「
霞吸い 長生き望む 山の人 いずれ疲れて 気力霞みて」、「俗人は たまに登山し 仙人に 谷の底にも 清き水あり」、「ペテン師も てっぺん目指し メザシ食い雑魚を惑わし 鯛の気分に」、「シモーヌの 笑顔想えば 光指し並ぶ社に ひとり向かいし」
6日に家内と京都市内を出かけ、まずは平野神社の桜を楽しんだ。今日と明日でその日のその後のことを投稿する。平野神社の大鳥居を出て東に歩き、北野天満宮の北門を入った。そして南下して本殿前を通って今出川通りに出ることにした。家内はあまり天神さんの縁日に出かけたことはなく、そのルートをほとんど知らない。方向音痴の筆者だが、さすがに北野天満宮の境内は迷わない。平野神社は桜、北野天満宮は梅の名所で、梅は4月に入れば遅咲きの品種は別として、花はおおよそ散っている。それで境内は人影が嘘のように少なかった。それはそれでまたいいもので、もっぱら縁日の天神さんを知る筆者にはとても新鮮であった。満開の花を求めて人は現金なもので、平野神社が桜の名所でなければいつも人はほとんどいないはずだ。そう思えば神社が定期的にお祭りをする理由もわかる。国宝の本殿前の参道から南下して三光門をくぐって振り返ると、門柱に貼りつけた黒い縦長板に胡粉で茶会の開催予定が書かれていた。「売茶流…」とあって、売茶翁に因む煎茶の茶会だ。独立独歩の売茶翁は流派を作らなかった。後世の人が勝手に流派を名乗り、萬福寺では黄檗宗から還俗した売茶翁の顕彰碑もある。筆者も売茶翁には大いに関心があって資料を集めているが、肝心の煎茶を嗜む趣味はない。以前に書いたことがあるが、染色で知り合った筆者より年配の女性が住む精華町の自宅に一度だけ出かけた時、一言も話さなかったご主人が煎茶を筆者の脇で用意してくれた。その時の味以上においしい煎茶を飲んだことがない。わずか30mlほどの一度のお茶が長年強烈な思い出になる。それは他の飲み物でもあり得るか。もちろんあるが、筆者の経験で言えばその時の煎茶は別世界の空前の味わいの飲み物で、どれほどおいしい酒でもかなわない。売茶翁の友人の亀田窮楽は売茶翁に酒を買いにやらせるほどの酒好きであったのに対し、売茶翁は茶一筋であった。どちらの味覚が奥義をきわめたかと言えば、煎茶は侮れず、茶も酒に劣らず宇宙は広大だ。売茶翁が客に提供した茶は抹茶ではなく煎茶で、現在の青い色のものではなく、茶葉を煮て茶色(brown)であった。現在の売茶流が売茶翁と同じように煮たものを飲むかと言えば、事情は知らないが、たぶんそうではないと思う。おいしければどのような煎茶でもいいという考えがあるし、筆者もそれに賛成だが、売茶翁を顕彰する人たちは売茶翁と同じ方法で煎れて飲むべきだろう。もっとも売茶翁も現在と同じ煎茶の登場を知っていたので、いつも葉を煮たとは限らない。書くつもりのないことを長々と書いてしまった。
三光門から絵馬殿に着いた時、筆者は北野白梅町の大きなスーパーで買った缶ビールを思い出した。人はほとんどいないので絵馬殿の中に立って飲んでも誰にもわからないが、飲む気になれなかった。神を冒涜する思いがしたからだ。寿司を食べたので喉は乾きやすいが、家内は小さなペットボトルの茶を買っていて、それで我慢出来た。絵馬殿から西は見慣れない眺めであった。縁日はそこまで踏み込まない。また梅花祭ではその辺りは幔幕が張られ、上七軒から日本髪を結った芸妓を招いて有料の茶席になり、幔幕の外の大勢の人によって周辺の摂社や末社は目立たない。ところが6日の昼下がりは西端まで見通せた。陽射しの傾きによって西に並ぶ鳥居や社が逆光に近く、神々しさがあった。きれいに掃き清められているからでもあって、そういう神聖さを感じたこともあって、冷えた缶ビールを手提げ袋に1本入れたままにしていることを思い出し、とてもそれを取り出す気にはなれなかった。神の存在を感じたためという大げさなものではない。宗教的な恍惚感を筆者は覚えたことがない。あるいは簡単にそういう気分になれると言い替えも出来る。それほどに神の存在が卑近な気がするのは、日本に住むからだろう。日本の八百万の神の考えを西洋人は否定しがちで、神はそんなに気安くいつどこにでもいる存在ではないと考える。それを筆者は否定しないが、八百万の神という親しみやすさがあっていい。またそう考える立場のほうがより神に近いのではないか。こうして書いていて筆者はシモーヌ・ヴェイユのことを思い出している。彼女はアッシジの聖フランチェスコを祀る聖堂で初めて神を身近に感じたとされる。それは絶対的な神に包まれているという感覚であったと想像するが、そのことを精神が高ぶっていたことによる錯覚と言う人はいるだろう。わざわざアッシジを訪れ、大聖堂に入ったのであるから、シモーヌのほうに感動への欲求はあったろう。それに聖堂では非日常を体験させるための仕掛けがふんだんにあり、若いシモーヌがそれに易々と取り込まれたと皮肉に考える人はいる。だが筆者は素直にシモーヌの経験が真実のものであったと思う。それは何気ない時に訪れるものでもある。ただし、やはり神を祀る空間にいての話だ。日本では神社は無数にあり、いつでも神の存在を感じられるはずだが、あまりに日常的であるためにありがたみが湧かず、神社仏閣は金儲けに熱心と皮肉を言う向きも多い。それはそれとして、神社の境内がきれいに掃かれ、鳥居や大小の社が点在していると、穢してはならない空間との思いは自然に湧く。そこで筆者は絵馬殿前から西を見つめながら、シモーヌがそばにいれば聖なる何かを感じ、それは彼女がアッシジで経験した敬虔さと大差がないのではと思った。もちろんそのことは筆者の勝手な想像で、誰もシモーヌや筆者の内面を覗けない。
つまりシモーヌの心の経験は誰も追体験出来ないと言っていいが、誰でも赤い花を見て同じ赤と見えるからには、人間は他者の感動を追体験出来ると思ってよい。そうでなければ芸術は存在し得ない。ただし芸術は誰もが感動を共有出来るとして、その質が同じかどうかは誰にも確認のしようがない。先の絶品の味わいの煎茶経験で言えば、それは筆者がそれなりに煎茶を飲んで来た経験があってのことだ。煎茶を一度も飲んでいない人に高価な煎茶を最適な方法で煎れたものを飲ませても、感激するとは限らない。豊潤な味わいを初めての経験で知る人もあるが、そうでない人も多い。シモーネがアッシジの聖堂で経験した特殊な感動は、彼女がキリスト教圏で生まれ育ち、神についてそれなりに関心があったからだろう。それでも彼女が素直に感じた神の存在はそうした前知識や思い込み、期待とは全然別のもので、突如やって来たこの世のものと思えない温かみ、熱さであったはずで、それは日本でも経験出来ると筆者は思う。その理由となったものが絵馬殿から西を見て、導かれるようにして撮った今日の4枚の写真だと言うつもりはないが、何度も訪れている北野天満宮にこういう場所があったのかと意外な気分になり、また何か近寄り難いものも感じた。それぞれの鳥居の奧に社があり、そこに神が祀られることを知っているからで、間近に寄らずとも鳥居の外からでも充分神の存在は伝わった。それはかなり即席な、そして小さな感動で、やはりシモーヌの感動とは違うかもしれないが、期待しない時に意外なことはやって来る。そしてその経験を後々反芻し続けるほどに精神に食い込むことはあり得る。先の煎茶の経験と同じだ。筆者はそれが供されることを何ら期待せず、またただの煎茶と思って飲んだが、美味に驚愕し、またそれだけに「おいしいですね」という月並みな感想を言う気になれなかった。それで相手には申し訳ないことをしたが、得てして人間関係にはそういうことがよくある。それでいいと思う。神社の境内を毎日掃き清める人がいて、たまには神の存在を感じる人もいる。今日の最初の写真は絵馬殿前のすぐ西にある宗像社で、神社の境内図を見ると東隣りに大杉社がある。それには気づかず、導かれるように境内西南端に並ぶ神社を南から順に撮った。2枚目は稲荷社で、この南の奧に猿田彦社があるが、これも気づかなかった。宗像社は朱色で、稲荷かと思って近づくと、篇額に宗像社と記されていた。2枚目と同じく3,4枚目も帰宅して境内図を見て名前を知った。3枚目は一之保神社と奇御魂神社、4枚目は豊国社、一夜松社、野見宿袮神社をそれぞれ祀る。北野天満宮には50の摂社末社がある。本殿の西にたくさんあって、そこも筆者は訪れたことがない。シモーヌが感動したのは大伽藍ではなく、小さな聖堂という。堂々たる本堂よりも、境内の隅の摂社や末社に味わいがある。
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