「
懇意には たまに翻意の 本意あり 婚姻破綻 鸚哥巴旦も」、「珍しや 芭蕉の花は エイリアン べろりんベロと 象牙の歯並び」、「芭蕉の実 猿のバナナか 稚児の手か 採るな食べるな スーパーで買え」、「金網の 合間に覗く 芭蕉花 動物園の 狒狒を思わせ」
昨日の続き。先月27日は天気がよく、久しぶりに向日市に自転車で走った。7,8年前から月に二度ほど通っていたが、1年半ほど前にそれは途絶えた。理由は書かないが、簡単に言えば縁が薄くなったからだ。不思議なもので、気づけば縁が深まって盛んに交流するのに、やがて潮が引くようにその関係は途絶える。飽きるというのではなく、世の中の動きによる。特にコロナの影響だ。ともかく通い慣れた道を走りながら、途中でスーパーに立ち寄ると往復3時間近く要するが、ルート上のどこに蘇鉄があるかを熟知していて、そのひとつずつに内心声をかけながら元気さを確認するのは楽しい。また道路沿いの家が改築ないし新築されて行く様子も面白いが、大きな神社はそのままでそれがまたよい。目的地に着く1キロほど手前に大きな道路があり、そこでたいてい信号を待つ。その道路沿いの角地に以前柿の木があって赤く熟した柿の実が下がっていた。手を伸ばせばもぎ取れそうで、家の人はそれを思ったのか、次に出かけた時は大きく剪定されていた。そして今回同じ場所に筆者の目の高さに芭蕉の赤い花が咲いていることに気づき、金網の隙間にカメラのレンズを突っ込んで1枚撮った。帰宅して確認すると、残念なことに右端に金網が入った。芭蕉の木はJR嵯峨駅前の商店街の途中、アビーロードと呼ばれる東西の道の始まりの北側に1本ある。嵯峨の落柿舎にもある。最近では去年5月29日に家内と歩いた阪急茨木市駅と高槻市駅の間の途中、安威川左岸で10本ほどの並木を見かけ、その写真を
「西国街道、その12」に載せた。その眺めに比べると、道路際の個人の狭い角地では金網フェンスに囲われているのは仕方がない。それにしても見事な色合いと大きさの花で、間近で見たのは初めてだ。芭蕉自体が比較的珍しい。その花となればさらにそうだが、情報が提供される植物園とは違って、民間でひっそりと咲く様子に偶然出会うことは、大げさに言えば人生の妙味だ。しかも1年かそれ以上ぶりに出かけ、カメラ持参であったことと組み合わせると、写真が得られたことは筆者の人生で唯一と言っていいほどの確率だ。ごく一時期のみに鑑賞出来る野外彫刻と言ってよく、自然ほどの創造者はない。しかし人間も神が造ったものとすれば、きわめて稀な才能を持つ者が渾身の力で一生に一度と言えるほどの大作を作る場合、それも荘厳な花と言うべきだが、芭蕉の花が咲くことを何とも思わない人がいるように、芸術という言葉を嫌う人はおそらく圧倒的多数派だ。「芸のなき 人の地味さが あってこそ 目立つ仇花 次々と散り」
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