「
揉むことは 体によけれ 気にわろし よきメッセージ 気のマッサージ」、「畳まれた 幼なき命 開き行き 延びた記しの 皺は深まり」、「確保する 牡丹の域に 気が湧きて 開花のドラマ 待ちて朝露」、「牡丹花の 蕾の宝珠 ほころびて 皺くちゃの襞 広がり円座」
考えていることは何かの形として表さねばこの世に存在したことは他者にわからならない。わかってところで世界が変わることはほとんどないが、花はそのことをどう思っているのだろう。わが家の裏庭に今年も牡丹の花が咲いたが、見るのは筆者と家内のみだ。たまにその写真をブログに載せるので、筆者の知らない人が存在を知るが、まあそれだけのことで、牡丹の花は雲が湧くのと同じように原因があって環境に応じて咲くだけだ。牡丹には鶏糞がよいとされ、毎年適当にそれを与えているが、それ以外は何も世話をしない。だが牡丹が充分に成長するように、牡丹の領域に他の植物が侵入しないようには留意している。それですぐそばの躑躅を毎年今頃になると新しく成長した部分を切り取るが、そのために花が全く咲かないのだろう。だが牡丹を犠牲にして躑躅を満開にさせるつもりはない。躑躅はどこにでもあるからだ。今日の最初の写真はたぶん7か8、9日のいずれかの撮影で、葉のところどころにある朝露が気に入った。写真をトリミングしたのでわからないが、わずかに開いて白い花びらを覗かせる蕾がひとつだけあった。筆者は牡丹の蕾が大好きで、毎年写生したくなるが、過去にふんだんに描いたので眺めるだけで済ます。17日の日曜日、母の葬儀からほぼ1年ぶりに高槻から家内の兄がやって来たので、裏庭の満開の牡丹を見せながら10年ほど前に島根にで買ったと言うと、「大根島か」と言われた。義兄は日本各地を国体の相撲選手としてよく回ったこともあって、観光地に詳しい。今調べると大根島を訪れたのは2006年1月だ。ということは16年目で、番茶も出花の16歳の白牡丹か。紅白の二株を買い、赤花はよく育たなかったが、接ぎ木の土台は生き残り、そこから元の芍薬の葉が出て来た。ところがここ4,5年は葉が出ては枯れることを繰り返すのみで花を咲かせない。今年は葉の勢いがよく、艶もあって色も濃いので、来年は蕾がつけるかもしれない。赤花を期待したいが、何色かはわからない。紅白の牡丹はその後の紅白の梅を植えることにつながり、その梅はどんどん成長して実をたくさんつける。薔薇は白いVIRGOの品種を鉢植えにしているので、赤い薔薇の苗木を買うのもいいが、それを育てる場所をどう確保するかだ。また赤い花は鶏冠鶏頭がよく、3年前から挑戦し、4年目の今年こそはと考えている。鶏頭は白花がなく、筆者の思う赤花の代表格だ。どうにかして思いどおりの花を育てて間近に見たい。今日の2枚目の写真は14か15日の撮影で、ほとんど満開だ。庭作業の最中に尻をぶつけて蕾のひとつを折ってしまったことが心苦しい。
スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示する