「
碌でなし 禄を食みつつ 勒緩め 馬も動かず 道草食みて」、「鶏頭の 脳に似る花 何悩む 真っ赤に恥じて 真っ赤に怒り」、「タネ作り 役目終えたる 命でも 赤さ褪せぬや 鶏頭の花」、「鶏頭花 夏の暑さを 集めけり 深紅の襞の 迷宮御殿」
9月になって少しは暑さが和らいだ。昨日からようやく鶏冠鶏頭の写生を始めた。もっと早く始めるべきであったと後悔しているが、今年はあまりの猛暑で、とても庭に出て写生する気にはなれなかった。したとして、はかどらなかった。今日の写真は7月24日の撮影で、夏真っ盛り、鶏頭の花も最盛期を迎えていた。背景の青空も懐かしく、しみじみと見入る。この当時から写生をしていれば200枚は描いていたが、鶏頭の花は長く咲き続けるので涼しくなってからでもよいと考えた。やがて葉に虫食いが発生し、ホルスト・ヤンセン並みにその様子を描くのもよいと思っていたのに、数日の間に虫食いは急速に進み、しかも10本咲いている花はどれも土に近い部分の葉が枯れ落ち始めた。今日の写真のように葉が揃い、花がすっかり咲いた頃に写生を始めると、葉が下から順に少なくなって行く現在の姿を描かなくてもよかったことになる。葉が全部揃い、虫食いのない状態を描けば、その後の葉落ちや虫食い状態は絵のうえで想像出来るからだ。これは20歳の女性を写生し尽くせば30代や60代の姿も絵として作り得るとの考えで、このことは正しい部分もあるが、そうでないこともある。鶏頭の花が秋まで保つことはそれなりに理由があるだろう。種子はとっくに出来上がり、葉や花に枯れが目立って来ても、それなりの見どころはある。それに葉は黄変すれば茎から落ちるとは限らず、褐色に縮みながら茎から垂れ下がる場合がある。同じことはひまわりにもあって、その様子をエゴン・シーレは描いている。枯れて用なしになった葉が茎の裾にまとわりついている様子はそれなりに面白く、筆者はそれをよく写生する。そしてそんな状態の鶏頭は、わが家ではお盆過ぎに目立って来た。そのしわくちゃに固まった小さな葉はどれも同じような形をしているので、やはり花の盛りに写生しておけばよいとの考えもあるが、20代と90代の女性はどちらも描き甲斐はある。そう考えれば、花が咲き揃った頃から描き始め、花がすっかり朽ち果てるまで毎日同じ花を写生するのが理想だ。ただし今年は暑かった。植木鉢を部屋に入れ、電灯の下で描こうかと思ったこともあるが、自然光にこだわった。ともかく、雨でない限り、精力的に描く気でいるが、10本の花では2,3枚ずつ描いて充分で、そこでもう来年は倍ほどの花数を育て、開花前から描く気でいる。一方、京都府立植物園に電話して鶏冠鶏頭が咲いているのであれば写生に行こうかとも思っているが、筆者が種子を買ったタキイ種苗が協力しているので、筆者が望む鶏冠鶏頭は「ボンベイ・ファイアー」以外にないだろう。
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