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●健気に咲き続ける白薔薇VIRGO、その27(四花)
の字は 目閉じ口開け 思わせて 太閤さんは 大口なりと」、「賑やかな 狭き庭から 蝉しぐれ 生き生き虫は 蒸し暑さ無視」、「白花の モミジアオイの 咲く道に 白い日傘で 顔見えぬ女(ひと)」、「青空の 白き雲見て 遊ぶ子の 意識不思議や 神の夢かな」



●健気に咲き続ける白薔薇VIRGO、その27(四花)_d0053294_16035337.jpg 最近キャプテン・ビーフハートの曲「人間トーテムポールの1010日目」をよく聴く。昨日投稿した裏庭で育てている鶏頭の茎を毎日見上げているから思い出したのだろう。すぐに気づかないが、しばらく経って「ああ、そうか」と思い至ることはよくある。3日前の投稿に書いたように、ビーフハートの同曲で描かれる「人間トーテム」は毎日成長を続け、最下部が食事にありつけて満足するのに、頂部では飢えている。これは植物とは逆だ。鶏頭の花は茎が真っすぐに成長し、頂部の花が大きくなる頃には最下部の葉は枯れ落ちてしまう。ビーフハートが「人間トーテム」を人間社会の階層と思ったとして、頂部は上流階級で、それを下部の貧しき人々が支えるのが普遍的なイメージではないか。それに1010日間成長したその人間柱の10日目が小さな子どもの背丈とすれば、柱全体の高さは通天閣の100メートルほどになって、その頂部がゆらゆらして下方に齧りつこうとしている様子に見えることは納得出来る。ビーフハートが北米に多く見られるインディアンのトーテムポールに関心を抱く一方、その頂部のゆらゆらする様子を「歩きたがっていた」という歌詞の表現と併せ考えると、どの植物が念頭にあったのかという疑問が浮かぶ。今月2日、筆者は上桂まで歩いて散髪屋に行き、そのついでに近くのスーパーに足を延ばした。その途中、駐車場脇の狭い土地に7,8本のひまわりを植えている家の前を通りがかった。ひまわりは2.5メートルの高さがあってどれも首をうなだれ、ミレーの描く『晩鐘』の人間に見えた。大きな花が咲き、充分に種子が育った後、重みから頭部がうなだれて地面を向くのは理にかなっている。雨がよく降り、頭部が上向きであれば、密集する種子は腐ってしまう。それに下向きであれば種子が地面に落下しやすく、次の年の開花の可能性を増す。それはともかく、ビーフハートがトーテムポールを不自由で不平等な存在と思ったとすれば、トーテムに属したくなかったからだと解釈出来る。ビーフハートの曲はブルースを基礎にするが、そこから外れた奇妙なリフと歌詞で組み立てた曲に到達した。それは黒人ブルースのトーテムには属しようがない一方、白人のブルースでもない。トーテムからの脱却、逃避は半ば意識的、半ばは無意識に行なわれたと想像するが、トーテムに属さない孤独はあって、ビーフハートは二重の「荒野のおおかみ」であった。真の「荒野のおおかみ」と言い換えてもよい。ヘッセの『荒野のおおかみ』は「荒野のおおかみ」に上下があることを書いた。上は天才で、下は市民社会に馴染んでユーモアをもっぱらとする。
●健気に咲き続ける白薔薇VIRGO、その27(四花)_d0053294_16042146.jpg 今日の投稿は題名とは無関係に意識の流れをたどりかけている。その個人の意識の流れは今やAIに大きく左右されている。その大きな一例がYouTubeだ。ある投稿を視聴すると、自動的に画面右側に関連投稿が表示される。それらはアマゾンやヤフーのオークションでも行なわれていて、個人の次の関心と行動は予想把握されている。本人は自由に選択しているつもりでも、目に見えない大きな何かに操られていることも知る。それを拒否してネットを断絶して生きる自由はもちろんあるが、AIが強制示唆するいくつかの方向性の候補に、思いもかけない出会いがあることは確かだ。ただし筆者は男女の出会いを商売にするマッチング・アプリはセックスを期待する向きに歓迎されるとしても、時間の無駄ないしろくな出会いはないと思っている。話を戻して、YouTubeでビーフハート関連の投稿を見ていると、意外なものに出会った。アルバム『トラウト・マスク・レプリカ』の裏ジャケットの荒れた庭らしき場所を訪れ、半世紀前とほとんど変わらない状態で残っていることを紹介する映像だ。その斜面の庭に古い木造の家があって、そこをビーフハートとマジック・バンドは8か月間借りて毎日14時間練習して同アルバムの曲を完成させた。ビーフハートらはみなろく食べられず、ザッパの妻ゲイルがザッパの女性秘書とともに差し入れに訪れたことがある。その秘書はその時の様子をYouTubeの同投稿にコメントまでしている。因みにザッパの家からその借家までは真西に20キロほどで、借家を含めて近辺は緑が多い。そのことがビーフハートの心にどういう影響を及ぼしたかとなれば、花はあまり咲かない、言い換えれば樹木の剪定もしない自然豊かな荒れた庭に囲まれる環境から、ビーフハートの音楽が生まれたことを改めて思う。また『トラウト』の裏ジャケットはわざわざその場所を好んで撮ったものではなく、手っ取り早く借家のすぐそばを選んだに過ぎないのだが、借家を写さず、場所が特定出来ない自然らしい庭に全員がいることは、いかにもビーフハートらしさを表わしていると言っていいのではないか。その自然らしさは「人間トーテム」が収録される最後の、82年のアルバムの表ジャケットの写真からも伝わる。枯れて老いたビーフハートは帽子を胸に砂漠に立つ。妻とキャンピング・カーで暮らしていたようだが、そのことにも「荒野のおおかみ」性はよく表われている。それはそうと、マジック・バンドのドラマーであったジョン・フレンチがファンの質問に応じている2時間近いインタヴューもYouTubeにある。筆者はまだわずかしか見ていないが、ジョンがビーフハートとマジック・バンドとの関係について分厚い本を書いたことで、ビーフハートの音楽作りについてこれまであまり知られていなかったことがわかるようになって来ている。
●健気に咲き続ける白薔薇VIRGO、その27(四花)_d0053294_16044972.jpg ジョンが尽力したビーフハートの5枚組CD『GROW FINS』は『トラウト』に使われなかった庭での別写真が何枚か紹介され、やはり借家は写されない。同アルバムにはジョンの長い文章もあるが、文字が小さくあまりに密集し、拡大コピーを取らねば読めないこともあって筆者はまだ読んでいない。ジョンが書いたビーフハートに関する本に寄せられた読者のコメントを読むと、ビーフハートが『トラウト』の曲作りに関してどれほど専制的で、メンバーを酷使し、そのことに報いず、たとえばジョンの才能なくして曲作りが完成しなかったことがわかる。だが、そのことは筆者がビーフハートのアルバムを最初に利いた72年頃に想像したとおりで、何ら驚くことはない。ビーフハートは楽譜が書けず、ギターも演奏出来ず、ピアノはごくわずかでもっぱら口笛やハミングで伴奏のメロディをメンバーに聴き取らせた。それでは8か月も家を借りて閉じ籠るのは無理もない。それにビーフハートは自分の思いどおりにメンバーが音を出せないことに苛立ち、メンバーは奴隷のように顔色をうかがいながら、少しずつビーフハートの理想どおりに曲のリフを作り、それをつなぎ合わせて行った。ところが曲の権利はビーフハートがひとり占めし、ジョンに報いて名前をアルバムに記すこともなかった。ジョンはそのことを恨むあまり、本を書いたかと言えば、そうではないだろう。正確な事情を記しておきたかっただけで、ビーフハートの天才ぶりは認めている。だが、音楽の才能があるという単純な意味での天才ではない。他の誰も持ち合わせていない奇妙な何かを外に吐き出したい欲求にビーフハートは巻き込まれていて、それをいわば不自由なロックという形で表現するしかないほどに10代半ばにブルースに心酔していた。したがって自分の言いなりになるロック・バンドに飽きるか、不自由さに我慢出来なくなるか、ある一定の成果に満足すると、ひとりで完結する絵画に向かうのは当然だ。かくてビーフハートはますます絵画にのめり込んだ。その領域にはジョン・フレンチも踏み込めない。それは詩においても言える。「人間トーテム」ではビーフハートは歌わずに朗読する。もはや詩にメロディは必要なかった。メンバーの伴奏は文字どおり伴奏であって、本質ではない。ただし同曲ではその伴奏がムード作りに大きく貢献し、なくてはならないものになっている。そこにビーフハートとマジック・バンドの音楽の魔術がある。筆者がビーフハートのアルバム『オレのデカルコマニーを舐めな、ベイビー』を最初に聴いた時、LPの両面に2分に満たない短いギター・ソロ曲が1曲ずつ収録されることに強烈な印象を受けた。それをどのように写譜させ、ギタリストに執拗に練習させ、ビーフハートが望む形に完成させたのか。その曲に横溢する抒情性の美しさは比類がない。クラシックのギター曲にも同じような味わいはない。
●健気に咲き続ける白薔薇VIRGO、その27(四花)_d0053294_16065875.jpg 思惑どおりに第4段落目に入る。ビーフハートのギター・ソロ曲は4曲ある。最初は70年の『オレのデカルコマニーを舐めな』で発表された「ONE RED ROSE THAT I MEAN」だ。この曲については8年前にブログに投稿した。同曲を知って以降、『週刊朝日百科 世界の植物』でVIRGOという名前の白薔薇の存在を知り、そして5年前に苗木を通販で買って裏庭で鉢に植えた。ビーフハートの曲に倣えば赤い薔薇であるべきだが、薔薇の赤は色相がさまざまで、育てるにしてもまず白が先だ。それでも薔薇と言えばビーフハートのこの曲を思い出す。演奏はマジック・バンドに当時在籍したズート・ホーン・ロロで、彼の姿は『トラウト』の裏ジャケットに長身長髪の若者として確認出来る。10年ほど前にソロ・アルバムを出して健在ぶりを示したが、この曲に似た演奏はない。つまり、やはりこの曲はビーフハートの脳裏にあったものを引き出したのであって、ズート・ホーン・ロロの創作ではない。この曲にはブルースの香りの片鱗が随所に残っているが、それに囚われない自由さと構成がある。それは必ずしも成功しているとは言えないが、全体に漂うもどかしさのようなものは薔薇の謎めきを却ってよく説明している。YouTubeでは他者によるカヴァー演奏があって、クラシック・ギター・ヴァージョンもある。またイタリア人だろうか、ひまわり畑で他のビーフハートのギター曲とメドレーで演奏している投稿もあって、ギタリストに評価される古典曲になりつつある。さて、ようやくここで今日の題名と写真にふさわしい内容に至る。もう花は秋まで咲かないと思っていたわが家の白薔薇は前回の投稿の後、蕾を3,4個つけた。そして2,3日にひとつずつ開花したが、やはりもう力を出し尽くしたのか、どれもきわめて小さな花であった。そう言えば4年前の写真を見ると、掌ほどに大きく、その後栄養不足のため、花はどんどん小さくなった。それはそれで可憐でVIRGOの名にふさわしいが、見栄えのする大きな花のほうが開花時の感激は大きい。それはともかく、今日の写真は順に先月30日、今月1日、4日、今日で、一度に三つ咲いている時期もあったが、当然以前のふたつは花弁の縁が茶色に枯れてもの悲しさを誘う。枯れ行く薔薇はビーフハートしても眼中にないことは、同じくギター・ソロ曲「FLAVOR BUD LIVING」からもわかる。この題名の蕾がすでに香りを持って漂っている様子は、薔薇を指すだろう。わが家の白薔薇は香りは強くないが、近づいて嗅ぐとあまり薔薇らしくない強さがある。もちろん蜂やコガネムシは飛来し、花芯に覆い被さる。時にコガネムシはまるで麻酔にかけられたかのように動かない。それに先日は花の下の地面に落ちていて、拾ってまた花芯に載せてやったが、もう動かず、またすぐに落ちた。薔薇の彷徨に酔って死ぬのであれば、それも本望ではないか。
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by uuuzen | 2022-08-06 15:54 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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