「
麓から 頂き見つめ 憧れて 今はドローンで 行ったつもりに」、「ぼんやりと すること好きな 丘の馬鹿 いずれ角出し 頭も目立ち」、「かたつむり 片目交互に つむるのは 雌を見つけて ウィンク連打」、「なめくじに 籤を引かせて 大当たり 舐め跡舐めは 誰しもくじけ」

本作のディスク5、6は1976年11月12日の演奏で、ちょうど2年ぶりのエリーだ。メンバーの顔ぶれも含めてザッパにとってこの2年の変化は大きい。ジョー・トラヴァースがエリーでの三度の公演をひとつのアルバムにまとめる考えにはその理由もあるだろう。ディスク5,6を単独あるいは本作以外のアルバムで発表することは難しいからだ。つまり本作ではおまけのような位置づけだ。ディスク1から4もその意味合いが大きいが、『ロキシー・アンド・エルスウェア』に使われた音源を含む点でザッパの編集の跡をたどる楽しみがある。ディスク5,6でザッパ・ファンが思い出すのはゲイルが生きていた頃に発売された2枚組CD『philly ‘76』だ。これはエリーと同じペンシルヴァニア州の街でアメリカの独立宣言の歴史を持つフィラデルフィアでの10月29日のライヴだ。ザッパは16トラックで録音し、その後87年4月1日にデジタル化した。CD発売は2009年のハロウィーンで、ゲイルとジョー・トラヴァースがプロデュースした。当時からジョーに本作のアルバム化の考えがあったのだろう。ザッパが本作のメンバーによるツアーでフィラデルフィアのみを16トラックで収録した理由は、建国200年祭に乗じるためだ。その考えは前年からあってアルバム『ボンゴ・フューリー』では新曲が書かれた。『philly…』は薄い紙ジャケットで発売された。扱いやすいのはいいとして、本作の重厚な体裁のジャケットとはむしろ反対にすべきで、『philly…』のジャケットをLPサイズで見たい。それほどにジャケットのメンバー勢揃いの写真は出来がよい。本作ではメンバーの写真はイラストで使われた以外はなくて物足りないが、74年と76年の演奏を収録することと、『ロキシー…』のように会場で撮られた写真がないのだろう。ファンが撮っていても、半世紀経てば出て来てもザッパ・ファミリーの手には届きにくい。それで本作はCDの枚数に応じて分割可能なイラストが描かれ、ポスターとなったが、カル・シェンケル風で新鮮味はなく、筆者の購入したものにそれが封入されていなくても別にいいかと思う。『philly…』のメンバー写真がポスターには最適だが、今後の発売に再使用するかもしれない。ともかく本作のディスク5,6は『philly…』と比較すべきもので、その13日後の演奏を収める。当日はとても寒く、会場の広さもあってディスク1から4までと同じ4トラック録音であるにもかかわらず、音質はやや籠り気味だ。またフィラデルフィアでの後、残りのツアーは消化の意味合いが大きかったか。

ディスク5では「小さな灯の街」のみ翌日の演奏に置き換えられていて、筆者は昨日書いたことを再訂正しておかねばならないが、ジョーはエリーでの同曲はヴォーカルのレイ・ホワイトが歌詞を間違えたため、よりましな13日のヴァージョンを使った。それを知って聴くとやはり少し不自然さはある。冒頭のザッパの声が突如別の場所に移るなど、音質が違うためで、会場の差が録音に反映する。音の響きの差と演奏ミスを比較してジョーは前者がましと判断したが、ミスも含めて生々しさを伝えるには13日のヴァージョンを使うべきでなかったと筆者は思う。というのはディスク5の冒頭曲「パープル・ラグーン」でザッパは2年前のことを思い出したのか、しきりに観客に席に着くように促し、ドキュメント性が高いからだ。そのヴァージョンをザッパは仮にアルバム化するとしても、4分近いメンバー紹介曲をもっと短く編集したはずで、となれば観客への注意はカットしなければならない。今回それを丸ごと収録するからには、レイの歌詞間違いはそれはそれで面白いのではないか。ただしプロ意識の強かったザッパはメンバーの失態を含むアルバムは避けたであろうから、ジョーの判断はそれなりに正しい。ディスク6の最後にボーナス・トラックが3曲ある。11月10日と13日の演奏で、レイディ・ビアンカのヴォーカルを重視してのことだ。ビアンカは13日がマザーズ在籍最後の出演で、彼女がマザーズに貢献した度合いはきわめて乏しい。同じことは本作に登場しているイギリスのエディ・ジョブソンにも言える。彼の演奏は本作ではヴァイオリン・ソロがわずかにあるだけで、ベースのパトリック・オハーンよりもはるかに目立たない。ただしビアンカが去った後、キーボードは彼ひとりとなり、2か月後の12月の暮れ、ニューヨークでの演奏では特別の新曲が用意され、脚光を浴びる。ビアンカはザッパが麻薬使用に厳しかったことを知って契約したはずで、雇用主の意向に背けばくびになるのは仕方がない。ビアンカのその後の活動や名声は知らないが、『philly…』と本作によってそのヴォーカルの才能はよくわかり、ごく短期での解雇は惜しい。彼女ほどに声域が広く、艶のある歌声の黒人女性はたくさんいるかもしれないが、若さゆえの活力、またダミ声でない透明感は珍しいのではないか。ディスク5冒頭の「ブラック・ナプキンズ」は9か月前の日本公演時と違って全体に静かめで、ギター・ソロ曲「ピンク・ナプキンズ」に近い。また最初のザッパに次いでソロを担当するビアンカのスキャット・ソロは、同曲のソロを担当したミュージシャンの中では唯一で、ディスク5,6の価値はほとんど彼女の歌声にある。ザッパも彼女をくびにすることは無念であったろう。それほどにザッパは悶着を避けたいというより、音楽に真剣で、麻薬の音楽的効果を信用していなかった。

どこまでも冷静であってこそ練習は重ねられ、その果てにごくたまに才能の絶頂が覗く。ザッパ・ファンならみなそのことを知っている。とはいえツアー中、ビアンカが毎晩麻薬を使用していたかどうかは誰にもわからない。わずかでも彼女の演奏が記録されたことは彼女にとっても幸運で、それが「ブラック・ナプキンズ」というザッパにおいても稀な「美しく悲しい」曲においてなされたことは運命であったとも思える。彼女がレイとともにロミオとジュリエットのようにともにデュエットする「あなたは電話しようとしなかった」は、ディスク5以外にディスク6最後のボーナス曲としても収録されるが、このオリジナル・マザーズ期の古い曲をザッパがビアンカに歌わせたことも暗示的で、ザッパは二度と彼女を雇うために電話しなかった。また「ブラック・ナプキンズ」でのビアンカはヴァイオリンの高い弦の音色と区別がつかないほどに声を高く発する箇所があり、観客もその曲芸的かつ声域の広さに拍手する。その高音を続けた後、黒人特有のドスの利いた声に一瞬変わるのがまた貫禄で、彼女が雇われたのはその芸によるだろう。「ブラック・ナプキンズ」では彼女の歌の後にエディのヴァイオリがソロを担当する。その女性的な雰囲気はビアンカの後にふさわしく、また次第に激しく弦を擦ることに合わせて他のメンバーの伴奏が過熱する様子は大きな聴きどころだ。同曲はこの時期のツアーでメンバー・ソロを順に披露する唯一の場となった。そこには74年の同傾向の長大な曲「デュプリ―の天国」のような複雑な組み立て、ないし混沌さはなく、どこまでも平明で、波が寄せては返す「自然な宵の酔い」がある。エディのソロの後はレイのギターが担当する。そこに時々ザッパのギターが横やりを入れ、そしてザッパが引き受けるが、そのソロが同曲では最も絶頂をきわめて音量も大きくなるのは当然として、日本公演のように音色は複雑重厚ではなく、透明感を忘れない。レイのギターは「小さな灯の街」で堪能出来る。そこでレイはヴォーカルを担当する以外に自らのスキャットとギターでユニゾン芸を披露する。この曲芸を筆者はジョージ・ベンソンが黒人バンドのウォーの曲「世界はゲットーだ」をカヴァーした1977年の演奏で知ったが、黒人ギタリストの誰が最初にやったことかは知らない。ザッパは歌いながらギターで奏でることは出来ず、また同じメロディをとなればもっと無理と思ったのだろう。それでレイにその才能があり、それを際立たせるために「小さな灯の街」を書き下した。本作のヴァージョンでは歌と演奏のユニゾンの後にソロをしばらく続け、そこに急にザッパが本曲の主題をギターで奏で始める場面は、映像がなくてもふたりのやり取りが見える。レイは一瞬戸惑いながらもザッパのギターの登場で本来の取り決めを思い出し、即座にザッパに合わせて主題をユニゾンで奏でる。
ザッパは2か月後にはレイに「イリノイの浣腸強盗」というブルース曲を用意するが、ディスク5,6にもセックスにまつわる曲が目立つ。またそれはデビュー時からのひとつのザッパの個性で、フロ・アンド・エディ期ではより顕著になり、73年の「ダイナモ・ハム」や「ダーティ・ラヴ」の歌詞に引き継がれ、76年は後者との概念継続によって日本公演で演奏された「プードル・レクチャー」が、相変わらず本作でも採り上げられた。神が光の次に創った3つの間違いの最初はプードルで、次のふたつは人間の男女という言葉から始まる聖書のパロディだが、女が犬に性器を舐めさせる楽しみを覚えたことに対する揶揄で、そこにはザッパの最初の妻の性癖が反映しているだろう。20代前半のザッパは訪問販売をしていて、用事で一時帰宅すると、妻はベッドに野菜を並べて自慰行為に勤しんでいた。そこから後に「コール・エニィ・ヴェジタブル」の曲が書かれたかと言えば、それもあるだろうが、以前にザッパは女性を野菜にたとえ、ゲイルをカボチャと呼んでいた。筆者は家内だけに「どんぐり」と渾名をつけている70代半ばの男性がいる。そう呼ぶしかない頭や身体をしているからで、もちろん本人には言わない。妻をかぼちゃと呼ぶことは本人たちがよければそれでよい。話を戻して、「プードル・レクチャー」の次に「ダーティ・ラヴ」が演奏されるのは同曲の歌詞の意味を限定的に導くが、概念拡張でもある。この曲を歌うことをビアンカは嫌がったかもしれないが、黒っぽいフィーリングの曲は彼女によってより引き立ち、色気がある。同曲や次の「ガソリン・スタンドで働き続ける」、そしてテリー・ボージオが歌う「顎を伸ばしたい」は日本公演よりも手慣れが伝わる。「拷問は果てしなく」のソロ冒頭での女性のうめき声は、さすがにビアンカは拒否したのか、録音を流した。この録音はザッパが刑務所に収監される原因になった独身時代の女性友だちを使っての「性行為のやらせ」を76年に誰かに依頼して再録したか、あるいはクカマンガのスタジオZでの録音テープの複製を入手したかだが、ジョーの解説はそこまで立ち入らない。実際の性行為のあらゆるノイズをサンプリングして使うミュージシャンもいる中、本曲の女性の声を卑猥と連想する人は少ないのではないか。今気づいたが、ディスク6のボーナス・トラックはCDプレイヤーの曲目表示の数字がジャケットの表示と違ってずれている。ジャケット裏面左の曲目表示を見ると、ディスク5,6に「パープル・ラグーン」が5曲も表示される。筆者は同曲のこのメンバーによる演奏が大好きなのでそのことに文句はない。同曲は公演の最初と最後のテーマ曲で、5回の一回は序、残り4回のうちの最後は翌日の別会場で録音されたボーナス曲であるから、3回すなわちザッパは2回アンコール演奏した。<br>

コンサートにテーマ曲を用意することはディスク3,4の「チェッ・チェッ・チェッ(わが極端さの印)」で見られ、74年から始まった。日本公演でも独自の主題が用意され、アンコールでもその終わりのたびに合図としてそれが奏でられた。 「パープル・ラグーン」は「アプロキシメイト」に原点があり、それは73年の作曲だ。その複雑なリズムの曲をしかもディスコ調にしたヴァージョンを日本公演から9か月後に演奏したことの背景に当時のディスコ・ブームがある。ジョージ・デュークは75年にマザーズを抜けるが、その背景にザッパのマネージャーの目論見があった。彼は金儲けが仕事であるから、ジョージのマネージャーとなり、ディスコ・ブームへの便乗は不思議でない。一方ハーブはザッパとの契約を無視する金遣いからもザッパとの仲は悪化する。ともかく「パープル・ラグーン」はツアーのテーマ曲となってそれは78年まで続き、またザッパはディスコを風刺する曲を書きもする。ディスクはブームは去ったがひとつの様式として今も演奏される。ザッパは音楽の流行を取り入れた。それは模倣である部分よりも改変が目立つ。クリシェを独自のスタイルに作り変えている点で独創であって、そのザッパ的なる音楽から他者がクリシェを見定め、それをさらに作り変えて独自の語法に昇華させることがザッパを敬愛するミュージシャンは進むべきで、ザッパ曲をカヴァーする人がオリジナル曲で目指すべきことはそれであると筆者は思う。ただしその行為はビートルズらしい曲を書いて人気者になることよりもはるかに困難だ。ザッパの音楽がクリシェ化されにくいからだ。またそれを探ってザッパらしい曲を書いたとして、人気が得られる場合はビートルズ風音楽よりもはるかに稀だ。ザッパがブルースについて語ったことに、その様式を演奏するに値する事情が演奏家にあるかどうかというのがあった。JJ・ケールのようにブルースは白人が演奏しても名品になり得るが、「ブルースも出来ます」という程度ではブルースが登場して来た根源の精神は表現出来ず、軽薄さが露呈する。それでザッパは黒人メンバーを雇って黒人音楽が持ち得る魂と言えるものを奏でようとした。「パープル・ラグーン」はヴァレーズやストラヴィンスキーを含んであらゆる音楽を通じて得たザッパらしき音楽で、それがアホでも喜ぶディスコ調で演奏される。ところが「ブラック・ページ」と同様、そのポリリズムにふさわしいクリシェ化されない踊りはどのようなものか。正確なリズムを保ちつつ、手足の動きはきわめてばらばらに見え、「わが極端さの印」にしかなりようがない。その極端さが表現者に求められるが、集団の場合は調和は欠かせず、本作でも各メンバーは他者の演奏をよく聴いて音を加減している。猛烈に連打するテリーでもほとんど奏でないことがあり、そのメリハリによって却って存在が際立っている。
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