「
換気して コロナ逃がすや バスの中 満員避けて 五台見送り」、「五代では 自慢出来ぬや 京都では 家系の旧家 家計の新家」、「街道に 蘇鉄見つけて 気を交わす 奇遇喜ぶ 生の醍醐味」、「未知の道 歩いて気づく 珍しさ 人みな歩む 未知なる日々を」
昨日の続き。西国街道の途中で家内を待たせ、筆者ひとりでさらに西の安威川を目指した。去年はその川に架かる太田橋の右岸から高槻方面に歩いた。その時の西国街道の起点で撮った写真は
去年の「その13」の2枚目として載せた。その写真の奧に写る太田橋の歩行者専用橋が今日の最初の写真だ。その橋を東つまり写真の手前に一旦わたった後、即座に帰途に就き、橋の上で西に向かって撮った。家内を待たせているので筆者は往復とも大急ぎで歩きながら、投稿に使うことを考えて他にも写真を撮っておこうとした。その気になれば何枚でも撮影出来るが、西国街道であることを示すものとしては今日の3枚目しか撮らなかった。2枚目の写真はたまたま見つけた蘇鉄で、西国街道と茨木亀岡線の交差点北東角に位置し、太田橋に向かう時には気づかなかった。蘇鉄を中心にせず、写真左端奧に西国街道が延びる様子を捉えた。その奥を目指しながら青信号を待ち、そして同交差点を西にわたってすぐのところで3枚目を撮った。左に大きな店の看板がある。社長の漫画キャラクターと安売りで有名で、昔は勢いがよかった。もうなくなったと思っていたが、キャラクターとともに健在であることがわかる。またこの安売りの店の茨木亀岡線の道路を挟んで向かい側がやはり安売りで有名なスーパーで、人口が多いことがわかる。西国街道は茨木亀岡線を挟んで西と東とでは東のほうが人は目立った。当然のことながら茨木亀岡線は戦前はもっと細く、名神高速道路が出来てからはそれをくぐる必要もあって、名神と交差する部分で少し曲げられた。その様子は現在の地図からよくわかる。名神は西国街道の上を走る箇所でも同街道を中断し、迂回させることになった。太田橋の位置や大きさも変化し、また同歩道橋も名神が出来てからのものだ。「その13」の最初の写真では奧に白い横長のチューブとしての名神が川の上に架かっている。2枚目ではそれは水色に塗装された太田橋に隠れて見えないが、西国街道のこの付近を歩くと名神高架下のトンネルを通る必要上、嫌でも視界に入り、また迂回して歩かされることが面白くない。川はその両岸の地域を大きく隔てる存在だが、高速道路はもっとそうだ。もっとも、そのことは川端康成が『雪国』の冒頭で書いたことで、トンネルは異なる世界を結ぶ。茨木市に名神が開通したことで、トンネルはたくさん出来た。これはトンネルによって隔てられた各地域に独自色をもたらしたと言える一方、名神はある村の中心を走るのではなく、各村の境界に通されたと言っていいかもしれない。
筆者が歩いた範囲でそのことがどれほどわかるかと言えば全く心もとないが、次々と眼前の風景が変わるそのきっかけに川や大きな道路があることを感じた。またそのことが面白いと言えば言える。その変化する風景ごとに住民が微妙に異なるように思うからだ。同じことは京都にも言えるし、東京でもそうだろう。多くの田畑が新興住宅地や学校に変わった、また変わりつつある茨木市はなおさらそうで、また西国街道沿いのような古くからの住宅地が新興のそれより住民の質がいいとは限らない。むしろ昭和の匂いを残した西国街道沿いよりはピカピカのパステルカラーの模型のような家が並ぶ新しい町のほうが生き生きとした活力があるように思える。これは別の見方をすれば町の対立で、別の都市から引っ越して来た若い世代やその夫婦は古くからの住民が住む西国街道沿いに住みたくても住めず、新興の建売地域に集まるしかないと見ることも出来る。また住民の質が何で計られるかだが、京都で言えば松ヶ崎のように大学の先生や医者、弁護士が多く住む地域がある一方、山科区のように他府県からの住民が目立つ地域があって、大きな街は特徴のある地域がモザイク状に隣接する。茨木市や高槻市も同様で、茨木市内を歩きながら筆者はどの地域に住みたいかと考え、西国街道沿いがいいと思った。ところが現実にはそれは無理であることはよくわかっているし、また嵐山から転居出来るとしてもそのつもりはない。住む場所が精神にどのような影響を及ぼすかについての研究があるのかどうか知らないが、筆者は大学の先生が多く住むとされる松ヶ崎には全く住みたいと思わず、交通の便利な地域でしかも古い歴史を持つところがよい。これは古いものとつながりたい欲求のせいと言われれば否定するつもりはない。どこに住むかはたとえばザッパも大いに関心があったはずで、ザッパはハリウッド地区を自己分析した地図をアルバムのおまけにつけたことがあって、そこでは文化の不毛な地域として東部の高級住宅地を挙げていた。ところがザッパは西部山手のビヴァリーヒルズ近くに住み、自然豊かで閑静な場所を望んだ。子育てによいことをも念頭に置いたからであろう。山手はおそらくどの国の街でも比較的金持ちが住む。ザッパもそうしながら、子どもの頃に暮らした黒人が近くに住む小さな村を懐かしみ、そういう場所で育ったことで文化力が身についたと思っていたふしがある。それは茨木市に当てはめればどの地域に相当するのか。貧困者が混じって暮らし、雑然としたたたずまいのある場所で、そういう地域は大都市ではどこにでもある。筆者も大阪市内のそういうところで育ったが、もう住みたいとは思わない。ところがたまにそういう街を歩きたい欲求が湧き、実際に歩く。茨木市内ではそんな地域は阪急とJRの駅前辺りにはある気がするが、古い建物は新しくなり、街から翳りは急速に消えつつあるだろう。
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