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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●富士正晴と竹藪、アゲイン
破され もっと武器をと cryかな 負け戦では 言い草ならず」、「売るくらい あればよけれど なき資源 日露戦争 今なら敗れ」、「どないする どないも出来ず 飢えるのみ 植えては遅し 職と食なし」、「街道を 外れて北に 丘があり 桃源郷の 趣残し」



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昨日の続き。ほとんど2か月前のことを細かく書いている。何事も興味のある範囲で見え方が異なる。筆者は自分ではそれなりに趣味が多いと思っているが、何分お金をかけないのでブログに毎日ごちゃごちゃ書いても読んでくれる人は少ない。あっ、昨日はブログランキングの「クリエーター」部門143件で初めて第2位となった。因みにもうひとつ登録している「日々の出来事」部門2654件では50位で、その辺りが筆者の限界のようだが、まあどうでもよい。ついでながら、このexciteブログの「第6回プラチナブロガーコンテスト」では「メルボルン美味しい生活」が大賞を獲得し、その宣伝が画面いっぱいに毎日の投稿時に表示される。「日本美味しい生活」ではまず誰も注目しない。インスタグラムと同じで、華々しい生活を伝えるものが人気を博す。その点筆者のブログは全くの落第だが、これもまあどうでもよい。以下本題。西国街道と茨木亀岡線の交差点よりひとつ西の四辻を北進したのは、予想に反して期待外れであった。ただし昨日書いたように耳原古墳の発掘を知り、思いを新たにした。ともかくその四辻で家内を待たせ、そこから北に歩いたとして、家内はもっと殺風景な様子に失望したろう。ともかく茨木亀岡線に出て、そこから安威に向かった。今日の最初の写真は交差点の地名表示で、「安威」が「AI」と書かれていることが面白い。「安威」は「愛」に通ずるといったところで、地元に住む人には郷土愛があるだろう。今日の2枚目の画像はまた「今昔地図」から取ったが、右の地図の赤丸点が安威の交差点で、それが左の地図の戦前では田畑のど真ん中にあったことがわかる。その状態は戦後間もない頃まで変化しなかったはずで、富士が阪急茨木市駅に向かう時は南方の低地がはるかに見通せたはずで、たぶん阪急電車も見えたと想像する。左の地図の青線は西国街道、縦の赤線は阪急茨木市駅と富士の家を結び、富士はその道を歩いて駅と自宅を往復したはずだ。なぜならそれが最短距離で、しかも田んぼの畦道に踏み込まずに済むからだ。28日は帰宅後に改めて富士が住んだ家の住所を調べ、そこと駅を結ぶ最短距離を考えた。そしてその推察どおりに歩き直すことを決めた。もちろん民族学博物館が最大の目的で、あまった時間で安威を再訪することにした。2枚目の地図で興味深いことは、戦前の茨木亀岡線は安威の交差点から北200メートルほどで途切れて北西に延びていることだ。また当時の茨木亀岡線は道幅がたぶん半分以下であったはずだ。その北西に延びている坂道を上り、少し北進した東側の竹林の中に富士の家があった。
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 つまり富士が駅に向かう際、ほとんど必ずその坂道を降りたに違いなく、5月28日の深夜、筆者はネットで地図を見ながら安威の交差点からその坂道を上って北に向かうことに決めた。その坂道は富士の家を駅前から車で訪れる人は必ず通ったはずだ。今日の3枚目の写真は茨木亀岡線の西側歩道から北西を臨んだものを横に2枚つないだ。田植えが終わったばかりの水田に浮かぶ丘あるいは山の向こうにちょうど夕日が沈もうとしている時で、何とも悲しいような虚しいような郷愁のような思いに誘われた。富士がたとえば大阪市内に出た後、帰宅する際に茨木亀岡線の歩道を歩き、今日の3枚目と同じ風景を四季を通じて眺めたはずで、またその時はもうすぐ家に着くことを思って安堵したであろう。写真では左手に鉄筋コンクリートの建物がひとつ小さく見える。西安威にある追手門学院大学で、筆者の古くからの知り合いである京都の高齢女性の長男がそこを卒業した。60年代半ばに同大学が出来た時にはそのガラス張りの建物はなかったであろう。今回地図で正確な場所を知ったが、同大学の2キロ西にTVのコマーシャルでも馴染みの梅花女子大がある。そこに家内の姪が通っていたが、阪急茨木市駅前から送迎バスを利用していたはずで、安威も西国街道も全く知らないと思う。話を戻す。筆者が生まれ育ったのは家が建て込んだせせこましい大阪市内の下町であった。それでも夕方は同じよ。うに日が落ち、子どもはみんな家に帰ってもの悲しさが支配した。わが家では母終日働きに出ていたので、夕暮れは母が帰宅する待ち遠しさもあったが、待つ間のさびしさもあった。そして今の筆者に母はなく、母が帰宅していた時刻に見知らぬ茨木市内の田舎を歩き、まだ目的地に着いていない。だがそれは楽しみでもある。ともかく先を急ごうという気になった。もう1枚すぐ近くで撮った写真に、手前に白の木槿の満開の花を収めたものがあった。それは構図その他富士の住んだ丘を象徴するに最適な写真に思えたのに、残念ながら写っていなかった。それはともかく、つないだ2枚の右の写真は遠方の左右にこんもりと竹林が見える。そのうち左に前日家内と訪れた。富士が住んだのは右の竹林だ。そこに行くには前述の東北に折れる坂道を上ればよい。地図で知っていたが、坂道の上り口に政治結社があり、その看板が目に入った。「神…」とあるので神道系の右翼だろう。坂は案外急で、また西国街道にやがて交わるにふさわしい古さ、あるいは貫録のようなものがあった。坂の途中で大きな犬にけたたましく吠えられ、その犬のそばに立ってこちらをじっと見る高齢の女性が目に入った。一瞬驚く筆者は明らかによそ者に見えたであろう。安威の丘は狭い地域で、住民の数は知れている。それでも来客はあるはずで、筆者はその気分になって犬から遠ざかった。坂を上り切ると犬の鳴き声は遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
●富士正晴と竹藪、アゲイン_d0053294_21023760.jpg

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by uuuzen | 2022-07-24 23:59 | ●新・嵐山だより
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