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●『原田泰治とクロアチアの仲間たち展』
2日に京阪守口駅の京阪百貨店で見た。大阪に出るのはいつも阪急電車を利用するため、守口に訪れるのは10年ぶりと言ってよく、京阪守口に百貨店が出来ていることは知らなかった。



●『原田泰治とクロアチアの仲間たち展』_d0053294_044798.jpg原田泰治の絵は少なくとも2回は大きな展覧会を見ているので、この展覧会に出かけることもなかったが、大阪に出る用事があったので、途中下車して立ち寄ることにした。百貨店内の展覧会用施設として小さめで、あまり大きな展覧会は出来ない。だが、もっと大きな、たとえば京都高島屋のグランドホールでは先日、鑑賞の途中で調理室からだろうか、揚物の臭いが充満して来て胸が悪くなった。ゆったりとしたスペースのホールでも、ちょっとした空気の流れで一気に現実の喧騒に引き戻される。臭いに敏感な人はとても絵を鑑賞する気にはなれない。実際家内は顔をしかめて外に出て行った。百貨店での美術展はまだまだ正式な美術館とは違って問題を抱えている。この京阪ギャラリーもその点は大同小異だろうが、大阪という土地柄をよく知っている筆者からすれば、下町情緒豊かな守口の百貨店ではあまり乙に澄ました雰囲気では人々は敬遠するし、かえって多少の騒音などが聞こえている方が安心する。また、こう言っては悪いが、庶民的なモチーフを描く原田泰治の絵では守口はちょうど似つかわしい。この展覧会が京都に巡回しないのは、すでに京都では何度か原田の展覧会があったからだろう。今回、会場に入るまでに入口横の売店の前を通ったが、原田の作品の額絵やその他たくさんの商品が並んでいたことが印象的であった。額絵はA3サイズ程度だろうか、1000円前後でたくさんの種類が売られていて、お婆さんたちが品定めをしていた。帰りがけにもそこを通ったので、1枚を手に取って見たところ、かなり実物に近い色合いが再現されていた。そして原田の絵はそんな商品を作るための原画として描かれたものという気がした。今ではどういう展覧会でもそうしたグッズがあるのはあたりまえになっている。たとえばニキ・ド・サンファル展では、ビニール製の空気で膨らませる蛇や犀などが2000円から5000円までの間で売られていた。よほどひとつ買おうと思ったが、生前のニキがそんなグッズを作ることを許可したのかどうか、何となく商売丸見えで、面白い商品ではあるが割高に感じてやめた。
 そうしたグッズは最初から本物は買えないので、せめてその代用にと思う人々のために作られているかと言えば、案外そうではない。本物とは全然違う、あくまでも日常に使用出来る実用品かそれに準ずる面白商品という位置づけだ。そして、ポップ感覚豊かなニキの場合はそれが似合う。原田の場合は、絵を流用したそんな突拍子のないグッズは見られないが、それでも今後はわからない。人気が出るとちょっとした記念になるものを買いたいと思う人は多く、そうした欲求に応えてさまざまな商品が作られる。平山郁夫のような大御所の画家になれば、100度摺り以上の手間をかけた木版画が本人の監修のもとに制作されて数十万円以上の価格で販売されるが、庶民派の原田であれば売れ筋の価格帯はもっと低く、つまりは1000円前後の印刷物となる。グッズの価格帯でその画家の位や質がわかるほどと言ってよい。原田の印刷額絵は原画より縮小されているから、原画より緻密に見えるはずだが、原田の実際の絵の緻密さは偏執的なものに入り込む寸前でとどまっているもので、縮小してもそこそこつぶれてしまわない程度の範囲にある。そのため、原画から受ける印象と、印刷から受けるそれとではほとんど大差がない。これは印刷を前提としたグラフィック・デザイナーのセンスがなせるもので、そのこともあってあまり原田の原画をじっくりと見たいという気を起こさせない。印刷物を介して原田の絵が庶民の末端にまで浸透するのは喜ばしいが、印刷物こそ本物で、原画にありがたみをさほど感じないでは、原田の実物の絵が芸術として成功しているのかどうか疑問なところがある。ただし、原田の描く100号近い大きな絵になると、それよりうんと小さいサイズの絵に適用されるのと同じ緻密さで画面全体が埋め尽くされるので、より迫力が増し、A3程度の額絵に縮小して味わいが再現出来るものではない。とはいえ、そうした大きな作品も、部分的に見て行けば小さい絵に見られる手法がそのまま継ぎ合わされた格好で展開している。ちょうど江戸時代に描かれた洛中洛外図のような部分ごとを子細に観察して楽しむのに似た味わいがあって、必ずしも大画面の必然性を感じない場合が多いように思う。だが、そのことを欠点と言いたいのいではない。今回は特によくわかったが、原田は細部を大切にする画家で、描かれるものすべてに等しい眼差しを注ぐ。そこに画家としての冷徹な意識を見る。
 原田は現地で実際に写生はするが、カメラも頻繁に使用するようだ。それはきっと絵の素材になるものを見つけた時のメモのようなものだろう。俳人がいい言葉を思い浮かべて、それを書き留めておくのに等しい。そうなのだ。原田の絵には日本独特の俳句に近い見方が宿っている。原田の絵は四季のどの季節、そして1日のどの時間帯かを明確に示すものがほとんどだが、それは言うなれば俳句の季語であり、そうして決められた季節や時間帯にいかにも似合う山部や田舎町、村といった場所にとって典型的な要素が用意周到に選ばれ、そして箱庭を作るように組み合わされる。そのため、原田が描いた実際の場所を訪れてもきっと同じようには存在しない。不要と思われる細部は潔く捨て去られ、季語をうまく彩るものだけで再構成された不自然な自然だ。だが不思議なことに、人々はそこにかえって本物の自然を思い浮かべる。画面全体に均質に描かれたあらゆるもののどの箇所を見ても、人々は実際そうであるような思いに囚われる。自然から選ばれ、変形され、そして組み合わされた自然が本物以上にそう見えるというのは、俳句の世界そのものだ。そのため、原田は日本画の奥深い伝統の中からそのままつながって生まれて来た画家と言ってよい。だが、原田の絵の方法に陥穽がないわけではない。原田好みの描かれる「もの」たちは、言葉でみな指定され得るもので、その「語彙」が筆者にはごく限られているように思える。それは当然だろう。それだからこそ原田風の絵があり得る。文章を書く作家でも語彙には限りがあり、その限りある中で無限の組み合わせをするから独自の文章が生まれる。確かにそうなのだが、原田の絵を順にたくさん見て行くと、ある一定のところでデ・ジャヴ感が強く働く。それは限られた語彙の中での意外な組合せに限りが生じているからだ。そこで思ったのは、原田がもしいなくなっても、原田の描いた絵の語彙をすべてデータ・ベース化すれば、容易に同じレベルの絵が生み出されるのではないかということだ。これはある意味ではどんな画家でもそうと言えるが、原田の絵は特にそれがしやすいだろう。簡単に言えば紋切り型の絵で、謎めいた奥行きというものが感じられない。そうした謎めきをもともと原田が求めていないからであろうし、またそうだからと言って原田の絵に価値がないと言いたいのではない。日本の芸術のあらゆる本質が原田の絵にはあって、むしろこれぞ現在の代表的日本画とさえ言える。
 今回とても面白かったのは原田がブラジルに取材した4点の大作だ。いずれも2001年に描かれている。サントス、アルジャー、サンタレーサ、パラチを題材にして4点とも実に素晴らしい。描かれる「もの」はみな原田特有のデフォルメが行き届き、空気感を伝える空の表現やそれを映す水面の描き方なども日本を題材にする絵と共通して湿り気をよく伝えて、ほとんど従来の日本を題材にした絵と変わらないが、それでも描かれる「もの」が異国であるため、まるで哀愁を帯びたサンバを聴く気分になれる。また、今までにない横長の大画面を日本の扇絵に内在する構図でまとめているのが面白い。これは絵の中心の最下部に座り込んで視界に入るものを放射状に眺めわたしたもので、あらゆる「もの」がみな自分に引き寄せられて見えるため、いかにも実際の場所に立ったのと同じ気分に浸れる。これは原田が両足がやや不自由であることと多少は関係があるかもしれないが、そのことを無視しても、日本独自の扇絵の構図の点で原田の野心のような意気込みをよく伝える。原田の絵は簡単に思ってしまえるほど単純ではない証拠だ。また、「語彙」という言葉でさきほど書いたことを少し撤回することになるが、原田はその語彙をどう増やすかを常に考えていると言ってよい。たとえば「夏の花」(2003)という山形県東田川郡朝日村を描いた作品では、自販機や電話、Fantaや宅急便、東北ハムの看板、換気扇、ガス・ボンベといった、他の絵には登場しない、そしていかにも懐かしい田舎の風景という絵にありがちなものとは別種のさまざまな「もの」がふんだんに描かれ、新たな「語彙」を獲得していることに気づく。もちろん、こうした語彙すらも今ではすでに原田お得意の「懐かしさを伝えるもの」になっていると言えるが、仮に原田が東京の最先端の風俗を描いても事情は同じで、きっとうまく描きこなすだろう。そうした新しい語彙を描く時にカメラが役立っているのであろうが、新しい語彙を獲得しようとする原田の鋭さにまだまだ今後の展開が期待出来る作家像を見る。
 会場の後半はクロアチアの素朴派の画家たちの作品があった。この経緯について少し書く。まず1973年の朝日新聞にイワン・ラブジンとゲネラリッチの作品が紹介された。原田が朝日新聞の日曜版に描き始めたのは82年で、この仕事は2年半続いた。原田は73年のラブジンらの紹介記事を覚えていて、85年に彼の住む村を訪問し、87年には日本での3人展『ナイーフ3人展 原田泰治とユーゴの仲間たち』の開催に漕ぎつけた。原田のユーゴ訪問は5回にのぼるが、ユーゴスラヴィアが戦火に見舞われたのは誰しも知るところで、91年にはクロアチアの独立があった。今回はイワン・ゲネラリッチ(1914-92)、エメリック・フェイエシュ(1904-1969)、マティヤ・スクリェニ(1898-1990)、イワン・ラブジン(1921~)、イワン・ベチュナイ(1920-)、ミーヨ・コバチッチ(1935-)、イワン・ラツコヴィッチ(1931-1931-2004)、ヨシップ・ゲネラリッチ(1936-2004)の8名の作品が各々2、3点ずつ展示された。いずれもナイーブ・アート美術館蔵で、これは日本にある美術館なのだろうか。全体に渋い色調とブリューゲルの絵に近い題材、そして珍しいことにガラス絵が多かった。キャンヴァスより安いためであるかもしれないが、ガラス絵は原田の印刷額絵のように複製しても味わいが出ないはずで、その点において作品のオーラはより強くある。また、作風はアクリルでからりと描く原田とは大違いで、どの画家にも風土に根ざす独自の幻想性が渦巻いていた。素朴派と呼べば確かにそうで、たとえばアンリ・ルソーに通ずるものが濃厚だが、同じモチーフを同じように日本人画家が描いても決して似た味が出ないと思わせる骨太の感覚がみなぎっており、よく見慣れたフランスやイタリア、イギリスの絵画にはないヨーロッパの土着文化の落ち着きとそしてさびしさを伝えている。それらの画家たちが原田の絵を見てどういう思いを抱いていたのかぜひとも知りたいところだが、おそらく華麗でありながらはかない、つまり筆者が感じるのと同じようなものを感じたに違いない。絵とはきっとそういうもので、国を越えても感じるものは大差ないに違いない。そしてクロアチアの素朴派画家たちが原田の絵をうらやましいとは思わなかったであろう。自分たちは自分たちの国と文化があるという誇りのようなものがどの絵からもはっきりと感じられたからだ。腰が座った絵なのだ。個々の画家についてここに書く余裕がないが、みな似た作風ながらも個性が強烈で、まだまだ世界には知らない、そしていい画家がいることを思う。最後のヨシップ・ゲネラリッチはイワンの息子で、70年代初頭よりショー・ビジネスやポップ・カルチャーの人物を風刺した絵を描いた。8人の中では特に変わった絵と言ってよい。「ソフィア・ローレン」(1973)は雪景色の背景の中、青い服を着て猫を抱くソフィアを戯画化して描くガラス絵の油彩画で、80号ほどだろうか、一際大きなサイズで迫力があった。戯画化しているとはいえ、全体に優しさがみなぎり、素朴派の面目がはっきりとうかがえる。「ジョン・レノンの舌」(1975)は、ジョンの74年のアルバム『ウォールズ・アンド・ブリッジィズ』のジャケット写真から引用した肖像画だが、あまり似ておらず、もっと優しそうな人物に仕上がっていた。それはきっとヨシップがそんな性質であったからだろう。いい画家だ。このジョンがよほど印象的であったのか、夢に出て来たことは先日書いた。
by uuuzen | 2006-04-06 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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