「
晶光(あきひかり) ウォッカに似合う 名前なり 40度では ロシアに負けて」、「絵馬に書く 願いはひとつ 世界無事 こともなげには 人を殺すな」、「願うなら 欲を持たずに 努めよと 童でも知る 神の采配」、「ステテコと シャツの単衣の 爺が言う 吾と神とは 紙一重なり」

昨日の続き。北野天満宮の50の末社、摂社それぞれにお詣りする人がいるのかどうか。信心深い人は年々減少しているであろうし、またコロナ禍のために神社に足を運ばず、ネットで済ます新たな仕組みが考えられているか、今後はそうなると思えるから、あまり有名でない末社、摂社の前に立って拝む人は珍しいかもしれない。そう思いながら今日の最初の写真を撮った。左は若い女性がお詣りしていて、ネットで調べると文子社のようだ。境内の北には立派な文子天満宮があって、それとの関係を言えば、前者は巫女の多治比文子を祀り、後者は多治比文子が菅原道真の霊を祀るべしとの神託を授かり、身分の低かった文子が自身で小さな祠を造って霊を祀ったことを起源とする。文子天満宮は下京区に大きな神社があるが、加藤一雄の本には上京区の紙屋川沿いにあった入江波光の家のすぐ近くにもあったことが記される。それをグーグルのストリート・ヴューで確認すると存在しないので戦後に取り壊されたのだろう。文子天満宮をお詣りするのは学業成就であることは当然として、文子社はどういう御利益があるのだろう。今日の最初の写真はたまたまカメラを向けた時にお詣りする女性の後ろ姿が入ったが、シャッターを押しながら小さな社にお詣りする人の特別の思いに感心した。その社が文子の霊を祀ることをその女性は知っていて、何を祈願しているのかという疑問が湧く。誰よりも早く道真の霊を祀るべしとの神のお告げを得たのは巫女として特別優れた能力があってのことで、そういうことを今は信じない人がほとんどだと思うが、信じない人はそれなりの人生を歩むだけのことで、何ら不つごうはない。それに霊感が人一倍優れているからよき人生を歩むとも限らない。自殺願望を皆目持たない人は、たとえ極貧であっても運がよいと思うこと多いだろうし、またその感謝と言うべき思いは神の加護に対する意識につながっている。筆者のことを言えば、片っ端から神社を訪れ、こうして写真つきで文章を書き続けているためか、よいことがしばしば起きる。大げさかもしれないが、自分ほど幸運な者はいないという感謝の思いに包まれることがよくある。富士正晴は両親と同居しながら、かなり高齢の父親が年々多幸感に満ちた生活を送るようになったことを書いているが、高齢者が笑顔いっぱいの顔つきとなり、親しい人たちに囲まれることは絵に描いたような幸福ではないか。息子の正晴が父のような最晩年を送ったかとなればこれは話が別で、近所に知り合いはなく、また父親ほどには長生きせず70代半ばで死んだ。

文子社にお詣りする目的は文子のように優れた霊感を欲するためかと言えば、文子が道真の霊を祀るようにとの神託を受けたことになぞらえれば、自分のためではなく、誰かにいいことがあることを願うためと言えまいか。たとえば優れた才能があるのに世に埋もれている人に光が当たることを祈願することだ。そのように考えると写真の後ろ姿の女性はなおさら健気に見える。神頼みを否定する人がいて、その考えには神に祈るだけで努力しないことに対する揶揄が含まれるが、自分のことではなく、他者のために祈ることはある。そういう美しい神頼みも意味がないとすれば、何と世の中は殺伐として生きる真の楽しみも感じられないのではないか。さて、文子社と神明社に目が留まったのはそれぞれ独立しているからで、このすぐ近くには
末社摂社の連棟があって、それも撮ったが、帰宅して確認するとこのカテゴリーの2回目として7年前に投稿したことに気づいた。筆者はこの連棟の社が大好きで、北野天満宮のそれは特に朱と白の色合いが素晴らしい。これは巫女の衣装と同じで、そのためもあって筆者は巫女の、特に神楽鈴を持って舞っている姿を見るのを大いに好む。美女である必要はなく、むしろ素朴な普通の女性がよい。さて5年前に投稿した末社摂社の連棟写真の右端に朱塗りの鳥居の列が覗いている。それが今日の2枚目の写真で、3枚目はその右手奧だ。絵馬はどれも遠目に黒い牛が描かれることがわかる。学生が受験合格を祈願して大量に訪れるので写真のような膨大な数の絵馬が毎年かけられる。京都は大学生の街であるのでなおさらだ。あまり勉強せずに合格祈願する人が入試に失敗したとして、自分の努力がりなかったと諦める場合がほとんどであろうし、そういう人がまた頑張るきっかけになるのであれば神社の役目は大いにある。3枚目の奧は牛舎と呼ばれ、小さな祠があるようだが、筆者はその前までは行かなかった。薄暗い洞穴を思わせる空間で、実際に牛を飼っていたことがあるのだろうか。神社によくある神馬からすればそれはあり得る。北野天満宮は随所に牛の像が置かれ、人々がその頭や足をさするため、そこだけが金色に光っているが、家内は両手のリュウマチの痛みがひどいので、前脚を触っていた。これは先月25日ではなく、4月6日に気づいたことだが、思い出したので書いておく。梅苑の入口より少し南、楼門前の参道の東側に、昔切り絵で紹介したことのある目がぱっちりと大きな
小さな牛の黒い石像がある。設置されたのは2008年だ。その体躯が赤を中心とした華やかな布で覆われていた。奉納した人の身内か、あるいは特別にこの石像を愛する人が地蔵像のように思ってそうしているのか、とにかく庶民から親しまれていることは確かで、財力のある人はそのような寄進をすれば見知らぬ多くの人たちに長年にわたって感謝される。

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