「
沿道の 飛び出しボーヤ 気づくたび ぼやっとすれば 縁遠くなり」、「ねんねしな ボーヤよい子に なってくれ 母は見捨てぬ お前死んでも」、「元気よく 飛び出せボーヤ 世は広い 宝集めて 積もるを語れ」、「とっちゃんが ボーヤのように うぶなれば ぼっちゃんトーヤ ぶうぶう文句」
昨日の続き。5月28日の茨木市内歩きの写真を撮った順に投稿したいが、投稿の内容に合わせて順序を変えたほうがいい場合がある。今日は西国街道から北部で撮った「飛び出しボーヤ」の3枚の写真を使う。茨木市内の小学校近辺はこの看板がとても充実していて、グーグルのストリート・ヴューでもそのことはよくわかる。5月28日は見かけたすべてのその看板を撮影したのではなく、2,3は撮らなかった。同じタイプで見栄えしないと思ったからだ。それらは茨木市内特有の手描きによるデザインだが、市販品もままあった。それらは学区のPTAではなく、個人が立てたものだ。その一例が今日の2枚目の「0型」で、これは茨木市内ではきわめて珍しいはずだ。最初の写真は昨日の最初の写真を撮った後、道路に出て西にわずかに進み、最初の信号だ。左端に仁王立ちする家内の全身が入ったので、投稿用に大部分をカットした。たくさん歩かされることを思って家内は嵯峨のスーパーに行く時と同じく履き慣れた靴にシャツに、帽子だが、筆者は赤を中心とした身なりで、遠目に目立つ。これは家内と遠出をし、初めての道を歩く場合、筆者は家内より数十メートル先を歩き、またしばしば道を曲がるので、家内が遠くからでも見つけやすい目印を思ってのことだ。また家内が遅れて歩くのは、筆者がよく道を間違い、戻ることが多いからだ。それはともかく、昨日の投稿で筆者が水を張った田の畔道に踏み込んだ時、振り返って遠くの家内を見ると、明らかになぜそんな道に踏み込むのかと文句を言いたい様子がわかった。その声が届かない間に筆者はさっさと踏み込み、50メートル進んでは直角に曲がるということを何度か繰り返して昨日の最初の写真の場所に出た。その直前、年配の頭の禿げた眼鏡の男性が手ぶらで前方からやって来て擦れ違った。筆者らとは反対に畦道を歩いて南方に行くことがわかり、その男性が家内と擦れ違うまで筆者は立ち止まって50メートルほど後方を振り返って見続けた。ようやく筆者に追い着いた家内はその男性が田んぼの所有者ではないかと言った。そうであっても筆者らは文句を言われなかった。今日の最初の写真の家内の立つ位置の数十メートル奧のコンビニがあり、以前はそこが郵便局であった。富士はそこにしばしば訪れたはずだが、時代の流れで赤い独立した郵便ポストは富士が亡くなって以降激減の一途だ。それはともかく、富士はその郵便局を往復する際、今日の最初の写真の信号をわたったはずだ。そして2枚目の写真の道を利用したかだが、そうではなかった。その理由は後日書く。
今日の2枚目の写真は昨日の2枚目を撮った後のものだ。5月28日、筆者らはその細い上り坂を帰りには通らなかった。そのことは
「西国街道、その16」の地図に記した道順からわかると思うが、筆者らは大きな竹林を囲む形で時計回りに歩き、帰りは昨日の2枚目の写真の下方に写る細い道を右手から左へと歩んだ。その畦道を利用して富士は道路の信号を南にわたって郵便局を往復したに違いない。それが最短距離だ。昨日書いたように背後の竹林と手前の水田を収める写真にこだわったのは、そのことを知っていたからではない。帰宅していろいろ調べてわかったことであって、大げさに言えば筆者は本能で富士がしばしば歩んだはずの畦道と背後の竹林を一緒に写真に収めようとした。また筆者には水田に入って雑草を抜くなどの作業に従事する人たちの姿がとても珍しく、おそらく生まれて初めて目の当たりにし、その様子が富士が暮らした安威に残っていることがとても美しく見えた。たとえばその水田が新興住宅になるか、工場が建てば、あまりに悲しく、またさびしい。逆に言えば富士の家のすぐ近くにまだ水田が残り、竹林がそのままであることが嬉しい。富士が吸った空気が吸えると思うからだ。それを感じたいために安威を訪れた。少子化とはいえ小さな安威小学校はまだある。その学校の南端の道を東に歩いて昨日の3枚目の写真を撮ったが、空腹でなければ小学校を一周し、さらに近隣を歩いた。ところが手持ちの地図では安威に食堂やコンビニはない。それで西国街道に戻り、まだ歩いていない耳原公園の西方に行くことにした。西国街道沿いに有名な大型スーパーがあり、食べる場所もいくつかあることを知っていたからだ。それでもまだ3キロほど歩かねばならない。竹藪の写真を撮った後、昨日書いた新興住宅地に戻り、家内を待たせていた西国街道の四辻には出ず、途中で西に折れて新興住宅地内を行くことにした。その西端辺りに今日の3枚目の「飛び出しボーヤ」を見かけた。背後の大きな車がガレージからはみ出す様子は京都でもよく見かける。どういう住民であるかは想像に難くない。それこそが新興住宅地を代表する住民と言えば差別的な見方だが、誰でも知るようにそういう常識のない人物が新興住宅地には目立つ。新しい住宅地に新しい人物が住むのは当然として、その新しさが古きよきものの単なる破壊では困る。ところが日本では政治家から一般市民までそれが加速化している。話を戻して、駐車の道路へのはみ出しは狭い道幅の西国街道沿いでは許されず、あえてする人もないだろう。3枚目の写真の奧に進み、ジグザグと迂回する羽目になりながら、耳原公園東のやや高台になった町に入った。道路から耳原公園の池は見えなかったが、古くからの地域で雰囲気はとてもよかった。茨木市に住むとして駅近辺でなければそこがよいと思った。その地域を南に抜けると西国街道だ。
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