「
井戸水を 注いで待つや 双葉かな 用意万端 今年こそ咲け」、「土に水 光と世話で 花が咲き 人の笑顔は 何して咲くや」、「若冲の 鶏の絵の 鶏冠見て 鶏頭の花 いと懐かしき」、「鶏頭の 古き品種の 素朴さは 誰も好まず 絶滅したり」
今年こそ本気を出して鶏頭の花を裏庭で咲かせようと思い、京都で有名なタキイ種苗から通販で鶏頭の種子を一袋買った。同会社の通販ページには10種ほどの鶏頭があり、そのうち最も古典的と思える「ボンベイ・ファイヤー」という品種を選んだが、その写真は筆者が幼ない頃に見かけ、母に名前を教えてもらった鶏頭の花とは違うように感じる。それでも仕方がない。種苗会社は遺伝子操作も援用して、より見栄えのよい、発芽しやすくて丈夫な新品種を毎年作出し、半世紀前と同じ鶏頭の種子はどこにも売られていない。おそらく田舎では誰も世話せずに勝手に毎年開花しているが、珍しくないので誰も注目しない。花にも流行はある。芸能人の整形手術があたりまえの時代で、二次元の漫画キャラクターの顔を真似する化け物好みもおかしいと思われないのであるから、街中で売られる花はその風潮に応じて当然だ。より鮮やかな色、形もよりグロテスクなものが喜ばれる。鶏頭もその例にもれず、久留米鶏頭は代表と言ってよいが、もっとぎょっとさせられる色と形の種子が売られている。先月気づいたが、嵯峨のスーパー近くの花屋の店頭に20種ほどのアジサイの鉢があった。どれも初めて見る風変りな色や花形で、筆者はどれもほしいとは思わなかった。その点、わが家の玄関脇の青いアジサイは素朴でよい。もっと素朴で可憐な青いアジサイが嵯峨の鹿王院近くにひっそりと咲いていて、筆者は毎年その開花を楽しみにする。誰も世話せず、勝手に咲いては散るのでなおさらで、花屋で売られる装飾性が増した新品種とは全然違う美しさがある。人間も同じだ。今はとにかく目立ちたがり屋が人気を博し、金持ちにもなって勝ち組を誇るが、アホらしい。真に美しいものは世間の片隅でぎりぎりひっそりと咲いている。本当はそういう鶏頭の花を育てたいが、不思議なことに筆者が動き回る範囲では自生の鶏頭は全く見かけない。それはさておき、今日の写真は5月25日の撮影で、一袋に20粒入っていた種子を、袋の説明にしたがってセルトレイに2粒ずつ植えたばかりの状態だ。鶏頭の花ひとつで数百の種子が出来るから、20粒はあまりに少ないが、これは大切に育てろとの意味と受け取る。「ボンベイ・ファイヤー」はボンベイ、インドの燃えるような花を意味し、インド更紗を連想させる名前だが、生産地はアメリカとある。若冲が描いたように300年前には京都にあった花だが、実際はもっと昔から中国経由でもたらされた。インドにアメリカ、世界中でこの花は好まれている。南方の花であるのでグロテスクさが特徴だが、炎が燃えるような形がよい。
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