「
衰えて 酒ほしがらず 虚空見る 古老の耳に 鶯注ぐ」、「現実は 今目前と 知りつつも過去鮮やかに いつでも見えし」、「スーパーの 見慣れたマーク 現われて ほっと安堵や 疲れし顔に」、「西日差し 帽子目深に 先急ぐ しばし休んで さらに急ぐや」
昨日の続き。耳原公園は茨木川左岸と西国街道の交点東北角にあり、園内の北に池がある。茨木川が蛇行していたことの表われだ。西国街道から北は上り坂で、同公園内を歩かなかったので定かではないが、池は園内の最も高台にあるはずだ。池のすぐ際の道をわずかに歩き、住宅地に入った時、雰囲気がいいことは昨日書いた。雰囲気がいいのは新興住宅地街のように道が整然としておらず、歩いていてどのような眺めが現われるのか予想がつかないことと、またどの家も比較的小さいながら植木が目立って趣味がいいからだ。西国街道から北の地域もさまざまで、耳原公園際は昭和の感じがあって気に入った。西国街道に出て右すなわち西に折れると間もなく茨木川に架かる橋に至る。そこで撮ったのが今日の最初の写真だ。左端の電柱に巻かれる「とび出し注意」の覆いに着目したことと、遠く上空に見慣れた大型スーパーの白い鳩のロゴが見えたので撮った。家内もそのマークに気づき、ようやく休憩して昼食にありつけることに安心した顔を見せた。家内はよく歩かされることにいつも不満ながら、ひとりで家にいるよりかははるかにましで、よほどのことがない限り、一緒に行動する。またいつも筆者の数十メートル後方を歩くとは限らず、筆者が写真を撮っている間に追い越して先をどんどん行く。ところがさすがに数十メートル離れると立ち止まって筆者が追いつくのを待つ。それは筆者も同じで、これ以上離れるとまずいという距離感を共有している。今日の2枚目の写真は大型スーパーの真北の西国街道で、振り返って「飛び出しボーヤ」を収めながら撮った。
「西国街道、その16」の地図のF地点だ。つまり5月28日の西国街道歩きは同スーパー付近で終え、次回は同地点から西進するが、富士正晴がらみの楽しみがなくなり、あまり気は進まない。話を戻して、同スーパーは西国街道に面せず、やや南に入ったところにある。また北門はなく、東に回って内部に入った。そしてフードコートの手前、すぐ左手の食堂に入った。まあまあ気持ちのよい店で、家内とは別々のものを注文し、時計を見ながら食べた。というのは食事後に万博公園に行き、民族学博物館で展覧会を見るためだ。それにはいくら遅くても4時半までに入らねばならない。それでも展示を見る時間は30分しかない。家内にはそのことを言わずに食事し、筆者はコップ4杯の冷えた茶を飲み、女性店員がいない間を見計らって空いたペットボトルに同じ茶を透明容器からたっぷりと注いだ。レジを済ませ、賑わうスーパーの売り場を横断して西端の大きな出入口から外に出た。目の前は大通りだ。
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