「氾濫の 川に飛び込む 老天使 助けられしが 自殺を防ぎ」、「ゴミ拾い 今は宇宙で する羽目に 羽目を外すは 神の本質」、「伸びた分 切ってさっぱり 人も木も 坊主の庭の 木々は青々」、「枯れ枝の 息子手伝う 束を見て 今さらに知る 律儀と粗雑」、「二束ずつ 家内と分けて 運ぶ柴 焼かれる定め 常に悲しき」
今日は2か月ぶりに区役所のゴミ回収車による枯木などの回収があった。自治会に加入していると行政サーヴィスの文書回覧がある。京都市は燃えるゴミは黄色の袋でコンビニやスーパーで数種の容量のものが売られている。最大は45リットルで、1枚45円であったと思う。それを使えば筆者が作る枯木の1束はひとつは入るが、尖った枝があちこち突き破るのが嫌だ。束ねた長さは50センチほどで、常識的にひとりで抱えられる嵩だが、束ね方で7,80センチになる。筆者は太い枝を20本ほど紐で括った後、その隙間に細枝を大量に挟み込む。先日気づいたが、予め紐で直径50センチほどの輪を作っておき、その中に枝を通せば束ねた枝を抱えて縛る面倒がない。こんなあたりまえのことにようやく気づいた。
前回の回収後、裏庭で枝切りを何度か行ない、3束を作った。今月初めにまた剪定し、息子に蓄えていた細枝を以前の3束に挿入させた。息子はどうせ燃やされるので作業は適当でよいとの思いで、枝は反り返り、束の長さは1メートル以上になった。筆者はその作業を横目に見ながら4束目を作り、それを今月8日に完成させた。今日自治会館前に運ぶ前、すなわち撮影直前に息子が仕上げた束をかなり修正した。4束のうち、嵩は同じほどだが細枝中心の軽めの2束をキャスターに載せた。それを家内に引っ張らせ、筆者は自転車の前と後ろの籠に載せ、自転車を転がして運んだ。ふたり同時に出発し、筆者が作業員に手わたして帰る途中でゆっくり運ぶ家内に出会った。筆者が二度運べばいいが、以前書いたように一軒当たり2束の決まりで、作業員は訝って文句を言う。紐と束の状態が同じで、同じ家が作ったものとわかるはずだが、持ち込む人間が違えば文句は言わないだろう。軽トラックに積まれる枯木はいつも2,3軒のようで、充分余裕がある。脚立に乗って、あるいは高い幹の又部分に立って枝を切るのはかなり危険で苦労もする。切った枝から葉を落とし、長さをおおよそ揃えて縛る作業も同様で、完成した4束は筆者にすればちょっとした作品だ。またそれが焼却場に直行することを思うと弔いの気持ちになる。生きている木のどの枝を切れば見栄えがよく、木にとっても打撃が少ないかを考えて筆者は剪定するから、仕上げた束が燃やすゴミ扱いであっても雑に扱っていいという考えにはならない。束の仕上がり状態に人柄が出るが、息子が雑であると言い切るのはちょっとかわいそうか。息子なりに筆者の作った束を見て、百本以上はある細枝を文句を言わずに1本ずつ隙間に食い込ませていた。
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