「
祖神(おやがみ)の 仲間に入りし 祖父や祖母 赤く染まって 吾に微笑み」、 「ゴンドラに 龍の頭の 飾りつけ 銅鑼をゴーンと カルロス鳴らす」、「ゴロゴロと 雷鳴りて 腹下し 神と吾とは 語呂のみ合いし」、「ドラゴンの 果実見かけて ひとつ買い 味は知らねど 気分うきうき」

先月28日に家内と西国街道の続きを歩いた。また予定した展覧会を見る時間がなく、翌日筆者ひとりで出かけ直した。その2日間の出来事をブログに全部投稿するのに2週間ほど要するだろう。撮った写真はすべて投稿用に加工を済ませたが、地図に歩いた道筋を描き込む作業はまだだ。それにどの順序で投稿するかを決めていない。その2日以降に新たな投稿すべきことを経験しているのでなおさらだ。ともかく記憶が薄れない間に投稿する。2日とも筆者には珍しいほどよく歩き、28日の夜は茨木市駅のプラットフォームで珍しく左足がつり、帰宅後に両足がこむら返りになって、5分ほどのた打ち回った。たぶん2日合わせて35キロ以上は歩いた。今日はその2日間の予告編として、茨木市立中央図書館近くで見つけたドラゴンフルーツについて書く。コンビニのローソンの店頭にワゴンがひとつ置いてあって、見切り品のバナナとドラゴンフルーツが安価で売られていた。後者はヴェトナム産で1個200円だったと思う。バナナの安売り珍しくないが、ドラゴンフルーツは京都のスーパーでは見たことがないので迷わずに買った。家内は興味がなく、文句を言った。当日はそれを持って歩き続け、またいつものようにしばし道に迷ったのでなおさらだ。追熟するのかどうかわからないまま3、4日後に、ふたつに割ってスプーンですくって食べた。中身まで真っ赤な品種があり、赤白のどちらかかと思って包丁を入れると、白であった。外れの気分。切った半分を家内にわたすと、その半分ほどを食べ残したので筆者はそれも食べた。少し甘いキュウリのような味で、だいたい想像どおりだ。いかにも熱帯の果実の色合いで、化学染料で染めたような派手さだ。だが筆者は嫌いではない。それはそうと、今日の題名の「不良娘」は加藤一雄の
『無名の南画家』に登場し、主人公の貧しい南画家の最期を看取る女性を思ってのことだ。富士正晴はその小説に痛く感動し、その不良少女をイメージして木版画を彫ったほどだ。不良であっても心優しき女性で、加藤も富士もひとつの理想の女性像をそこに見たのだろう。筆者もその小説の不良娘を想像してみると、ドラゴンフルーツの皮の色合いのワンピースが似合う気がする。不良娘が同じ不良の男を好きになることは月並みで面白くない。才能があり、それでいて生き方が下手で運に恵まれない男に彼女が同情するという設定がよい。嘘のない、真実一路で生きる男に、せめて不良であっても同情する女性がひとりでもいなくては、この世はつまらない。ただし現実はやはりつまらない。それで男は理想を作品に描く。

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