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●『やっぱりおおかみ』
液を ずいずい吸うは 随意なり 図々しくも 随喜の域に」、「狼は 大きく噛んで 言葉なし けとあざけるか けけけと笑い」、「放浪の 狼は良き けものなり あちこち歩き 脳は活発」、「狼は やっぱりひとり つっぱりて ユーモアありて アモールもあり」



●『やっぱりおおかみ』_d0053294_17401318.jpg ここ数日の話つながりとして今日は佐々木マキの絵本『やっぱりおおかみ』を取り上げる。倉庫代わりにしている隣家のどこかにあるはずだが、調べるのが面倒で、今日の写真は98年に兵庫県立近代美術館で開催された『絵本原画の世界』の図録に掲載される本書の原画図版からいくつか選んだ。一昨日は本書の出版が1974年と書いたが、73年が正しく、10月号の福音社刊『こどものとも』第211号として世に出た。本書のわずかな吹き出しに書かれる文字は「け」の一文字で、筆者は最初にそれを見た時、英語でどう訳せばいいのかと思った。「K」では何の省略かわからず、「DAMN」のつもりで「D」と書いても意図は伝わらない。そう考えると「け」はとてもよく考えられているが、「ち」ではどうか。もちろん「ちぇっ」の省略で、これなら「SHIT」の「S」が使えそうな気もするが、「S」と書いて「SHIT」の意味が伝わるだろうか。それはともかく、本書以前にイエラ・マリなどの文字のない絵本があって、本書はほぼその部類に属するが、となれば外国向けも考えて吹き出しをなくしても本書の意味は通ずるのではないか。確かに「け」の一語は本書の主人公の思いをよく伝え、本書を子どもに与える親はその言葉の意味を説明するだろうし、そのことで子どもは一音で思いを伝え得る不思議さも学ぶが、文字があることで意味は限定される。主人公の狼は孤独を好むあまり、羊や豚、牛などの集団で生活する連中を侮蔑する性格づけが鮮明になり、大多数の読者がそうである集団生活者側は、「荒野のおおかみ」的存在すなわち一匹狼のアウトサイダーからは嫌われていることを認識し、狼を避けることが正しいと思うようになる。ただし本書の「け」は相手に聞かせるためではなく、独り言だ。狼は目が描かれず、黒い影のような存在として登場するが、そのことは集団生活者側からすれば狼は生活の中における不安な存在、つまりいつ襲って来るかわからないという天敵の象徴になっている。それは草食動物を襲う肉食動物がいるという現実を描いた絵本との解釈だが、もちろん前述のように大多数は家庭を持ち、村や町といった地域社会を構成する動物であり、狼はそこから疎外されてと言うより、本来孤立して生きるのであるから、本書はただその事実をわかりやく伝えるものと読み解いてよい。また大人はヘッセの『荒野のおおかみ』のように、人間社会においても他者と心からの付き合いが出来ず、孤立を深める者がいることのたとえとして本書を解釈するだろう。
●『やっぱりおおかみ』_d0053294_17405564.jpg 今日の最初の写真は表紙の原画で、そこには題名はまだ書かれていないため、本書の題名は原画が描かれた時点で決まっていたかどうかはわからない。題名の「やっぱり」は、狼の孤独性が草食動物とは相容れないもので、狼の運命を示している。それは初めからわかり切ったことだが、孤独な狼が他の動物の家庭や集団の生活の営みを目撃し、それらを「け」の言葉で侮蔑するのは、狼自身が自分はやっぱり狼であることを再確認することを伝え、そこにはきっぱりと自分の本質を納得する潔さがある。言い換えれば、本書の狼は孤独に対して諦めがついたように見えはするが、むしろ群れる連中を軽蔑し、孤独を孤高と思って積極的にそこに踏み込もうとする覚悟がある。これは人間も持ち得る。それで『荒野のおおかみ』のハリー・ハラーのような人物が存在する。ただしハリーは孤独から自殺願望を抱き、そこから脱出するのに、崇めているゲーテやモーツァルトとは違って現実に生きるパブロやヘルミーネといった別の「荒野のおおかみ」的な人物との出会いが必要であった。ただしパブロやヘルミーネがハリーにとって実在したかどうかは同書では曖昧にされている。ハリーがラジオから流れるモーツァルトの音楽を結局受け入れることからすれば、ハリーにとってパブロやヘルミーネは遠くから見つめるだけの人物であってもよく、同じ時代を生きる人物のうちに同類の存在を認めることが、孤独を癒すことにつながると読み解くことが出来る。そこからは現在のSNSの積極的評価も下され得るが、『荒野のおおかみ』はネット技術の出現を予期し、それをつまらないものとハリーが思うことも書かれる。ほぼ100年前の同書にはさまざまに切り込める場面があって、一昨日と昨日の投稿はそういう思いのたまたまの即興的綴りであって、別の日に書けば全然違った内容になる。また同書はそのことにも言及している。次の瞬間の行動の可能性はほとんど無限にある。それでハリーはたまたま入った店でヘルミーネに会い、パブロと知り会う。それは小説の中では必然として扱われているように見えるが、ハリーにすれば偶然で、同店に行かねば相変わらず沈んだ人生のままであった。ただしそれでは小説にならず、また同書では前半部が放浪するばかりのハリーであるのに、ヘルミーネと知り合ったことで新たな人生の切り開きを自覚する。これは生活を変える手立ては、とにかくうろつくことが肝心であることを意味している。その代表的動物が狼であり、その放浪は本書の絵本でも示されている。ただし本書の狼はやっぱり孤独を確認し、ハリーにとってのヘルミーネやパブロは別の場所すなわち荒野で見つけるしかなく、実際にそうするだろう。もちろんそのことまでは本書は描かないので、本書を手に取った子どもが大人になって『荒野のおおかみ』を読むことを勧めたい。
●『やっぱりおおかみ』_d0053294_17413431.jpg
 話題転換。佐々木マキは京都伏見の在住で、筆者はその大きなマンションが間近に見える道路を車に便乗して走ったことがあり、その時「あのどこかの窓に佐々木マキがいるのだな」と思った。その30年ほど前の眺めと思いを今でも鮮明に思い出せる。当時筆者は佐々木の絵本を図書館から借りるなどして次々に目を通した。息子は当時小学校に入る以前で、『ムッシュ・ムニエル』が一番気に入ったが、90年前後だ。それはともかく、狼は佐々木の他の絵本にも登場し、その描かれる形は本作よりもより写実的具体的で、完成度は本作のほうが高く見える。前述のように目を描かないので記号性が増し、その意味で覚えやすいからだが、写実から記号化に進むとの考えが正しいとは限らない。筆者は本職の友禅では花の写生を元に独自の文様を作ることを続けて来ているので、佐々木が描くどの狼よりも本作の黒いシルエット風なものが完成度が高いと思うのだが、それは本作において狼がいつもほとんど同じ形で描かれるからでもある。そのため、本作の狼はたとえばTシャツのプリントにそのまま使われ、佐々木が生んだ動物キャラクターの中では最も有名なものとなっていて、そのことからは佐々木本人が「荒野のおおかみ」を自認していたことを思わせる。その点はある程度筆者も同じだが、筆者は狼の柄ではなく、独立独歩で荒野に生きているとしても、せいぜい頼りない兎がいいところだ。これは兎の年の生まれであることからの思いだが、兎は狼と同じ荒野に住みながら肉食ではなく、草食でこっそりと生きている点でも筆者には似つかわしい。そのこともさておき、筆者は本作の狼のフォルムに影響を受けている。それはホームページやこのブログのヘッダーに表わしている黄色い二頭身のキャラクター「マニマン(宝珠男)」で、これも本作の狼と同じく目はない。ホームページでの説明を改めて書くと、このマニマンは母が八卦で見てもらった筆者の保護色である水の透明を色に置き換えた黒が本来の姿だ。そこでその「黒」の篆書体を立体人形化し、紙粘土で作ったものを画像加工して黄金色に変え、それを暗闇に置いている。孤独でありながら内面から輝いている、すなわち生活に充足しているとの思いの反映でもあって、本書の狼とはやや異なる。本作の狼は絵本の最後のコマで、今日の3枚目の写真の家並みを眺めていることが暗示される。そこには市民の生活を客観的に見つめる思いがあるが、それはザッパの曲「CITY OF TINY LIGHTS」の歌詞そのままと言ってよく、ザッパも「荒野のおおかみ」を自覚していたと思わせる。すなわち、佐々木はロック時代の絵本作家で、73年に描かれた本作は、ひとまずロックが進化し続けてその頂点に達した頃を反映している。当時佐々木は27歳で、音楽家も同じだが、最高傑作を生むべき年齢であった。
 半世紀前のロックを今も若者が聴くが、半世紀の間に大衆音楽は大いに変化した。先日紹介したモンゴルのバンド「THE HU」はその一例で、彼らはロックが培ったさまざまな要素を引用しつつ自国の楽器を使い、思想を歌う。彼らの曲「WOLF TOTEM」についての投稿の最後にキャプテン・ビーフハートの「人間トーテムポールの1010日目」に触れた。この曲は最初76年に録音され、82年に再録されてアルバムに収められた。同アルバム・ジャケットの彼の写真は42歳よりもっと枯れて見える。ビーフハートは自作を積極的に売り込んで収入を得ることに熱心ではなく、30代半ばにザッパと再会した時は紙袋ひとつを持ったホームレス状態であった。その姿は売れなくなったミュージシャンの末路を体現して哀れさを誘うが、本人は気楽でもあったろう。先日紹介した写真集『アイム』で紹介される大阪在住のホームレスたちも悲壮感はさほど顕著ではないからだ。不運があっても、自分で決めたように生きられることは幸福でもある。野垂れ死にする自由は人間にはある。もちろん死ぬのは嫌でも、憐憫の眼差しを受け続けることは耐えられない。TVによく出るお笑い芸人がしばしば「もっと稼ぎたい、大金持ちになりたい」と発言し、筆者はそれを聞くたびに辟易する。大金を稼いで世界でも稀な車を買ったり、高級マンションをいくつも所有したり、ついでに若い女性を何人も愛人にすることが夢だとすれば、そんな虚しいことはない。ただしそう思わない俗物が常に大半を占めるので、酷い事件が起こり、裏切りや争いが絶えない。ビーフハートはそのような金稼ぎレースに最初から加わる気はなかった。「人間トーテムポール……」の歌詞はそのことを如実に反映し、彼が人間社会を冷ややかに見つめ、自由に好きなことをする人生を選んだことを示す。つまり「荒野のおおかみ」そのものであった。ビーフハートの人生は、ヘッセが『荒野のおおかみ』が、「彼らの中で最も強いものだけが、市民世界の雰囲気を突破して、宇宙的な境地に到達する。……少数のものが絶対的なものへの道を見だし、讃嘆すべき形で没落する。彼らは悲劇的な存在である。その数は少ない。」と書くことの一例と言ってよく、「人間トーテムポール……」はビーフハートがたどり着いた最後の境地で、その絵画的な詩は他の誰も作曲しない伴奏と相まって、ロックのトーテムには属さない特異性を輝かせている。ビーフハートがトーテムに属すとすれば、それは「自由」であって、「荒野のおおかみ」だ。ただし彼はザッパ同様にユーモアもあって、自己を客観視してどのようなことも笑い飛ばすことが出来た。以下に「人間トーテムポール……」の歌詞を訳しておく。ビーフハートはそこで人間を巨大に伸び続ける植物のように捉え、その地面に固定された不自由さを人間社会になぞらえる。

The thousandth and tenth day of the human totem pole. 1010日目の人間トーテムポール
The morning was distemper grey, 朝は鈍色だった
Of the thousandth and tenth day of the human totem pole. 人間トーテムポールの1010日目の
The man at the bottom was smiling. 一番下の男は笑っていた
He had just finished his breakfast smiling. 朝食を食べ終えたばかりで
It hadn't rained or manured for over two hours.2時間も雨は降らず、養分も与えられず
The man at the top was starving. 一番上の男は飢えていた
The pole was a horrible looking thing ポールは恐ろしく見えた
With all of those eyes and ears どの顔の目も耳も
And waving hands for balance. そしてバランスを取りながら両手を広げていた
There was no way to get a copter in close ヘリコプターは近づけず
So everybody was starving together. それでみんなが飢えていた
The man at the top had long ago given up 一番上の男はとっくに諦めていた
But didn't have nerve enough to climb down. けれど下りて来る度胸はなかった
At night the pole would talk to itself, 夜にはポールは自身に語りかけ
and the chatter wasn't too good. そのおしゃべりは気味が悪かった
Obviously the pole didn't like itself, 明らかにポールは自分を嫌っていて
it wanted to walk. 歩きたがった
It was the summer and it was hot 夏になって暑くなった
And balance wouldn't permit skinning to undergarments.下着を脱ぐことが許されずにバランスを保っていた
It was an integrated pole,それは組織化された柱で
it was taking on an reddish brown cast. 赤茶色に染まっていた
Exercise on the pole was isometric, ポールの動きは限定的で
Kind of a flex and then balance 少しは融通が利き、そしてバランスを保った
Then the highest would roll together, 最上部はみんなを巻き込もうとし
The ears wiggle, hands balance.耳がくねくね動き、両手はバランスを取り
There was a gurgling and googling heard ガボガボ、ゲロゲロと音を発した
A tenth of the way up the pole. ポールの10日目の高さのところに
Approaching was a small child 小さな子どもが近づいた
With statue of liberty doll.「自由の女神」の人形を持って

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by uuuzen | 2022-08-03 23:59 | ●本当の当たり本
●『荒野のおおかみ』続き >> << ●『復讐 つんではくずし』

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