「
陥落の 後の始末は 粛清と 人は戦い 殺しを好み」、「ポンペイの 遺跡示すは 凡平の 人の営み はかなきことを」、「何となく 嫌な味する 人ありき 毒気に冒され いずれは自滅」、「ぺらぺらと 意味なき声の 断絶は 喜劇悲劇の 価値あらず」

この1週間、デスクトップ・パソコンを1階に下ろしてブログを書いている。ノートパソコンは3階に上げ、処分しようかと思っていたが、今朝デスクトップ・パソコンの調子も怪しくなった。しばらくパソコンのない生活が続くかという不安から、ノートパソコンが動くかどうか試す気になった。コードをコンセントにつなぐと赤いランプが点き、電池の充電が始まった。これは大丈夫ではないかと思って丸いボタン・スイッチを押し込むと隣りのランプがオレンジ色に灯った。ランプは3つあって、先週は左端のみ灯った。それが2個点くことは正常に戻った証ではないか。そう思っていると画面が現われ、元のように使えることがわかった。数時間してスイッチを入れ直すとランプ3個が緑色になった。同じ機種はネットで1万円少々で売られ、それを買おうと思っていたのでよけいな出費をせずに済んだ。またデスクトップ・パソコンを3階に上げるのは面倒なので、涼しくなるまでノートパソコンは使わないが、それはデスクトップの調子次第だ。別の話題。先週このブログの全機関訪問者数が50万まで数百であることに気づいた。ちょうど50万になる機会に遭遇出来るとよいが、それを粘り強く待つほどの根気はない。今朝その数値を確認すると50万と30少々で、どうも昨夜の間に50万に達した。今日の画像は右下からわかるように午後1時49分で、50万96になっている。このブログを毎日書き始めたのは2005年5月22日、公開は翌年1月1日からで、全訪問者数を今日までの公開日数で割るとだいたい1日当たり88人だ。有名人ブログはその数値より桁が2、3多く、その比較からは取るに足らない無名ブログで、充分納得出来る。それはさておき、先日TVで身障者がこう発言した。「自分が死ねばこの世は消える」言わんとすることはわからないでもないが、その考えは傲慢過ぎないか。筆者の思いは違う。「自分が死んでも世の中は何も変わらない」誰しも自分が死んだ後のことはわからないが、周囲で死ぬ人がいても世の中が何ら変わらないことを知る。あたりまえのことだ。死は当然のこととして自然に組み込まれている。それで生きている間に好き勝手なことをすべきだ。そうしなくても恨む人は恨むし、賛美する人はする。ただしその好き勝手が問題だ。誰しも理不尽に殺されたくはないから、他者を殺めるのはよくない。ところが戦時下ではその反対で、多くの敵を殺して英雄になる。世界は常に戦争が絶えず、どの国もそれと無縁であることはない。完全な平和の国なく、完全な戦争の国もない。戦時下でもささやかな平和はあり、平和時でも酷い事件は起きる。
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