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●『復讐 つんではくずし』
が 届かぬ枝に 合歓の花 毎年伸びて 庭の大傘」、「帯刀を 廃して消えた 侍は 責任取らず 卑しき顔に」、「犬猫に 癒し求める 親心 飽きれば捨てて ぺっと唾吐き」、「匿名を とくと命じて 得意顔 どうせ俗物 知性を嗤い」



●『復讐 つんではくずし』_d0053294_01165793.jpg 遠い記憶でも鮮明であることはある。昔、大阪市内のわが家があった路地で、隣りに住む4,5歳年長のSさんから漫画本の感想を聞かされた。それまでなかったことなので題名をよく覚えている。当時60年代前半は貸本ブームで、Sさんはその本を貸本屋から借りたのだ。筆者は小学生になって月刊誌の『少年』、4年生からは週刊誌『少年サンデー』を購読し、漫画代はそれ以上は母からはもらえなかった。そして小学校卒業と同時に漫画も卒業し、一切買わず、関心を持たなくなった。話を戻して、ある日の午後、Sさんは路地に置かれた床几に座りながら読んだばかりの貸本漫画について筆者に語ってくれた。「『つんではくずし』という漫画を借りたんやけどなあ。あるお殿さんが罪人に石垣を積ませて完成させた途端、また崩させて、それが済んだらまた積ませる行為を何べんもさせる話が出て来るんや……。」最近その『つんではくずし』が気になり、読みたくなった。幸い復刻本が出ていて、別の一編の『血だるま剣法』も収録されている。巻末の呉智英による長い解説から、『つんではくずし』は1961年3月には世に出ていた。当時筆者は満9歳、小学4年生の終わりだ。Sさんが貸本屋で借りたのは、筆者が小学5年生、たぶん61年の夏だ。今日はその漫画本について書くが、差別問題からどこまで書いていいのか迷う。さて、筆者は小学5,6年生の頃、母からあることを教えられた。母は近所の誰から聞いたのだろうか。指を4本立て、近所には、そして近くの市場や商店にはそういう人が暮らしていると言った。筆者はその意味がわからず、母に質問した。すると4本指は牛や豚を意味し、それらを解体し、販売する職業に主に就いている人々を意味すると言ってくれた。血が濃い者同士の結婚が珍しくなく、そのためにとても頭のよい人物や美人が生まれる一方、障害を持って生まれる場合も少ないとも聞いた。近所に何となくそう感じさせる人たちはいたが、たとえば学級の誰が被差別部落の人たちかまではわからず、また筆者にはその興味もない。子どもであればそんなことは関係なしに付き合うからだ。昭和30年代半ばは貧しい人たちが多く、他者を差別して嬉しがる気風はなかったように思う。ただしそれは学校で被差別部落のことについて教わらない子どもゆえで、大人は違っただろう。成人して筆者は水平社の存在を知り、大阪にあった差別撤廃を願う意図で設立された人権博物館に何度か訪れもしたが、財政難を理由に確か10数年前にその施設はなくなり、被差別部落の問題は、いいのかそうでないのかわからないが、より見えなくなった。
 京都でも被差別民への偏見は根強い。また京都はたとえば京都駅近くのある地区を京都市立芸大の移転先とし、部落問題が少しずつ見えなくなるように行政を進めて来ている。いつかは部落差別がない時代が来ると思うが、同じ場所に何代にもわたって住むことは珍しくなく、その意味でも住み分けは続き、ある地域の名称のみでそこの住民の素性を推し量ることは行なわれる。京都は特にその傾向が強い。それは部落問題に留まらない。祇園祭りを執り行なう中京や下京の代々続く家は、たとえば嵯峨の住民を、昔は中京まで人糞を集めにやって来ていた農民であると見下すほどだ。人は棲み分ける存在であるとしても、案外簡単な問題ではない。たとえば被差別部落の人たちが密集する地域にそうではない人は紛れ住むし、出自のみで人間を分けることは出来るはずがない。被差別部落出身でも抜群に知能に優れて高潔な人は当然いるし、何百年も公家の血筋を継ぐ人でもろくでなしはいる。棲み分けは出自に限らない。むしろどう生きているかで人は親しくなる人が定まって来るし、それは実際の交際に限らず、私淑でもよい。つまり精神の自由がある限り、自分の考えによって人は棲むべき場所を決めて行く。以前書いたことがあるが、ピエール・ガスカールはハンブルクで若い頃のフーコーと初めて会い、フーコーからブラームスが売春婦の息子であることを知らされる。それは父が誰かわからないことを意味するが、ブラームスの天才の名声はその出自を問題にしない。それゆえ名家の出を自慢するのは愚の骨頂で、他に自慢するものが何もないことを明かしている。ところが子どもが察するように、子どもでも家柄自慢、金持ち自慢をするのはよくいて、彼らは陰で嫌われる。それで子どもの頃から棲み分けは始まっている。話を戻す。隣家のSさんは両親と兄がいた。父親は工場勤めで、裕福な一家ではなかった。Sさんはさらに貧しい筆者を憐れに思ったのか、とても優しかった。今も同じ家にSさんが住むのかどうか知らないが、筆者がSさんの言ったことを思い出して書いていることを全く想像しないはずで、人間は知らない間に他者に影響を及ぼしていることを今さらに思う。それも棲み分けだ。結局人間は他者からの影響の積み重ねによるある領域に住み、それが多岐にわたり、また広い者は、より多くの人と同居出来る。ただしそのことが孤独につながらないとは限らない。孤独は前提として、どの他者とよりつながるか。それが人間だ。さて、『つんではくずし』はSさんから聞いた時に抱いた印象とはずいぶん違う内容だ。小学生の筆者がこの漫画に触れていれば、その残酷描写が忘れられず、心に傷として残ったかもしれない。70歳の今では人間が他者にする残酷なことの例はいくつも知っているので、冷静にこの漫画に接することが出来る。
 翌年発売された『血だるま剣法』は『つんではくずし』と同様、刀で人を不具者にする残虐描写に大きな特徴がある。また被差別部落出身者が主人公で、部落解放同盟から抗議を受け、出版社は貸本業者に売れずに残っていた本を焼却処分させられるに至った。その事情について本書巻末で呉は詳細に書くが、『つんではくずし』は被差別部落民については一切言及しないから、当時の部落解放同盟は『血だるま剣法』と混同視したことになる。Sさんは『血だるま剣法』も読んだと思うが、60年代初頭に残虐描写を売りものとする時代劇の漫画本があったことを筆者は今回初めて知った。だが、驚きはない。それどころか作者の平田弘史は戦後のしかるべき時にしかるべき劇画漫画を描いたと思える。残虐さを言えば、日本は戦争でそれをさんざん経験し、その残酷性は60年代に余波として続いていた。『少年サンデー』という子どもが読む漫画雑誌でも戦争をテーマにした連載漫画はあったし、表紙裏には戦闘機の設計図や戦闘機や戦艦の模型業者の宣伝が毎週載った。ただし、掲載される漫画は子ども向きであるから、『つんではくずし』のような残虐描写はなく、もっぱら笑いを中心としていた。そういう子ども向けに飽き足らない読者向けに貸本漫画が登場したのだろう。つまり棲み分けだ。『つんではくずし』は奥付に定価220円とあって、当時貸本代が1日10円とすれば最低22人以上に貸し出さねば元は取れない。ということは売れる本の数の数十倍の読者がいた計算で、貸本文化は人口が密集している大阪や東京で開花した。当時の漫画は消耗品で、原画の保存もほとんどなされず、たとえば読者に原画をコマごとに切り取って景品にすることもあった。さいとうたかをの劇画もそのようにされて初期の原画は残っていないと思う。小学生の筆者は近所の数人の兄さんたちに可愛がられ、中でもKさんからはさいとうたかをの漫画の模写を勧められ、ペンに黒インクで厚手の上質紙に模写して応募したこともある。それでさいとうたかをのペン・タッチにそれなりに馴染みがあるが、平田はさいとうより1年遅い1937年に生まれで、そのためもあって同じ劇画タッチに納得が行く。また平田の描写能力はさいとうにはない写実性が露わで、人体スケッチをかなりこなしたことが想像出来る。これはさいとうの人物描写がより記号的であるとの意味合いで、平田の人物は映画を思わせると同時に、映画では撮影出来ない視点が意識され、間近な人を使っての人体写生を盛んにしたことをうかがわせる。時代劇の劇画は白土三平がよく知られ、残酷な描写の点でも平田よりも早かったが、筆者はあまり白土の画風に馴染めなかった。よく覚えている場面もあるが、今のところその本を探して読む気はない。平田やさいとうと違って大阪文化を基盤にしないからだろう。また探すにしても膨大な作品を読む必要があり、筆者にはその時間がない。
●『復讐 つんではくずし』_d0053294_01183828.jpg 平田の描く人物は映画監督が俳優を決めるように入念な設定を施したと言ってよい。それは映画の影響を受けたことであって、また映画では表現出来ない作画を存分に駆使した。したがって平田の漫画を映画化することは無理で、CGを使えば残酷性がさらに増し、上映は許されないだろう。当時本作の読者は大いに満足したはずで、大人向けと言ってよい漫画ブームの先鞭をつけた。筆者が舌を巻くのは、『つんではくずし』が平田が24歳時の出版であることだ。漫画家が代表作をものにする年齢が平均でいくつであるか知らないが、24歳で後に読まれ続けられる作品を描くことは、ほとんどの若者が大学に行く今では考えられないことではないか。逆に言えば今の24歳は餓鬼同然で、とても本作の物語の構築や描写は無理さ。筆者が漫画本を読まなくなった中学生以降、ごくたまに『少年マガジン』その他の漫画を読む機会はあった。その経験で思ったことは、60年代の巨匠の画風の模倣が急増したことだ。言い換えれば個性の薄まりであった。師の画風にある程度似るのは仕方がないが、ちょうど四条円山派と同じようなことが漫画界に起こった。応挙や呉春の弟子の画風はみな既視感があることと同じく、70年代のたぶん後半以降の漫画を筆者は好意的に見られなくなった。細部を見ればもちろん師や先駆者にはない新しい描き方があろうが、漫画はしょせん記号の集積であり、その記号はいかに複雑化しても手のうちは知れている。喜怒哀楽を中心にそれぞれいくつかの表情を作り出せば、作者個人の漫画の大半は出来上がる。そしてそのことは60年代の巨匠が出た後は模倣と改変の時代に入り、オリジナリティが豊かなものはどんどん涸渇して行った。あるいは人物表現に新しさを画することを目指さず、物語性に重点を置くことに変わった。以上は以前にも書いた筆者なりの70年代半ば以降現在までの漫画観だが、今回平田の作を手に取り、劇画が記号性を意識せずに写実にどこまで迫れるかという、芸術絵画に伍する気概もあったことを知る。だが、映画の特徴ある俳優の顔と違って、二次元の絵では人物の個性化には限界がある。それを強く意識しつつ、平田は主人公については明治の浮世絵の伝統を継いだような美顔に描き、脇役は身近にいる卑しい顔に範を求め、そのことが主人公よりも却って迫真性をもたらしている。それを24歳の平田が成し遂げていることに驚嘆する。そのような才能はその後に出たのであろうか。前述のように70年代は、出揃った巨匠の手法をあらゆる面で模倣して組み合わせる漫画の時代になった。その流れの中で平田の描く人物はおそらく後継者を生まなかった。それは大変困難な道であるからだ。人体写生を経てその成果をわずかなコマに活用するなど、量産本意の「売れるが勝ち」の世界では成り立たないからだ。
 本書の残虐表現は漫画で可能な見世物であって、ホラー漫画のひとつと言ってよい。だが『血だるま剣法』で描かれる四肢を切られるような人物は戦争では珍しくなく、60年代初頭では国鉄環状線の京橋駅などでは白装束の手足のない、あるいは目鼻がない傷病兵は寄付を求めてよく立っていて、戦争の残酷さを子どもが感じることが出来た。戦争以外に筆者が思い当たるのは、1932年のアメリカ映画『フリークス』だ。平田はそれを見たか、映画雑誌で知ったのではないか。『フリークス』はサーカスの一団を描き、復讐を主題にする。ある美しい女性が小人の愛する男を奪い、やがてサーカス団員が協力して彼女を同じような見世物の不具者にしてしまう内容だ。本書はそれに通ずる「怖いもの見たさ」の要素が大きな特徴になっている。『血だるま剣法』の主人公は『フリークス』に登場する、刃物を口にくわえて女性を芋虫のように這って襲いに行く四肢のない黒人を思わせる。また復讐は『つんではくずし』のテーマだが、『フリークス』とは違って復讐を否定する。それは「死して神仏となる。神仏は復讐せいとは言わぬぞ……。例え木樵であっても妻を持ち、子を生み養い、一族の繁栄と平和をこそ! 秋宗殿の願いじゃぞ!」という言葉に集約されるが、この育ての親の言葉に耳を貸さない息子は、「お父にだって責はあるんだ。復讐しても一族の繁栄位やってみせらーっ」と反逆し、やがて自分以外の一族を絶滅させた敵方に入り込み、その殿を不具者にし、また敵方の多くの女に子どもを産ませて復讐を果たしかけるが、もう一歩のところで死ぬ。そして養父ひとりが生き残り、『つんではくずし』の物語を書き記すところで終わる。復讐の虚しさを訴えてはいるが、この漫画の見どころは敵方の殿を殺さずに不具者にし、石垣を積んでは崩させる作業を何度も他の罪人とともに行なわせるなど、陰湿で執拗な復讐劇にある。その点が『フリークス』からの影響を思わせるが、本作以前に人間の肉体に残酷な処置を施す例はいくらでもあり、そのグロテスク性が日本の漫画でも表現を得た一例で、本作以降、同様の残酷さをテーマにした漫画はおそらく珍しくないだろう。エログロナンセンスは戦前から盛んで、それは漫画で表現しやすかった。本作は吹き出しの言葉が半ば現代調で不徹底だが、映画の時代劇が盛んであった頃に生まれた作品で、今はもう望めない。日本的なものを排除して行った現在、漫画は却って国際的な人気を獲得した。本作を評価する外国人がいるのかどうかだが、侍を好むのであれば、本作から汲み取ることは大きいだろう。ビートルズが日本に入って来る前夜に描かれた本書は、部落差別の問題も含め、日本人の陰湿さ、憎悪が何をもたらすのかという陰の、つまりグロテスクな面を表現している。それは刃物による狂気で、銃ででの死はドライで、怖さはきわめて少ない。
 もう一段落書く。巻末の呉による解説はもっぱら『血だるま剣法』についてのものだが、本書発売当時に部落解放同盟から抗議があったことに触れ、復刻するに当たって読者に誤解を与えないように平田の間違いを訂正した旨を記す。そのため、伏字が散見出来る。解放同盟による抗議はもっともなところがありながら、深読みと思う人もあるはずで、その抗議によって却って部落差別が助長されはしないかとの一抹の危惧を覚える。平田が部落問題をどう思っていたかだが、差別に憤り、復讐の思いを抱える主人公の壮絶な努力を擁護している。ところが最後の場面で四肢を切られた主人公が刀で串刺しにされて死に、周囲の武士たちが安堵の大笑いをし、主人公の復讐心は勝利したかに見えてそうではないことが暗示される。この復讐の鬼と化して圧倒的武力を持った男の死に対する周囲の嘲笑は、部落解放同盟には侮辱と映った。表面的に見れば、厄介な存在が消えて周囲が安堵したというだけのことだが、部落解放同盟は主人公が部落民であることは、読者に差別を植えつけるために周到に組み立てられたと考えた。そういう判断は読者がすればいいことだが、差別助長を促しかねない誤謬が伏字にされたことがこの漫画の魅力を減退させているかと言えば、呉の解説が手伝って、あり得ないと言ってよい。ともかく部落差別を主題にした漫画が60年代初頭に生まれたことは、当時の部落差別問題が根強かったことを想像させ、その後の人権保護運動の活発化と符合する気がする。日本の記念切手に「世界人権宣言10周年」を謳ったものがあって1958年に発売された。筆者はその10円切手を小学6年生で入手した。『血だるま剣法』は世の中の人権保護の機運の高まりに応じたものであったと思える。つまり平田は部落差別問題を明らかにし、差別する側を糾弾する意図があった。それが逆に差別を増長させると抗議されたことはいかに部落差別問題が一筋縄では行かないことを伝える。差別問題はその後、「言葉狩り」を生み、現在もそれが続いている。たとえば筆者はこの投稿に「不具者」という言葉を使っているが、それはワード変換で出て来ず、今は使ってはならないのではないかと畏れている。かといって「身障者」もいい表現とは思えず、適当な言葉が見つけられない。使う言葉に明白な差別の意図を込めるのではなければ別段かまわないではないかとの思いは、たとえば『血だるま剣法』からも言える気がするが、今はそれでは駄目だと糾弾される。肉食の西洋ではどの村でもみんなが豚や羊を解体し、明らかな職業差別はないと思える。日本だけなぜ偏見が生まれ、今もそれが半ば地下に潜って続くのだろう。差別される人間が残虐な仕打ちに遭い、それで復讐を企てて相手を殺害するという物語の根にあることは、人間の普遍性とも言える。それは形を変えてSNSでも生じていることだろう。
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by uuuzen | 2022-08-04 23:59 | ●本当の当たり本
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