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●飛び出しボーヤ、その75
ぎ続け 岸は見えずに どこへ着く 海原広し 舟底深し」、「侵攻は 信仰ありて 進行す 強引に秘す 強欲かな」、「攻め込まれ 次は攻め行く 殺し合い 人の歴史は 轢死と消えて」、「意地になり 医事を維持せよ 今は異時 いじいじいじる 自慰を辞意せよ」



●飛び出しボーヤ、その75_d0053294_03030919.jpg今日は昨日の続きめいたことを書く。ロジェ・カイヨワの遊びの分類からすれば筆者のこの投稿は何に該当するか。子どもに筆記用具を与えると落書きを始める。それは空想を楽しむ行為で、ミミクリに相当する。文章を書く楽しみを持つ子どもはあまりいないと思うが皆無ではない。彼らはやはり詩人のように空想を楽しむはずで、筆者の文章行為もミミクリかもしれないが、カイヨワによればミミクリは人形遊びや演劇のように本来は模倣を楽しむ遊びだ。筆者は文章を綴ることで何かや誰かになりたいとは思っていないので、ミミクリとは微妙に異なる。凧あげやクロスワード・パズル、トランプのひとり占いなど、ひとりでするいくつかの遊びは、結果に対する挑戦という形の遊びであって、一種の競争すなわちアゴンに分類してよいが、カイヨワはふざけ、はしゃぎ、馬鹿笑いとともに例外にまとめた。筆者の文章はふざけやはしゃぎに近く、例外の遊びに属する。ふざけやはしゃぎと言えば、TVのお笑い芸人が専門であるから、筆者は嫌悪する彼らと同類になりそうだ。それはいいとして、カイヨワは子どもの頃にどういう遊びに執着したのだろう。夢想好き、思索好きであったはずで、その点ではひとりでする遊び、すなわち例外の遊びになるが、ふざけやはしゃぎを嫌ったはずで、遊ぶことを好まなかったかもしれない。となると傍目には勉強好きの面白くない子に映ったのではないか。勉強が遊びという人はいるし、その勉強が学業とはほとんど無関係である場合はやがて研究家になるが、カイヨワはそのような人であった。ただしその研究は過去の遺産のうえに創造による独自性を築くことが本道で、ただの物知りでは好事家に留まる。筆者はそれにすら及ばず、それはそれで諦めるしかない。昨日はいじめが遊びのひとつと書いた。それにはアゴンに入り込みやすい。他者との競争には嫉妬が生まれやすいからだ。筆者はこの文章を誰かと競争しているつもりは毛頭ないので、誰に嫉妬することはなく、したがっていじめからも無縁かと言えば、自分では気づかないものの、傍目には嫉妬していると思われることはあるかもしれない。知識人の間では嫉妬やいじめは少ないかと言えば、おそらく逆で、自分が優秀であることを誇示したいために陰で悪口を言う者は多いだろう。それが人間というものだ。小さな子どもが小動物をいじめることはよくある。その延長に子どもの間で嫉妬やいじめが生まれる。またそれが遊びの中でしばしば顔を覗かせ、いじめが独立した楽しみに肥大することはある。ではいじめは4分類のどれに含まれるか。昨日はそのことを書かなかった。
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 カイヨワは遊びのすべてを健全なものと考えた。そしてキリスト教で否定される嫉妬やいじめは遊びになりようがないと否定したのだろう。そこは筆者も理解するが、遊びを通じて健全になるべき人間が、アゴンではいじめに似たことが行なわれ、また薬物を使ってルールを無視してでも高得点を取りたいと思う。これは遊びの聖なるものを冒涜する行為だが、競争には不健全さが入り込みやすい。もちろんカイヨワはそのことを知っているが、遊びの4分類のいずれにも反文化的要素が現われることに対して、それは遊びが堕落して遊びでなくなったためで、遊びから必然的に生まれたものではないとする。立派な遊戯者は熱中するが紙一重のところで熱中し過ぎない態度を持つとも書き、これがカイヨワの最も言いたいことではないかと、23,4歳頃の筆者は思ったもので、その熱中しつつ紙一重のところで熱中し過ぎない態度をザッパに認めもした。カイヨワもザッパも仕事に熱中し過ぎたと思うが、仕事は遊びではなかったからには仕方がない。話を戻して、競争はさておき、いじめを遊びと心得る者がいるかどうか。遊びではないが、気晴らしと思っている者はいるだろう。カイヨワはそのことをこう説明する。遊びの定義は遊びが本質的に隔離された活動で、遊びの世界は現実の世界と鋭く対立する。他人に勝ちたい、運にすがりたい、他人になってみたい、目まいによって自分を忘れたい、という衝動は日常の生活にも存在する。遊びはこれらの強力な本能を形式的に、観念的に、一定の限界内で、日常生活から分離して満足させるはずのものであった。現実と遊びの境界が曖昧になるとき、遊びの堕落が始まる…。いじめ遊びがあるのかどうか知らないが、じゃれ合っているように見えて暴力を奮う、あるいは無視やいじめをすることは往々にしてある。いじめている者からすればそれは遊び感覚だろうが、いじめられている者にはそうは思えない。したがっていじめは遊びに該当せず、遊びの堕落でもなく、遊びの例外にも属さない。そのことを子どもたちに教育すべきだが、その延長に戦争を起こさない精神の育みが期待出来る。さて今日書きたかったのは以上のことではない。最近チェーホフの小説を少しずつ読んでいるが、中編の「決闘」は途中で本来の筋から外れた問答が書かれ、チェーホフの思想を垣間見た気がして興味深かった。そういうことは流行作家には出来ない芸当だ。小説は架空の物語であるので何の役にも立たない気晴らしという見方がある。ところが歴史でも書き換えが常になされて何が真実か明白ではないし、上田秋成の『雨月物語』のような作り話でも人間の真実性を伝え得る。となると一般には極悪人と思われている者でも視点を変えればわずかに人間らしさがあることになるが、それはあたりまえのことだろう。ただしそうであるから極悪人に情けをかけ、罪を減らしてよいというのではない。
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 先日プーチンのことを面白いと書いたのはそういう理由で、トランプが大統領になった時にも同じようなことを書いた。その面白いというのは、本人やまた彼らを含むこの世界が不可思議で捉え難いとの意味だ。当然筆者はプーチンのような人格は敬遠はするが、筆者がそうしたところで彼らと同種の人間はいつでも出て来る。話を「決闘」に戻すと、その第16章の大半は主人公の動物学者と宗教家の補祭の問答で、この職業のふたりに意見を戦わせたところにチェーホフの巧みさがある。キリスト教を信じていない、あるいは自分なりに信じていると主張する動物学者は補祭と意見は合わないが、終始仲はよい。動物学者が決闘する相手は補祭ではない。動物学者は自分の生き方に反する男に決闘を申し込み、それに勝つが、相手を許す。問答はかなり長く、またわかりにくいところがあるが、肝心な部分を書く。動物学者はこう言う。「決闘はもう時代遅れだとか、決闘は一見貴族趣味ではあるが、本質的には酔漢が居酒屋でやる喧嘩となんら異なるところはないとか、まあそんなことを君と僕がここでいくら気炎をあげたところで、やっぱり僕らは思いとどまらんだろう。…すなわち、われわれの推論よりも力強いある力が存在するんだ。われわれはつねづね声を大にして、戦争は追剥だ、蛮行だ、戦慄だ、兄弟殺しだと叫ぶ。われわれは失神せずして血をみることはできない。しかしだ、フランスやドイツが一度でもわれわれを陵辱したら最後、われわれの士気はたちまちにしてあがり、じつに心底からのウラーの叫びを上げて敵陣に突進するのだ。…われわれおよびわれわれの哲学よりも高所にあるのではないとしても、少なくともそんなものより力強いある力が存在するんだ。われわれがそれを阻止することのできないのは、そらあの海の向こうから湧いてくる黒雲をとどめる力がないのと同じなのだ。」動物学者は決闘を戦争と並べながら、どうにもならない圧倒的な力が存在し、それが人を駆り立てることを言う。そのことはカイヨワの考えに通じているが、カイヨワはそれでも冷静さを保つべきと唱える。これはロシア人の民族団結の考えとフランス人の冷静な知性との差と言えばそれまでだが、チェーホフの思いが動物学者に反映しているとして、この小説を書いた31歳の明治24年は、日露戦争はまだ10数年先であった。ドイツとの戦争は20世紀に入ってからのことなので、フランスの陵辱云々はナポレオンの侵攻を指し、攻め込まれれば戦うというあたりまえの思いを抱いていた。今はそれがウクライナ人にある。動物学者と補祭の議論の最後は補祭の次の言葉だ。「仕事を伴なわぬ信仰は死物だ。が、信仰を伴わぬ仕事はもっと悪い。ただ時間つぶしにしかならないんです。」で、筆者は信仰があるかと自問するが、動物学者とは違う考えながら、また同様に、自分流で持っていると思いたい。
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by uuuzen | 2022-04-28 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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