「
臭きもの 蓋被せるは 当然か 傍迷惑か 皆迷惑か」、「清濁を 飲んで意と胃に 負担かけ 濁枕抱かず 清布団いい」、「笹の葉の 流れる川は どぶと化し 童捨つるや 七夕の笹」、「銅像の 引き倒されし 音虚し 溶かして兵器 虚しさ平気」

初めて歩く道は見慣れないものがどこで飛び出して来るかわからず、神経を普段以上に尖らせる。そのため、距離が長く感じる。歩き慣れた道の倍ほどの距離感と言っていいかもしれない。とはいえ、そうとは限らない。何に関心を持っているかで目に留めるものが違うからだ。興味の乏しい人は見知らぬ街を歩いてもほとんど何も目に留めないだろう。これは人生全体について言える。ある人が強い興味を抱いているものに対して別の人は全く関心がない。むしろその興味の多様性から世界が構成されている。昔筆者は家内と結婚したいことを家内の父親に伝えに行き、反対された。当時筆者の周囲の人は70代半ばの老人はもう考えを変える可能性はなく、説得することは無理だと言った。筆者は今70歳で、かつての家内の父の世代にそろそろ属するが、自身を振り返って考えが凝り固まっているかどうかを考えないし、考えてもわかるはずがない。そのことがすでに考えに変化がないことを示しているかもしれないが、そう思うことで物事に柔軟に対処したい。つまり未知なる新しいものを咀嚼せずに否定しないことだが、筆者にとっての未知なる新しいものは10代で知りながら取り組まず、半世紀ほどは気がかりでいる古いものがほとんどで、たとえば現在10代半ばの人の作品や思想に関心はない。持てる時間に限りがあれば、何かを捨てて何かを優先する必要があり、古典重視とならざるを得ない。また新しいものの本質を判断するのに古典と照らす思考の癖が抜けない。そのことからしても、前述の70代半ばの高齢者はどのように説得されても自分の考えを曲げないという一般的な思いは確かと言える。とはいえ、70代が全員頑固で話が通じないということはあり得ない。筆者は「風風の湯」で嵯峨のFさんからしばしば「何も知らんのやな」と呆れられるが、それを侮蔑と受け取って憤慨するほど筆者は若くない。人さまざまで、あたりまえのことだが筆者はFさんが無関心、無知なことに対して多くの知識や思いを持っている。何が言いたいかと言えば、70代になれば誰でも長い人生で自分の好きなことにいっぱしの情報や知識は持っていて、それが人によって全然分野が異なり、話が噛み合わないだけのことだ。そしてFさんはかつての家内の父のように周囲がどうであっても自分の考えを変えず、その意味でよく言えば完成、悪く言えば新たなものを受け入れないが、それは程度の問題だ。たとえばやはり筆者はとても視野が狭く、ブログに書いている関心事も小学生並みの量と軽さと一笑に付す人があるだろう。そうであってもそれはそれで特異でもあって、無価値とは言えない。

明日は何が飛び出すかわからないので人生は楽しい。筆者はここ5年ほど健康診断を受けず、血圧がどれほどかも知らない。一方「風風の湯」では人一倍健康に気を配り、頻繁に健康診断をしている高齢者がいる。癌であれば早期発見したいからだ。その気持ちはわからないでもないが、70を過ぎれば余命と考え、癌検診をして癌が発見されないかとびくびくするより、普段全く癌の心配をしないほうがはるかに精神的には健康ではないかと思う。とはいえ人さまざまで、筆者の思いを当人に言うほど無粋ではない。健康であれば普段の生活は平凡というのは平均的な人だろう。母が6、70代の頃、筆者は母に電話した際、必ず最初に「何か変わったことある?」と訊いた。また母は必ず「変わったことあったらどないしまんのん。ないのがええんや」と笑いながら返事したが、いつも筆者は母のその言葉に半ば納得し、半ば違うと思った。筆者が同じ世代になって思うことは、確かに母の言ったことは正しいが、やはり日々何か変わったことを求めている自分を思う。それでこうしてブログに投稿を続けていて、筆者の関心事がわずかでも年々多様化していることは楽しい。言葉を変えれば、かつての家内の父親のように考えが凝り固まっていないと言いたいのだ。ところがここには難しい問題もある。自分以外の何かを全部認めて関心が持てたとして、そのすべてを賛美することは不可能だ。それでは自分が消えてしまうからだ。つまり凝り固まっている部分は残したうえで、偏見を捨て、他者に寄り添う態度が重要だ。だがそれは言うはたやすく、実際は大なり小なり他者からは凝り固まっているように見える。他者からどう見られようが自分の関心事を増やし、深めることだ。それは未知なる人生の目前に常に飛び出して来ることに関心を抱き、その関心の根底にどういう理由があるのかを自己分析することで、そのことが楽しい。以下本題。昨日は名神高速の茨木インターからわずかに西の南北に通じる生活道路沿いの「飛び出しボーヤ」3点を紹介した。途中で名神西側沿いの歩道を南下してトンネルを東にくぐった。今日の最初の2枚はその後のなだらかな下り坂で撮った。最初の写真の奧に2枚目の写真の奧の建物が大きく見え、同じ道だとわかる。最初の写真右手の後ろ姿2名のうち、前方が家内だ。2枚目を撮って数十メートル先の突き当りが、筆者が国道171号線を南にわたって踏み込んだ生活道路の延長だ。旧街道の趣は減少し、東側は大きなマンションが目立つなど、視野が広がった。3枚目の写真はそのような場所で撮ったが、相変わらず道路は真っすぐではなく、ところどころでわずかに曲がっている。地図を見ながら歩くとその曲がりによってどこを歩いているかがわかって面白い。と言いたいところだが、似た雰囲気の道路がしばらく続くと不安も押し寄せる。前述のように、初めての道なので距離感が狂う。

道路右手の交差点角に大きなスーパーが現われ、筆者は目の前の信号がエキスポ・ロードかそれを越して南かとわからなくなった。信号付近の場所を示す看板には「見付山」とある。四方が上品な街と言ってよく、古くからの地域だろう。信号待ちをしている間、山手からやって来たマスク姿の20代の白っぽい服を着た女性に声をかけた。ふたり連れで、片方が笑顔で親切に答えてくれた。「あの、そこの角のスーパーはこの地図で言えばここですか」「違います。それはここです」聞いて筆者は驚いた。エキスポ・ロードはまだ300メートルほど先だ。ともかく時間を気にしながらさらに南下し、ついにエキスポ・ロードの交差点に出た。また南にわたるのに信号を待つ間、西から体格のよい20代の女性がやって来た。派手で高価そうなワンピース姿で、筆者は腕時計に目が行った。擦れ違い様に訊いた。「すいません、今何時ですか」彼女は一瞬無愛想な表情を漂わせながら時計を見て歩を休めずに振り返って答えてくれた。「4時10分です」そこから万博公園の民族学博物館までは早足で20分ぎりぎり歩けるか。思い切って信号を渡り、西に向かって進んだ。家内はどこを歩いているのか気づかないが、茨木市駅行きのバスが2,3台後方に走って行き、筆者が万博公園つまり帰途とは反対方向に歩いていることにやがて気づいて言葉を発した。筆者はなおさら先を急いだ。そして名神の高架が見える頃に撮ったのが今日の4枚目の「飛び出しボーヤ」で、
「西国街道、その16」の地図ではI地点から東200メートルほどだ。その付近で筆者はついに家内の考えに同意し、無理しないでおこうと決めた。展覧会は当日が最終日ではないからだ。そしてその先の信号を北にわたってバス停に着き、そこからバスで阪急茨木市駅に向かい、駅前の古い商店街にある馴染みのスーパーで買い物をした。商店街は昔のままだが、餃子の無人販売店が出来ていた。昨今同種の店でお金を払わないで、あるいはごくわずかに箱に投入しただけで冷凍餃子をたくさん持ち去る事件が映像つきで報告されている。そういう被害があっても人を雇う人件費を支払うよりかは収入が多いのだろう。経済的貧困が拡大し、心まで貧しくなっているが、政治家のように金持ちであっても貧しい心の持ち主はいる。とはいえ前述のように、人さまざまで、「何をもってして心が貧しいかは決められない」と言う者がいる。それで似た者同士が仲よくなり、高齢になるとますます別の考えを受けつけず、自分が一番正しいと思う。そうならないためには70代の高齢者は20や30歳ほど年下と親しくなるのがいいだろうが、相手にしてくれる心優しい若い世代は少数派で、ユーモアがあってよく奢ってくれる金持ち老人でなければ誰も近寄らない。プラットフォームに立つと筆者は左足が少し釣った。そんなことは初めてであった。

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