握るようなスリルに富むからではない。少し意外であったのは、『荒野のおおかみ』と同じく、なるべくしてなるという必然性を描く厳格な構成ははみ出たような予想外の話が割り込んで来ることだ。その部分をヘッセは書きながら思いついたと想像するが、予め組み立てた組織図にしたがって最初から書き進みながら、最後のほうでほとんど予期していなかった場面を挿入するのは、ジャズで言う即興のようなもので、『郷愁』にもそれを思わせる部分がある。そしてそういうはみ出たような意外な部分を含めて中村はプロしか優れた小説は書けないと考えていたのだろうか。予定調和に終始する小説は駄作で、意外な展開が構造的に必要ということか。
 そのことはたとえば中村の代表作を読んでみないことにはわからない。なぜこんなことを書くかと言えば、筆者も作品を作り、また中村のように素人では絶対に真似の出来ない作品を作っている自負があるからだ。ただしその自信が作品製作のうえで悩むことにならないのではなく、常に悩みは絶えない。自分なりの「型」を見つけ、それにしたがって作品を量産することは比較的簡単なことと言ってよい。ただしそれでは過去と同じことを繰り返したくない作者は満足せず、次作では絶対に新たな境地を拓きたいと思い続ける。ところがそう簡単にそれは見つからない。試行錯誤の繰り返しを日々続け、その過程で幸運に恵まれる。そういうことを素人はほとんど考えないが、専門家はいつも思い続けている。中村が言っていることはそれだ。素人作家でも今はネットで大人気を得られるが、それは古典にいつか組み込まれるものでは決してなく、一時の仇花で終わる。ヘッセも全く同じことを思っていた。そのことは前述のウェイトレスに支払いの代わりに与えた新刊本からわかる。つまり、ヘッセは20代で同じような内容を書きなぐる流行作家になろうとは思わなかった。ところがそう簡単に文豪の仲間入りが出来る名作は書き得ず、27歳の『郷愁』で初めて名声が轟いた。さて、この邦題は小説の内容にふさわしい。ヘッセの小説は人名が題名になっているものが多いが、訳者の高橋はそれではわかりにくいと考えたのだろう。「郷愁」の言葉は本作に何度も出て来るし、アルプスの農村生まれのペーターは都会に出て多感な青年時代を過ごした後、また最後にはそこに戻るので、なおさら本作の題名にふさわしい。村の住民はほとんどみなカーメンチント姓で、何代にもわたって住み続けている。ペーターはひとりっ子で、「両親から自分の性質の重要な部分をうけついだ。母からは、つつましい処世の才と、神に対する一応の信頼と、静かな無口な性質を、父からは、決断に対する小心さ、金をやりくりする能力の欠如、考え考えたたんまり飲む術をうけついだ」と書かれるが、勉学に励む性質はどちらからだろう。ともかく村では初めて出たような神童ぶりを少年時に牧師に認められ、父のしぶしぶの許可を得て単身で都会に出て学生として勉学に励む。そしてリヒャルトという親友に恵まれ、恋もするようになる。失恋もあって酒好きは加速化し、周囲の者からは大酒飲みの評判を得るが、葡萄酒に関する記述は本書に多い。実際にヘッセがそうであったのかどうかわからない。少年時から文才を教会から注目されていたペーターだが、リヒャルトがペーターに黙って新聞社に送った原稿が評判を呼び、それで原稿料を稼ぐ手立てを得る。学生時代に母は死に、父は息子に仕送りすることを拒むようになるが、ペーターは原稿料の収入でどうにかひとり暮らしをする。これはヘッセのことを反映しているだろう。
 音楽家を目指しているリヒャルトはペーターより年上で、この親友を得たことでペーターはさまざまな経験をする。この点は『デミアン』に通じ、青少年時代の人格形成に友人が欠かせないことを教える。とはいえ、本書も『デミアン』も主人公はそういう目上の親友を失う。そしてその時には人格がほぼ完成していて、ひとり立ち出来るようになっている。本書第3章から引く。「私は自分を詩人だなどとは思っていなかった。私がときおり書いたのは、雑文であって、詩ではなかった。しかし、心の中では、いつか詩を創作し、あこがれと生命の大きな大胆な歌を書く日が来るだろう、という希望をひそかにいだいていた」。あるいはこういう下りもある。「星や山や湖は、自分らの美しさと無言の存在の苦悩を理解し表現してくれるひとりの人をあこがれているかのようだった。そして私がそのひとりの人であるかのようであり、無言の自然に詩によって表現を与えるのが、自分の真の天職であるかのようであった。それがどういう方法であろうかということは、ついぞ考えたことがなく、ただ美しい厳粛な夜が無言の願いにいらいらしながら私を待っているのを感じるばかりだった。そういう気分で何か書くということもけっしてなかった。しかし、この暗い声に対して責任感を感じて、私はそういう夜を経験したあとでは、いつも数日の孤独な徒歩旅行に出るのだった」。この最後の徒歩旅行は本書では通奏低音のごとく終始響いている。旅をしてさまざまな人と出会い、そのことで本書が成立しているからで、その点だけを取り出せばアクセル・ムンテの『サン・ミケーレ物語』によく似ていて、主人公の気高い人格においても通じている。その気高さは、ペーターがイタリアの聖フランチェスコに憧れていることにも現われている。ペーターはその聖人の人格をより知るためもあって本書後半でイタリアのトスカーナ地方に旅をするが、ドイツの南方育ちのヘッセがやがてスイスに住み、イタリアに憧れたのは不思議ではない。スウェーデン人のムンテもそうであった。またペーターはパリで住むが、パリには辛辣で特に若い女性に対して幻滅する。スイスでイタリアの女性画家からモデルになってほしいと言われたペーターは彼女に結婚の申し込みをしようとする寸前、彼女にその気がないことを知って失恋する。その画家の面影もあってイタリアに旅したのかもしれない。フィレンツェでは36歳の寡婦と親しくなり、結婚してもいいかと思う寸前にまでの関係になるが、この挿話はヘッセの最初の妻が9歳年長であったことを思えば現実的だ。ところが本書の最後近い新たな登場人物との関係は意外な展開を見せる。それが前述した予想外のことだが、聖フランチェスコに憧れていたペーターで、慈悲深さの実践は意外ではなく、本書の最後は筆の勢いで即興で書かれたようでいて、ヘッセの経験を元に周到に組み込んだものだろう。
 第3章から引く。「ささやかな芸術家の一団が集まっていた。ほとんど無名な人、忘れられた人、成功しなかった人たちばかりだった。それが私には何か痛ましく感じられた」。この下りは筆者はよくわかる。芸術家が集まると一瞬で相互に値踏みするもので、ペーターはまだ有名ではなかったが、彼らの才能を見抜いていた。第4章にはこんなことが書かれる。「浮き世ばなれした歩きぶりをしている新流行の詩人や芸術家や哲学者を、私はおおぜい知って、驚嘆も喜びもしたが、彼らのひとりとして有名になったのを、私は知らない。彼らの中に、私と同年配の北ドイツ人がいた。感じのよい小柄な人物で、およそ芸術的なことに関しては繊細で敏感だった。彼は未来の大詩人と見られていた。彼の詩がいくつか朗読されるのを聞いたことがあるが、それはいまなお私の記憶に、異常に香気の高い、魂のこもった美しいものとして、まざまざと浮かんでくる。おそらく彼は、私たち全部の中で、ほんとの詩人になりえた唯一の人であったろう。偶然私はのちになって彼のあっけない身の上を聞いた。この過度に敏感な男は文学上の失敗におじげづいて、世間からいっさい遠ざかり、やくざな文芸保護者の掌中におちいってしまった。その人は彼を励まし、理性に立ち返らせることをしないで、またたくまにすっかりだめにしてしまった。彼は富豪の別荘で神経質な婦人たちを相手に、気の抜けた唯美主義者流のほらを吹き、不遇な英雄きどりになり、みじめな邪道に導かれ、ひたすらショパンの音楽やラファエル前派的陶酔に浸って、一歩一歩と知性を失っていった」。これは実在の詩人を念頭に置いているだろう。またヘッセは彼のようには絶対にならないという醒めた覚悟をペーターに託したのであって、本書は上記の引用に理解が及ぶ者しか歓迎されないことを物語りもしている。第7章にはこんなことも書かれる。「チューリヒ時代に常軌を逸した叙情的な青年として知り合ったふたりの著述家の本が出た。ひとりはいまベルリンに住んでおり、大都会のカフェーや女郎屋の醜悪な面をしきりに描いていた。もひとりは、ミュンヒェンの郊外にぜいたくな閑居を営んで、神経衰弱的な自己反省と心霊主義的な刺激のあいだを、絶望的にせせら笑いながら、あちこちとへとよろめいていた。……神経衰弱症患者からは、まるで王侯のような文体の、けいべつに満ちた手紙が一通来たきりだった。ベルリンのほうの作家は、ある雑誌で騒ぎたてた。……ゾラを引き合いに出し、私の無理解な批評をもとにして、私に対してだけでなく、スイス一般のうぬぼれた散文的精神に対して非難を加えた。チューリヒにいたあのころは、おそらくこの男が文士としていくらか健全なまもとな生活をした唯一の時期だったのだろう」。この記述は当時のヘッセが評価しない作品や人物像の一例で、文芸評論で収入を得ているペーターに託して思いを書いたものだろう。
 ペーターは蔵書が増えたので本棚が新たに必要になり、指物師を訪れる。そこから本書の最後の、前述した意外な展開がある。どのように本書が終わるのかと思いながら読み進めると、親友のリヒャルトを小さな川での事故で呆気なく失い、また次々と恋する相手の女性とは縁がなく、ペーターは行き場を失い、相変らず酒場に入り浸って酒飲み相手に過ごす始末だが、イタリアに旅したことは確実にペーターの精神を自己に嘘がつけない確固たるものに鍛えた。指物師はペーターの蔵書の中に指物職人関係の本があることに着目し、ふたりは相互に関心を持つ。そしてぺーターはその職人の家に出入りし、子どもを含めて家族と親しくする。ある日、せむしで体の動きが自由でない寡黙な青年ボビーを親族である指物師一家が世話しなければならないことになる。最初一家もペーターもボビーを邪魔者と思い、青年を避ける。そして彼を残してピクニックに出かけるが、ペーターは急にボビーを哀れに思い、ひとりで1時間ほど歩いて指物師の家に戻る。すると自由に動けないボビーは座ったままひとりで歌っていた。その姿を見たペーターはやがて彼と親しくなろうと、生活費の足しにするようにと指物師にお金を与え、ボビーに車椅子を買ってやりもする。一家の邪魔者となっているボビーをペーターはその後引き取り、一緒に暮らすことになるが、ボビーは身体は虚弱でも読書好きでペーターとは心を通わせられるほどに知性があった。若い女性と結婚せずにせむしの青年と同居することは何となく非現実的に思えるが、ヘッセにはせむしの男性についての詩があるようで、本書のほとんど最後の挿話であるボビーは実在の人物であろう。ペーターが母から受け継いだ「神に対する信頼」はボビーへの心遣いに現われた。この社会の弱者に対するペーターの行動は聖フランチェスコを愛することからは当然なされるべきで、そうでなければ聖人への強い関心は嘘になる。その自己欺瞞がペーターには許せなかった。ボビーはやがて死に、ペーターはまたひとりになり、故郷に戻る。しかしその時はもう昔の青年ではない。父親との軋轢も成長した自分がどうにでも出来ることであって、大きな自信をつけた大人として帰郷した。その後のことはヘッセの別の小説が書いていて、『荒野のおおかみ』では相変らず孤独に歩き回る主人公の姿が書かれるが、ヘッセが二番目の妻と離婚した後では、また次の戦争が予想されていたワイマール時代であれば無理もない。それにしてもペーターは寒村であっても帰るべき故郷があって幸福であった。そう自覚したのでボビーに大いに同情したと言ってよい。ペーターのように知性も才能にも恵まれない者はいつの時代も生きにくい。人と直接につながらないで済むSNS時代では「教養小説」も別の方向に発展する可能性はあるが、それには最低限本書を読んでおくべきだろう。
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by uuuzen | 2022-09-13 23:59 | ●本当の当たり本
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