人気ブログランキング | 話題のタグを見る
👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●KIITO再訪
告され 逆恨みする へそ曲がり しんみり嫌う 親身知らずは」、「ミシン踏み こうもり傘を 縫う音を 解剖台で シュールと聞きて」、「シュールとは 何のことかと 訊く人に 駄々こねまくり 煙に巻いて」、「生娘に しゃぶしゃぶ奢り 驕る爺 牛丼謗り 久しからずや」



●KIITO再訪_d0053294_10530415.jpg
19日の神戸行き、撮った写真を今日全部投稿用に加工し終えた。後3日続けて投稿する。没写真が1,2枚しかないのはフィルム・カメラと同じ感覚でデジカメを使うからだ。それにかなり調子がおかしくなっているオリンパスのCAMEDIAの記録媒体は32MBで、以前撮って保存したままにしている数十枚があって、余裕は常に2、30枚分しかないためで、これではフィルム・カメラより1枚ずつを大事に撮ろうという気になる。その一種ケチな思いは筆者の文章にも表れている。19日に神戸方面に出かけた7,8時間のことだけで1週間も投稿出来る。これはどうでもいいことをだらだら書いているからで、その気になれば1か月でも投稿出来る。つまり人生は思うことをすべて書き尽くすことは不可能で、心という海の表面に薄く浮かぶことだけを掬い取って文章にする。それは絵画でも音楽でも同じだ。その半ばたまたま経験し、さらに半ばその気になって表現することは、偶然の産物と言ってよいが、たとえばこの文章を読む人もたまたまのことで、世の中には偶然と偶然が出会うきわめて稀偶然が存在する。その偶然の出会いが芸術的感興を催すことはさらに稀であるから、その極稀偶然は奇蹟と言ってよい。ところで3日前に鶏冠鶏頭の種子を植えた。真っ暗闇の袋に保存されていたその種子は、筆者が封を切って取り出し、土に埋め、水をやり、光が当たることで活動を開始する。この文章も種子にたとえてよい。それが開花することとは、読んだ他者の心に何かが芽生えることだ。誰もが同じように思うはずはないから、つまらない花と思われる場合は多々あるが、種子にとってそれはどうでもよいと言うより、思われるがままの存在で、どう思われてもわからない。表現されたものは表現者がそのように定めたことであって、常に種子のままである一方、すでに多くの人が触れてそれなりの花を咲かせている場合がある。ただしその花ははかない。すぐに忘れ去られることがほとんどで、長年大輪の花として称えられる大芸術は奇蹟を100乗したほどの極稀奇蹟だ。それはほとんど運が左右するが、残りの理由はやはり表現者の技術で、そこには人柄が反映し、感動を与えて大輪の花と思わせようと工夫する思いが勝ち過ぎると、全くの逆効果となって醜悪な臭気を発散する花と認知される。TVにはほとんどそのような人物による表現ばかりが幅を利かせている。それが歓迎されるのは同類の人や鈍感な人が多いからだ。今日は写真が5枚なので最低4段落を書かねばならず、以上前置きとし、以下本題。
●KIITO再訪_d0053294_10532152.jpg 5年前の秋に大阪の郷土玩具の会員から、多くの郷土玩具が展示される展覧会情報があった。筆者は初めて訪れる会場で、神戸の埠頭に近いところにあるKIITOという古い建物だ。10月だったと思うが、家内とそこに出かけた。神戸開港150年記念と銘打った催しのひとつで、郷土玩具もさることながら、会内で開催されていた他の展示も興味深く、写真をたくさん撮った。それらをブログに投稿するために全部加工を終え、4,5回に分けて投稿する用意があったのに、写真がどこに行ったのかわからなくなった。何度か必死に探し、パソコン内部はもちろん各種記録媒体の消去データを復元しても見つからなかった。とても不思議で、今なおどこかに保存していないかと探す。加工した写真ははっきりと覚えているのに、それがないことのもどかしさは、フィルム・カメラではほとんどなかったことだ。紙焼きであれば捨てない限り、どこかに存在するし、なければまたネガを焼けばよい。デジタル時代になって一瞬で消えるという不安が増大した。このブログにしても電気がなければ読めず、筆者が死ねば数年経たずに広告だらけになり、更新がないというのでブログ運営会社は勝手に消すことにもなるだろう。印刷本であれば、1冊でも残ればそれは植物の種子と同じようにまた複数生産され得る。それにしても加工した写真はどこへ行ったのか。自分に落ち度があるのはわかっているが、間違って消すことがあるだろうか。多忙さにかまけて投稿する機会を失い、そのうちもう使わないので消去していいかという気になったことは絶対にない。念入りに加工したので、必ずヤフーのマイ・ボックスかパソコン内部、あるいはMOに保存したはずで、また画像ファイルの名称にkiitoを使ったことは明らかであるのに、血眼で探しても出て来ない。その無念さがこの5年あり続けたので、先日19日は神戸に出たついでに足を延ばしてKIITOを再訪することを家内に言わずに決めた。せめて5年前に撮ったのと同じ角度、同じ場所の写真を再現するためだが、季節も時間帯も異なる。それに今回は玄関ホールに入っただけで奥の部屋まで進まなかった。5年前の展覧会はもうないからだ。それで今日は「再訪」と題名に書いたものの、その後に「ただし玄関のみ」と足す必要がある。今日の投稿は自分の失態をわずかでも挽回し、無念さを晴らしたいためなのだが、今日の写真はネットでは同様のものがたくさんあって、その意味ではほとんど筆者は無意味な行為をしている。前述した5年前の郷土玩具展の様子はどういうわけかKIITOのホームページでは紹介されず、別のところで写真を見つけた。それらは筆者が撮ったものより鮮明でわかりやすい。それでも筆者が写真を失ったことを惜しいと思うのは、自分の管理不足の不甲斐なさが悔しいからで、諦めが悪いと言い替えてよい。
●KIITO再訪_d0053294_10535451.jpg
 5年が長いのか短いのか、それはものによりけりだ。今回KIITOの玄関前に立ち、中に入って写真を撮った時、筆者はこの5年が数日のごとくに感じられた。郷土玩具展を見た後にKIITOの奧の会場で他の小さな展覧会を3,4つ見た。それらも撮影したのでよく覚えているが、同様に印象深かったのは、アルバイトらしき女性係員だ。彼女は全体に白っぽいブラウスにカーディガン、スカートという私服姿で、そのミニ展覧会の入口付近に立っていた。彼女は家内より20歳ほど若い40代前半でたぶん主婦だろう。家内の親類かと思うほど顔や雰囲気が似通っていた。筆者は展示を見ながら、何度も彼女の横向きや後ろ姿を盗み見し、まともに目が一、度度合った。筆者が意識していることを彼女は気づいたのだろう。簡潔に言えば清楚で快活、また珍しい顔で、家内の生まれ変わりのような気もした。筆者がそこを訪れた日と時間帯は調べればわかるので、探偵が調査すれば彼女がどこに住んで何をしているかはわかるだろうが、当然そんな興味は筆者にない。こうして5年前のことを思い出して書いていると、彼女のことも含めてKIITO内部で見たことがすべてかけがえのない愛おしいものに思える。それは同館を再訪すればある程度は蘇る。実際19日の日没直後に玄関ホールに入った時、その思いはまざまざと蘇った。しかし内部は各部屋の構造や常設展示はそのままでも、企画展や前述の係員の女性は存在しない。5年経つので彼女に再会出来たとしても、筆者が見た時の彼女と同じではないだろう。同じであっても親しくはなれず、親しくなれたとしてもそれだけのことで、結局一期一会のしかもごく一瞬の目撃で充分ということだ。あるいはそう思って何事も断念して行くことが人生だ。筆者の心が動き、気に留め、こうして回想して書いていることにそれなりの尊さを思う。この文章を読む人が同じような思いになるならば、この文章が開花することであって、筆者の撒いた種子の意味があったことになる。そのことはとてもはかなく、見方によっては悲しいが、花とはそういうものだ。筆者がKIITOでたまたま見かけた係員の女性も全く花のように美しく、全身から明るさと笑みがこぼれていた。彼女は自分がそのように見られていることを少しは自覚していたであろうが、そこに嫌味は全くない。花に嫌味がないのと同じことだ。ただしどの花も美しいとして、筆者の目にかない、これは絶品と思える花はきわめて少ない。その意味で前述の女性は筆者が初めて見かけたタイプの謎めきを持っていて、家内によく似ながら、家内にはない別のものが発散していた。まあこういうことを書いても家内は嫉妬しないだろう。家内は筆者が女好きであることをしばしば言うが、筆者の女性を見る目は案外厳しいか、ほとんどの場合は無関心だ。あたりまえのことだが、美しい女性は多くても、真に美しいと感じることは極稀だ。
●KIITO再訪_d0053294_10541691.jpg
 今日の写真を少し説明しておく。KIITOは「生糸」のことで、昔生糸を繊維製品に使えるように加工していた工場だ。うなぎの寝床となっていて、間口は狭いが奧はかなり長い。生糸を加工する機械が一部残されていて、その展示室も兼ねている。前述のようにミニ企画展として使われる部屋のほか、郷土玩具展に使われたような広い部屋もあって、内部構造は迷路とは言わないが、夢に出て来るような意外性がある。ホームページによればさまざまな催しに使われ、多くの人が集まるようだが、コロナ禍ではそれは制限されたのではないか。今日の最初の写真は2枚目のファサードに向かって右手の玄関で、ガラスに施設名が書かれる。前回も今回も筆者は2枚目のファサードから出入りした。3枚目は入ったばかりのところで奧が深い様子がわかる。白い床は下り坂になっていて、奧の板張り床の左手に5年前は「KIITO」の文字をそれぞれ象った白い立体の文字があった。5年前はその写真を数枚撮ったのに、もうそれは紹介出来ない。同様の大きな立体置き文字は世界中で流行中で、メリケン波止場にもある。板張り床の右手を入ったところに郷土玩具展が開催されていた。それを示す神戸人形の立て看板がかわいらしく、その写真も撮ったのにそれも消えた。ともかく19日はその板張りまで進まなかった。4枚目の写真は3枚目を撮った場所から左手の壁面で、各種展覧会のポスターが貼ってあった。モジリアニは大阪中之島美術館で開催中だ。右の『ミニマル/コンセプチュアル』は当日見た。左端の『フェリシモ・チョコレート博物館』は昨日書いたように午後8時までのはずが、扉が閉まっていた。『建築模型展』はどこで開催しているのだろう。他は興味がない。5枚目の写真は外に出る際に撮った。両脇に2階に通じる階段がある。5年前は2階も見た。レコード店が入っていた記憶がある。それに奧の広い空間をフェリシモが占め、扱う商品を展示していた。そのフェリシモの経営は上昇したようで、KIITOから西に200メートルほどか、新しい社屋を建てた。チョコレート博物館はいずれ出かけ直したい。KIITOに行くには阪神高速の高架下を歩道橋でくぐる必要があって、三宮からはかなり辺鄙なところに行くという気分になる。神戸は東西に長く、南北はきわめて短いので、新しい施設は海を埋め立てて造る必要がある。KIITOは古い建物の応用で、これは京都にも同類の規模のものがないと言ってよく、少々羨ましい。個展用の会場として借り受け出来るのかどうか知らないが、郷土玩具展は1年近く開催されたので、展示内容如何で借りることは出来るだろう。内部はあまりに広く、人がいても目立たず、夢の中にいる気分になる。ついでに書いておくと、KIITOのホームページは洒落ているのはいいが、夢のようにきわめてわかりにくく、これまでの催しがすべて詳細に報告されていない。
●KIITO再訪_d0053294_10543397.jpg

スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示する

by uuuzen | 2022-05-28 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、... >> << ●神戸の消火栓の蓋、アゲイン

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?