「
奨学は すれど無意味と 言う忠婆 孫は夢見る ユーチューバーや」、「学問を すすめる人は 世に知られ 万札顔の 拝金じるし」、「梅雨が明け 雨降り止まず 煙る山 合歓の花散り かたつむり這い」、「暗き庭 はぐろとんぼの 番い飛び 日落ち羽閉じ 朧月覗く」
ネットの月齢カレンダーによれば今日が満月だが、TVでは昨夜がそうだ。しかもスーパームーンと呼んで普段よりも大きく見えると伝えた。天気予報によれば今夜は雨で、満月の写真は諦めていた。そのとおりとなって先ほど何度か外に出ると、厚い雲が空を覆い、どこに月が上がっているのかわからない。そのことを予想して昨夜撮っておいた写真を今日は使う。割合きれいに出ているように見えるが、筆者のカメラの低能力のせいで、実際は朧で輪郭はほとんどわからないほどであった。とはいえそれはたまたまカメラを持って外に出た時刻がそうであっただけで、雲に覆われずに見えた瞬間はあったろう。スーパームーンと呼ばれる割りにそうは思えず、また筆者は毎月ズームアップして撮影するので、画像として満月の大きさは自在に変えられる。またスーパームーンでなくても昇り始めはとても大きく見えるもので、月の真の大きさは人によって思いが違うだろう。それにどういう望遠レンズを使っているのか、TVやネットでは手前の人間の背丈以上の巨大な満月を捉えた「合成」写真がよくある。そう言えば先月の満月以降、ネットにそういう満月写真を10数年撮り続けたカメラマンの記事が出た。筆者がおかしいと思ったのは、満月を撮った回数だ。その人は400数十回で、月一度の満月では10数年ではその半分の数に満たないから、話を倍ほどに盛っている。毎月数枚の満月写真を撮ったとの意味であれば、誰でも一か月で数百枚を撮影出来るから、400数十枚は自慢にならない。それよりもどれだけ長く続けるかだ。筆者は2011年7月から撮り始め、今月で11年経ち、130回は撮影している。とはいえ前述のカメラマンのような「芸術」的写真ではなく、安物のデジカメによる卑近な場所でのものばかりで、話の盛りようがなく、話題にもなりようがない。まあ筆者はそれを全く望んでおらず、ただ自分の好き勝手が出来る場がネットに登場したことを歓迎して利用している。ところがこうして書いておけばいつか誰かが読むかもしれないという甘い考えはない。誰かが読んで立腹しようが共感しようがどうでもよく、またそのどちらも筆者に届かない状態がよい。その断絶具合が孤独で虚しいかと言えばそうではない。孤独でも心地よいことはある。それに孤独でない人はいない。夜空に満月に並ぶものがないように、満月も孤独だ。そう考えると毎月の満月シリーズの投稿はほとんど目に止まらないことがよく、それが実現している現在、筆者は大いに満足していると言える。蛇足ながら、満月の写真が用意出来ない場合、先月と同様に別の満月の写真を用意していた。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→