「
畏敬する 神はさまざま 世は広し 与も多様性 受け入れたしと」、「IQの 高さ自慢に 求愛し 平と凡との 似合いの夫婦」、「銃を手に 自由われらに 各名が 米の夢見る 腹十分目」、「飛び出しに ぼやっとすれば 無得点 もぐら叩きの 儲ける機会」

昨日の続きを書く。また今日と明日で5月28日の茨木市内歩きについての投稿を終える。今日の3枚の写真は
「西国街道、その16」に載せた地図のFからGまでで見かけた「飛び出しボーヤ」だ。最初の写真には奧に家内がこちら向きに待っている姿が写っている。大型スーパーの東から入って西に出ると目の前は大通りで、帰宅して国道171号線と知った。高槻市内の同国道は八丁畷の大交差点の存在で筆者もそれなりに馴染みがあるが、茨木市内にどう走っているのかは関心がなかった。京都の南区から高槻、茨木、そして箕面を通って神戸までつながっている。神戸は国道2号線がよく知られる。これは大阪市内を起点にする。171号線は山手、2号線は浜近くを走り、前者から後者につながると言ってよい。また171号線は西国街道におおむね沿い、大阪市内を経由せずに神戸に至る。それゆえ今後の筆者の西国街道歩きに同国道のルートは大きな目印になるが、筆者は道幅の狭い、古い家並みが残る街道を歩きたいのであって、大通りの歩道歩きは苦痛だ。5月28日は富士正晴記念から北上し、安威川を越える橋を目指す必要上、同国道北側の歩道をしばし歩いてラヴ・ホテル街に入った。その付近の雰囲気は同国道がなかった当時にはなく、戦後特有のものだ。膨大な物流をさばくため、また人間の性の本能を処理するために、大きな道とその近隣のラヴ・ホテル街が出来たが、富士はそういう新たな景観をどう思っていたであろう。富士が京都の四条大宮駅裏のいかがわしい場所を知り、そういう宿で商売女と寝たことをほのめかす記述が小説にあるが、戦前の若い頃に友人と「赤線」を利用していたことの名残だろう。四条大宮に馴染みのある筆者はその場所がどこに該当するかはわかる。今もその雰囲気が残っているからだが、繁華街にあってそれなりに風情がある。ところが殺風景な国道とその近辺の派手なラヴ・ホテルとなると、昼間はまだましでも夜間はとても歩き気になれない。だがそういうホテルは昼間でも繁盛し、筆者を追い越して車が駐車場に入って行った。助手席は30代の女性で、旦那がいない間の奧さんの不倫行為かもしれない。それはともかく、茨木市内の国道171号線は名神高速の茨木インターと交わり、その付近は人が住むには適さない。したがって車優先で、人は同国道をわたるにも不便を強いられる。その不便に便乗してラヴ・ホテルが林立するのはなるべく隠したい施設であるからだが、客寄せのためには目立たねばならず、かくて大通り近辺のラヴ・ホテル街は独特の雰囲気と色合いを見せる。

さて大型スーパーを出た後、どの道を目指すかは地図でわかっていた。国道を斜めに横切って南下し、生活道路に入る。地図で見ると真っすぐながらそれなりにあちこち緩やかに曲がり、万博のために新道路を国鉄茨木駅から西に一直線に造ったのとは違って、山や川の影響を受けた古い道であることが想像出来る。今日の写真から伝わると思うが、西国街道と同じ趣があって、西国街道から南部にこういう道が続くことが何となく不思議であった。5月28日の歩きに際して筆者はネットで地図を印刷し、歩くべきルート以外に神社を探して印をつけた。ルートからそれが近い場合は立ち寄るためだ。その思いとは別にたまたま遭遇した阿為神社の御旅所については先日書いた。エキスポ・ロード沿いに中穂積や南春日丘という名前のバス停が昔はあったと思うが、春日丘は丘陵地で、また春日が神社に由来することは想像がつく。また南春日丘があれば北春日丘もあって、その南北の間に神社があるだろう。「その16」の地図のGは春日神社境内へ至ると思って登った階段だ。本来なら名神を越えてそのまま南下すればいいものを、名神に沿って進んだのだ。後方の家内はまたどこへ行くのかといぶかったに違いない。そしてどうでまた道に迷うはずであると確信したはずだが、そのとおりになった。途中で方向を逆に変える長い階段のてっぺんに着くと目の前は湿気の多い林だ。境内の裏手にしてはその案内板もない。それで筆者はわずかに踏み込んで家内の待つ名神沿いの車道際の歩道に降り立った。家内はなぜそんな長い階段を上るのかと文句を言い、筆者は神社があるかと思ったと答えた直後、家内はぷんぷん感を全身で発散させながら目前の名神をくぐるトンネルに向かった。帰宅して調べると春日神社はもっと南方だ。踏み入った林は寺の墓地の北に広がり、人は普段立ち入らない。ではなぜ名神に沿った歩道とつながる長い階段があるのか。それを利用して墓参りする人はいないと思うが、緊急事態を想定して階段を設けたのだろう。あるいは名神を通す際、丘陵の裾野を削り、元来あった坂道をその階段としてつけ替えたのだろう。つまり名神から東の地域と通じるためで、その階段がなければ名神東方の寺に用のある人は大きく遠回りをせねばならないからではないか。ともかく寺やその南に春日神社があることは、昔から人が住む地域で、そこが北方の西国街道とつながり、そのため今日の3枚の写真が古い街道の趣を残している。ではやはり春日神社をお参りすべきだが、地図を見ると前述の寺は「冥應寺」と呼ばれ、「笹川良一銅像」が本殿近くにある。笹川は川端康成と同じ1899年生まれで、同じ小学校を卒業し、お互いの存在を知っていた。その後どちらも日本を代表する超大物となったが、その原点に茨木市があり、笹川が銅像が建ち、川端は記念館が設けられた。前者は見たくはないが、後者にはいずれ行きたい。

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