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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●西国街道、その21
徳なく くどくど言えば 毒になり さらりと一言 悟らぬは無視」、「どくどくと 毒飲ませ過ぎ ああ死んだ 殺すつもりは なき爺は泣き」、「口説こうと 言葉重ねて 嫌われり 無口演じて 神秘と言われ」、「この道は 昨日来た道 ああそうだ 緑に塗った 通学路あり」



●西国街道、その21_d0053294_12545039.jpg
昨日の続き。耳原小学校は西国街道に面してはいないが、校庭や校舎を左に見る道路を北上すると見覚えのある西国街道に至る。見覚えというのは道路の端の歩道分が緑色に塗られているからだ。地図で見ると西国街道はとても狭い。江戸時代と変わらぬ道幅で、拡幅するには何代も住み続ける旧家に立ち退いてもらう必要がある。それをするより田畑に広い道を造るほうが安くつく。それでも西国街道に車が走らないことはなく、耳原小学校付近では歩道分を緑色に塗り、電柱に「こども飛び出し注意」のシートを巻き、「飛び出しボーヤ」の看板を点在させ、さらには路面に大きな白い文字で同様の注意を促す言葉を書く。そういた配慮で児童が交通事故に遭うことがなくなることはないにしても減ることは確かであろう。それでも暴走自動車が登下校中の子どもに突進する事故はたまに起こり、自宅前で存在に気づかない幼ないわが子を轢いてしまう事故もよくある。車の便利さは車特有の不幸をも抱えていて、何事も功罪はある。「功罪を 問わさぬ空気 作る罪 にせもの民主 勝ち組イエス」、「イエス様 殺され神に 祀られて 下賤な者の 商売の具に」、「仲間たち そろそろ消えて くれるかな 少しはましな テレビ見たいし」説明は不要と思うが、今日の最初の写真は西国街道に至って東向きに撮った。2枚目は次の四辻で、前日つまり5月28日は午後1時過ぎに家内を写真の左下に見える円柱の石を指しながらそこで待つようにと言った。その石に腰かける人がいるとは思えないが、一休みするにはちょうどよい。ただし車は道路を横断するのかと思って停まるかもしれない。もちろん家内はその石には座らず、写真左手の北方への道に少し入ったところで立って待っていた。その時間が30分近かったことは以前書いた。日当たりがきつく、またさぞかし退屈であったろうが、筆者と一緒にさらに歩くよりはよかったであろう。ともかく前日に撮影しなかったので、記念と言えば大げさだが、29日は必ず撮ろうと思った。3枚目の写真は西国街道をさらに東に進んで細道の南側を見たもので、赤い球体の給水タンクが沈む太陽を思わせるのが面白いと思った。実際そろそろ日没で、先を急がねばならない。そう思って前日歩こうと思っていた道に差し掛かった。それは茨木亀岡線よりひとつ西の四辻だ。前日はその角で家内を待たせておくべきと思ったのだが、2枚目の写真の四辻まで戻るのは面倒で、また戻ったところで家内をまた東に向けて歩かせると怒りを買う。それで28日は西国街道北の耳原地区の新興住宅地際を北上し、やがて水田の畦道をジグザグに歩く羽目になったことは以前書いた。
●西国街道、その21_d0053294_12551297.jpg
 さて茨木亀岡線の歩道を歩きたくなかったのは、車の往来の激しさを目にしたくないからだ。それで筆者はここ4、5年はスーパーでの買い物も通い慣れた梅津に行かなくなり、嵯峨の4,5軒を利用するようになった。梅津では四条通り沿いにスーパーがあり、その前の交通量の多さは嵯峨の新丸太町通りのたぶん10倍から20倍はある。話を戻して、茨木亀岡線のひとつ手前の四辻を北上する気になったのは、遠くに高架下のトンネルが見えたからでもある。5月29日はそこをくぐってさらに北に進み、地道になったところで東に折れて茨木亀岡線に出た。今グーグルのストリート・ヴューを確認すると、地道をそのまま北上出来ることがわかる。またトンネル上の高架がなぜ設けられたのかだが、これがよくわからなかった。高架道路の西は地図によれば耳原古墳だ。その北に水田が広がり、南は西国街道に至るまでに児童公園や自治会館、寺などが密集する。28日は待たせていた家内と同古墳西端の道路を北に歩き、東側は視界を遮る塀が続いていた。筆者はそこも個人所有の田畑かと思ったが、現在古墳の発掘中で一般人は立ち入ることが許されない。高架道路は茨木亀岡線から続き、その一か所のみの出入口はフェンスで囲われ、普段は「関係者以外 立入禁止」とされている。高槻市と同様、茨木市内は西国街道北方に古墳が点在し、発掘調査後は古墳公園として整備されるのだろうか。さらにストリート・ヴューで調べると、茨木亀岡線からの出入口には6,7年前までは「帝人株式会社 大阪研究センター」と記す横長の石碑があって、敷地周囲は樹木で囲われていたが、同社の建物とともに撤去され、シートで覆われて発掘作業が始まった。同社がどこかに土地を売却し、新たに何かを建てようとしたところ、茨木市が発掘調査を要求し、それが一段落するまでは、また発掘の成果いかんでは、敷地の一部か全部が古墳公園になるだろう。これも今知ったが、28日に筆者と家内はもう少し西にある「耳原西古墳 石室移築地」に突き当り、その北辺を西に歩いて西国街道へと南下した。「移築地」を示す看板に気づかなかったが、住宅地の中にあって四方をフェンスで囲い、樹木が生えた特異な場所で、太秦の蛇塚古墳の雰囲気がある。古墳の石室を同地に一時的に保管しているのか、今後もそのままなのかは前述の耳原古墳の発掘次第であろうか。高槻の今城塚古墳のように見学施設を兼ねて整備されれば市民の憩いの場所としてそれなりに賑わうはずで、西国街道北の安威地区に至るまでの間の殺風景さも少しは解消される。だが市の財政と関係する問題で、すぐ近くに高槻の今城塚古墳があるのにそれと競争して勝ち目はあるのかという議員の言葉が強ければ、マンション用の土地として売却される。そうなる可能性が強いと思うが、地元住民はどう思っているのだろう。筆者はもちろん古墳公園になればまた出かけたい。
●西国街道、その21_d0053294_12552774.jpg

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by uuuzen | 2022-07-23 23:59 | ●新・嵐山だより
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