「
倍々に 記憶薄れる バイバイ後 別れは笑顔 残るは笑顔」、「黒帽子 大粒の雨 受け始め 赤傘広げ 未知の道行く」、「雨は降る わたしは行くよ 仇もなき あなたも行くよ 強い雨でも」、「宿を得ず 月夜の下の 尼僧詠む 歌忘れても 風雅留まり」

最後の歌は大田垣蓮月を急に思い出して詠んだ。蓮月の書を筆者は1点所有している。その仮名は蓮月しか書けないもので、彼女の個性をさまざまに思わせ、見ていて飽きない。蓮月が一夜の宿を断られて詠んだ歌の書はたぶん5,6点はあるのではないだろうか。その複数性は宿泊を拒まれた恨みが元になっているのでは全くない。むしろ予想外のことに出会ってもそこに風雅に思いを馳せる気持ちの余裕から、無慈悲に宿を断られたことに幸運を見ていたからだ。「ものは考えよう」という言葉を誰でも小さな頃に知るが、大人になってもそれを真実であると思って生きる人は幸福だ。不幸は不幸と思うからなおさら不幸になる。とまあ月並みなことを書いても誰も意に留めない。不幸を不幸と信じ込み、恨みをため込んで自他に危害を加えることは人間の本能でもある。ただし、本能のすべてが肯定されるものではない。本能の暴走が戦争で、やはり平和は尊い。冒頭の歌の三番目はアダモの「雪は降る」のもじりで、そう言えばアダモの姿を長年見かけない。今調べると存命していて、シチリア生まれのイタリア人とある。彼が60年代後半にヒットさせた「インシャラー」をよく覚えている。当時から不思議であったのは、なぜアラーの神にまつわる題名かということだ。そこでまた調べると、アダモは1966年にエルサレムを訪れ、現地の悲惨な暮らしを送る子どもたちを見てこの曲の歌詞を書いた。それで反戦歌とされる。「インシャラー」は「アラーの望むままに」の意味だ。歌詞の意味と考え併せるとイスラム教批判のように思えはするが、そう単純なことでは片づけられない問題があるから、今なお同地区に紛争が絶えない。60年代は反戦歌が多く、それはビーフハートの曲にも及んでいる。そのことについてはまた裏庭の白い薔薇が咲いた時の投稿で取り上げるとして、「雨は降る」に戻ると、7月21日の神戸行きは、今日の写真からもわかるように曇天で、出かける前に筆者は使うことはないと思いつつ、一番軽そうな折り畳み傘を手提げ袋に放り込んだ。大谷記念美術館を出た後、また歩道橋をわたり、西国街道に入って5分ほどすると、大粒の雨が地面を濡らし始めた。家内は先に傘を広げたが、筆者は大きな夏用の風通しのよい黒い帽子を被っているので、雨をあまり感じない。ところが次第に強くなり、両肩にその勢いを感じ始め、さすがにまずいと思い始め、ついに傘を広げて差した。ところが女性もので、真っ赤ではないか。それでもかまわない。筆者ら以外に誰も歩いておらず、また赤が目の上に覆いかぶさるのは、先ほど見た花畑の鶏頭を思い出させて気分もよい。

今日の最初の写真を撮った辺りから雨が降り始めた。その道路下のトンネルで雨宿りせねばならないほどの強い雨ではなく、2枚目の写真を撮った直後に筆者は傘を広げた。付近は別段特徴のない町で、写真から西宮市の西国街道とわかる人はまずいない。だが右に阪神電車の高架は見えず、左にあるはずの阪神高速のそれもなく、このごくわずかな区間は生活感があってよい。先ほどこの写真を見て蓮月が一夜の宿を断られて詠んだ歌のことを思い出した。それは正式な宿ではなく、普通の家の庇のある片隅を借りることなのだが、それでも断る非情な人がいたことは今でも同じか、もっと無情になっている。筆者は2枚目の写真を撮った辺りでまさか夜を過ごす羽目になるはずはないが、西国街道を歩いていてたとえば大震災に遭えば、電車は利用出来ず、歩いて家に戻ることになる可能性はある。その時、京都までの西国街道を一度でも歩いていると、4、50キロならどうにか1日がかりでも徒歩で家に戻ることは出来る。そんなことを写真を見ながら思った。3枚目の写真ではまた左に阪神高速が現われている。奧に見える横断歩道橋のある辺りで右に折れる道が西国街道であることを先日調べて知ったが、当日の筆者はそのことを知らない。下手に横道に入ると行き止まりになることをこれまで何度も経験しているので直進し続けたが、3枚目の撮影付近でも雨の勢いは衰えず、家内の怒り度は10段階の7、8になっていて、しきりに駅はどこかと訊かれた。筆者もそれはわからないものの、すぐ近くにあることはわかった。阪神電車は駅間が短いからでもある。また「雨は降る」に話を戻すと、その下の句は筆者に就いて来る家内を思ってのことだ。「ものは考えよう」と筆者が信ずるのはいいとして、つまらないことに巻き込めば家内には迷惑だ。それで次回の西国街道歩きは絶対にひとりで行けと釘を刺されているが、その機会が来ればまた筆者の口車に乗るだろう。家でひとりで寛ぐのは気楽でいいとして、筆者と見知らぬ道を歩けばそれなりの未知の体験が待っている。それは今日の写真が示すように全くどうでもいい平凡なことが大部分だが、平凡でも気晴らしにはなる。それこそ「ものは考えよう」で、平凡な未知道歩きは意外にも平凡な生活に影響を及ぼす。筆者はよく似た夢を見る。昔住んでいた家の付近やよく知る町を歩く夢だが、毎回違う場面がある。それはたとえば西国街道を歩いた時のほとんど意識に留めない眺めやそれに応じる思いの反映による。そういう夢と現実の記憶がモザイクのように接しながら新たな日常における想像や夢にまた反応する。これは「夢うつつ」ということであって、プリコラージュ的な意識を強く持った生き方でもあり、それは見方によれば詩の世界に直面していて、何かワクワクするようなことが待っている気になる。それが錯覚に過ぎないとして、ワクワク湧きは気分がよい。

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