「
雁の声 寝床で聞いて 目覚めれば 朧満月 西山の上」、「聴きたくて すぐにスマホで 満たされる サティスファクション 歌詞とは違い」、「即席の 時代の悟り いと易し 誰しも菩薩 ぼーっと察す」、「ゴッタ煮に うば玉入れて 新月煮 甘味好きの 尼のにたりや」

雨がよく降るので今月も満月は無理かもしれないと思っていると、一昨日「風風の湯」に行くために家を出た時、雲のない青い夕空に明るくて大きな月が浮かんでいた。ほとんど満月に見えるが2日前では撮影してもブログに載せる気はない。その月が「風風の湯」を出た2時間後には朧になって空高く上がっていて、雨が近いことがわかった。昨日は曇り空で蒸し暑かったが、雨は降らなかった。今日も同じような天気で、食料が切れかけたので、少しは暑さがましになったと思える夕方に、家内と一緒に嵯峨のスーパーに買い物に出かけた。大急ぎで4軒回り、汗まみれになって帰宅したのが7時半。それから急いで「風風の湯」に行った。帰りがけに空を見上げると、雲は多いが、その切れ目から満月はどうにか撮影出来そうで、帰宅してすぐにカメラを持って外に出た。空は風が強いのか、数十秒待つと雲が途切れて月は見えた。毎月京都の同じ場所で満月を撮影していると、変わり映えせず、さして面白くない。ところで、先月のムーンゴッタの投稿に書いた面白い月の写真を今日は紹介する。5月29日に
国立民族学博物館で見た企画展で、国が違えば月ががらりと違うように見えることを知った。今日の2枚目はその会場に展示されていた大きな写真を、月を中心に部分的に撮影したものだ。その写真はモンゴル人の生活を示すためのもので、月はついでに写ったのだが、写真の説明にも月が普通とは違うように見えていることが書かれていた。これはモンゴルの草原の空気が汚染されていないためだろうか。ウランバートルは発展が著しく、空気の汚染はかなりひどいというので、撮影場所はゲルが集まる地域で、ウランバートル近郊ではないということか。三日月であるのに満月の輪郭に収まっているのは、本来のあり方、見え方ではあるが、モンゴル以外に同じように見える地域があるのだろうか。あるとすればやはり空気の汚れがないからか。日本でも戦前、あるいは北海道の僻地に行けば空気はとてもきれいなはずで、満月でなくても満月の輪郭が見えると考えるならば、なぜそういう写真が紹介されないのだろう。まさかこのモンゴル展での写真が月食を捉えたものではないと思うが、写真の説明が撮影者のものでなければその可能性はある。筆者の記憶では写真の説明はすべて「みんぱく」に所属する人が書いたもののはずで、その際、この「満月的三日月」がなぜそのように見えるかをモンゴルの写真家に訊ねなかったのだろう。写真は人間の目とは違うので、この写真が撮られた時、人には普通の三日月に見えていたかもしれない。

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