「
呂律よし まだ飲めるぞと 思いつつ 記憶なくして 目覚めここどこ」、「ぐびぐびと 喉首通る 酒の音 見くびるなかれ 日々飲む量を」、「隊商の 語尾は続くや ゴビ砂漠 駱駝足跡 風が吹き消す」、「風のない 梅雨の晴れ間の 午後3時 ごろり寝転び 今夜何飲も」
先月28日、万博公園内の民族学博物館に展覧会を見るために家内と茨木市に出かけた。阪急嵐山駅で電車に乗ったのは午前11時15分頃だ。いつものように複数の用事を作り、市内各地を歩くことにしたが、家内は万博公園も含めて行先を知らない。言えば必ず行かないと言う。ただしそれは常に口先だけで、家内は筆者と出かけることが大好きだ。パリに行くのが夢だが、まあ現在の生活の様子からして夢に終わるだろう。コロナ禍がましになって外国人観光客がまた日本に大勢やって来ることが期待されているが、自分が住む地域とは気候も風習も全然違う土地に出かけたいのは本能だろう。となれば外国に行かずともその気分を満たせられる。筆者にとって高槻市と違って茨木市は身内が住んだことがなく、土地勘は全くない。昔からよく知っているのはわずかに阪急茨木市駅から万博公園までの東西の一直線の道のみだ。それも長年駅前からバスで往復し、茨木市はほとんど駅前周辺と万博公園の2か所しか知らなかった。それが10年ほど前か、万博公園から茨木市駅まで歩き、途中で「飛び出しボーヤ」の看板をいくつも見かけるなど、それなりに楽しく、万博公園に行った帰りは歩くことが普通になった。往復とも歩くのはしんどいというより、同じ道の往復は退屈だ。さて、茨木市で昔から大いに気になりながらそのままにしている作家に川端康成がいる。その住まいがどこにあったのかと、茨木市駅前のバスに乗れば必ず思い、駅前と市役所の中間ほどのところに建つ古めかしい日本建築の本屋を見るたびに、そのような重厚な家に若い頃は暮らしていたのだろうと勝手な想像をしていた。その戦前の建物の場違いな店がまえの本屋はいつの間にか消え、どこに建っていたのかわからないほどで、茨木市駅周辺から戦前の面影は完全に消え去った。川端康成が暮らしていた街であるので、川端康成を顕彰する建物があるのは当然として、筆者は川端よりも関心が大きい富士正晴の住まいを移設復元した施設が茨木市中央図書館にあることを昔から知りながら、出かけることはなかった。富士が長年住んだ安威(あい)にも出かけたいと思いながら、その方角が茨木市駅と万博公園を結ぶ道とは直角方向に北に4,5キロはあって、とてもそこだけを目当てに行く気になれなかった。筆者は「ついで主義」で、よほどのことがないとひとつの目的だけでは出かけない。ところがその「ついで」の気配はちょうど1年前の5月下旬に訪れた。自分で作ったのだ。
その12去年の5月29日、家内と一緒に茨木市駅から安威川沿いに歩き、西国街道に入ってそれを東に進み、高槻市駅まで歩いた。
その歩いた日を忘れていたが、体が季節を覚えていたようだ。今年は1日違いの5月28日にまた家内と西国街道の続き、つまり安威川に架かる橋から今度は西の部分を歩くことにした。それがひとつの目的だ。別の目的は今度こそ富士正晴記念館と富士が住んだ安威の地域を散策することだ。そして最後に万博公園の「みんぱく」での展覧会だ。全部こなせば5時間は歩かねばならない。1時間4キロでざっと20キロ、それくらいは歩いた。歩いた道筋を地図に記したのが今日の最初の画像だ。アルファベットのAから順に最後はIに着き、そこからバスに乗って茨木市駅に戻った。つまり万博公園には行かなかった。Iに着いた時は4時20分で、そこから「みんぱく」まで2キロはたっぷりとある。それではもう展覧会は見られない。家内の怒りを受け入れたのだが、それは正しかった。「みんぱく」訪問が「ついで」の結果になり、しかも未遂に終わった。それでも長年の富士正晴についての気がかりを、西国街道を少しずつ歩くことを目的としたことでついに解消出来た。日帰りの近場の散策に過ぎないが、筆者にすればパリに出かけたほどの感銘を得た。場所はどこがどこよりも優れているものではない。どの場所にも味わいがあり、言うなれば観光地になり得る。有名な観光地ほどつまらない場所はないとも言える。そう思いながら筆者は殺風景で広大な工場地帯は歩きたくはない。さて当日は写真はたくさん撮った。その枚数に投稿回数は応じるが、何回に分けるか想像がつかない。地図のアルファベットにおおよそしたがって今日からしばらくは先月28日の茨木市内散策について書く。題名を「茨木市を歩く」にすべきかと迷ったが、西国街道の続きを歩いたことを優先し、「西国街道」として投稿する。地図の右端の南北の黒線が去年歩いた安威川沿いで、青線が今年だ。地図を数枚印刷して持参したのに、いつものように何度か道に迷い、そのたびに地元住民に訊ねた。全員が若い女性で、選んだつもりではなく、迷って焦っていると必ず若い女性が目の前に現われた。去年も同じで、安威川の橋をわたる手前、JRの線路近くで筆者は若い女性に中央図書館の場所を訊いた。ていねいに長々と笑顔で教えてもらったが、地図を見せても要領を得ず、それで去年は橋をわたって安威川左岸を北上し、西国街道に至った。つまり1年ぶりに中央図書館行きを実現させたが、今年はJRの線路を越えて方向感覚がわからなくなり、ちょうど前からやって来た自転車に乗った若い女性を呼び止めた。彼女しか人影はなく、ひるまずに声をかけた。「まっすぐ行って突き当りを右に……」 そのやり取りを家内は20メートルほど後方で見ながら呆れている。答えてくれた女性も「スマホ持ってないんか」の思いだったろう。2枚目の写真はグーグルのストリート・ヴューから。彼女の言葉にしたがって突き当りまで行くと写真の表示板があった。
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