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●神社の造形―平野神社の桜、その4
(だいだい)は だいたい黄赤 混ぜた色 今はたいがい オレンジと呼び」、「俺ん家に 遊びに来いと 誘う子の きれいな部屋に 虚ろ住みつき」、「卵割り 黄身ふたつ浮く 椀の中 溶かずに焼いて 君と分けたり」、「金柑と 文旦並べ 子と親や 黄味と酸味が 宇宙の徴」



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TVで紹介されるとやはり効果は大きい。食べ物商売であれば3か月ほどは客が増えたままになるらしい。これは3か月経てばTVで紹介されたことの効果が薄れることでもあるが、その3か月の間に店主がリピート客を作る努力をすればよい。とはいえ、遠方からの客は話題作りに一度だけ訪れるのであって、TVで紹介されたことをSNSでさらに広める必要がある。それはいいとして、家内はTV番組で平野神社の桜が満開であることを知り、筆者は外出する予定を以前から立てていたこともあってその日にまず平野神社に行くことにした。今日の最初の写真は中門を入って左手にある神木付近だ。樟と思うが幹の太さから樹齢数百年はある。幹を囲んで根元が板張りで、そこに順に人が乗っていた。板張りは根元を傷めないためだろうか。筆者は乗らずに今日の2枚目の写真を撮っていると、2メートルほど左にいた中年夫婦の白いブラウスを着た奧さんが本殿前の実をつけた橘を見ながら、「あれは金柑かな」と旦那さんに語りかけた。筆者はその声がよく聞こえる場所にいた。それに金柑という言葉があまりに意外でこう言った。「あれは橘です。御所の紫宸殿の前に右近の橘と左近の桜がありますが、それに倣ってのことでしょう。この神社でも向こうの反対側に桜がありますからね」奧さんは橘を知らず、みかんのようなもので食べられますかと筆者に尋ねた。そう言えば筆者は橘が植物学的にどういう名前がついているのか知らない。柑橘類であるからには金柑もそれに含まれるが、金柑は柑橘類の中では最も小さい実だ。一方わが家の近所にはグレープフルーツほどの大きな実をつける木を植える家が何軒もあるが、それは橘のはずで、実は食べられない。ただし筆者はその皮はマーマレードに出来るのではないかと思っている。話を戻して、筆者は尋ねた。「どこから来られたのですか」「京都の北のほうです。朝テレビを見て」「ぼくもそうです。嵐山に住んでいますので桜は珍しくないのですが、何年か前に拝殿が倒壊したのでそれがどうなっているのか確認したくもありました」「わたしたちはこれから嵐山に行きます」「ここは夜桜が有名で、また夜に来られるのがいいと思います」などと話を続ける間、眼鏡をかけた旦那さんは黙ったまま奧さんの後方にいた。優しそうな人で、50歳半ばから60歳ほどの夫婦だろう。京都の北というのは丹後地方か。朝のTV番組を見て車を走らせればちょうど昼を少し過ぎた頃に平野神社に着くだろう。田舎の人であるので紫宸殿やその前に植えられる橘と桜について知らないとしても、金柑とはえらく見当違いだ。
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 橘は五弁の白くて細長い花を咲かせる。それは図案化されて文化勲章に使われる。ということは橘は日本文化のシンボルで、それが桜と並んで御所の最も重要な建物の前に左右で並ぶことは当然だ。平安神宮でもそうなっている。そのことも前述の奧さんに伝えたが、TVでは平野神社の桜の様子を伝えても、橘を無視するのは当然か。橘は家紋では実が採用されている。そのくりくりとした実の形はかわいらしい。筆者が小学5,6年生の時の担任の先生は岡山出身で「橘高」という名字であった。子ども心ながらにその「きったか」という発音が香り高く感じられた。「橘井(きっせい)」という言葉もあって、橘は縁起のいい植物だ。そう言えば太秦広隆寺の南東角に枳殻が植えられ、それが実をつけている様子の写真を以前紹介したが、直径が金柑の倍ほどの枳殻は金柑と同様、鋭くて長い棘を生やし、植える理由は魔除けの意味合いからだろう。また話を先の奧さんに戻す。花見に訪れた彼女が本殿前の黄色の実に着目したのはそれが目立ったからだ。桜の花に黄色のその実は対照的でよい。それででもないが、有料の桜園では菜の花がたくさん植えられていた。桜のピンク色だけでは「お花畑」の雰囲気になりにくく、より華やかさを演出するのであれば黄色がほしい。そうすれば桜の赤みと青空と相まって三原色が揃う。奥さんに語りかけながら筆者はその桜園に入ることを勧めた。そして筆者らが入園した時に小径に1枚落ちていたことを思い出した。それを拾っておけば彼女に与え、旦那さんの分だけ買えばよい。筆者らの2枚はその段階では夜桜を観に舞い戻る可能性があり、手わたさなかった。その夫婦がその後桜園に入ったかどうかわからない。嵯峨のFさんに言わせれば、京都と呼べるのは山科や伏見を省いた市内で京都府は含まない。それは文化度の差が大きいからだが、それを言えば嵯峨や嵐山も京都とは呼べず、農民が代々暮らして来た。丹後の人たちが京都市内にどれほど憧れがあるのかは知らないが、大きな柑橘類の実を金柑と言うほどに植物に詳しくないことは少々信じられなかった。ましてや右近の橘と聞いても初耳だろう。王朝文化は現在の京都市内で育まれ、江戸時代でも京都は文化の中心地であった。たとえば大坂生まれの蕪村が丹後の殺風景な与謝から京都に移住する時、洛中を想って心が弾んだであろう。それと同じ思いが先の夫婦にあるのではないか。たまたま筆者は話しかけたが、彼らのように遠方から京都市内に花見に訪れる人は多く、そのことはわが家の近くの大きな駐車場を見ればわかる。桜が満開の頃は東北や九州の車もある。それでもほとんどの人は漠然と桜を眺め、京都の伝統文化や芸術に関心はない。そうであってもどこへ行けばそれが目の当たりに堪能出来るかがよくわからないだろう。SNSがそのことに有益であるとしても、それを通じて積極的に発信しない人も多い。
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 今日の3枚目の写真は大鳥居の外に出て振り返った様子だ。扁額が取り外されているのは本殿が修復中であるからか。この鳥居の扁額はかなり縦長で大きく、「平野皇大神」の文字がある。鳥居が濃い朱色でないのは色褪せているためかもしれないが、先日書いたように黄味がやや勝って却って印象深い。境内の南辺に南門があって、WIKIPEDIAによれば戦時中は大鳥居の場所にあったという。それを知ってなるほどと思う。筆者はこの鳥居が遠くから目立ち、平野神社の解放的な感じにやや違和感を覚えていた。解放的なことはいいのだが、無防備過ぎるとの思いがある。門の移設理由は知らないが、戦時中であれば戦災に遭う可能性を懸念したのか、あるいは鳥居の東方面の道幅を拡幅するなどの区画整理がなされ、その一環の工事で撤去の必要が生じたのではないか。戦前の絵はがきを見ると、現在の大鳥居のある場所に門があり、大鳥居は境内東端の南北を走る道路のぎりぎりに建ち、色を塗らない木製であった。また現在よりも境内は鬱蒼とし、参道より東に民家はなかったとも想像される。前述の参道端の南北の道路もなかったか、もっと狭かっただろう。平野神社は次第に境内が狭められて現在の姿になった。鳥居の奧に門があれば、より神聖な感じがし、境内に入りにくかった。今日の4枚目の写真は、「いとこ会」と称して当時親類が集まって年に二回の食事会をしていた頃の2013年4月14日の撮影だ。その時に撮った写真は二年後の投稿に使用し、筆者や親類が写る写真は没にしていた。今回はそれを発掘し、人物をピンク色につぶして載せる。上は筆者ひとりが写り、下は筆者が他の全員を撮ったもので、現在全員が生きている。その後「いとこ会」は消滅したが、ほぼ全員京都に住んでいるのでその気になればいつでも会える。この写真を使う気になったのは、下の集合写真の右手にわずかに以前の拝殿が見えるからだ。その奧に中門も覗く。上の写真は奧の右手が本殿で、その前の回廊に酒の菰樽が置かれる。現在はこの撮影位置までは踏み込めない。本殿は重文でWIKIPEDIAにその写真が載る。4殿2棟から成り、江戸時代前期の再建だ。「第一殿(今木神)と第二殿(久度神)、第三殿(古開神)と第四殿(比売神)はそれぞれ空殿を挟んで連結する形式を採り、この平野神社独特の形式は「比翼春日造」、または「平野造」と称される」とのことで、「今木」は「今新たに来た」から渡来系の神だ。「久度」は「竈」であることは想像がつく。「比翼」は「夫婦」であるので、これら四神はそれぞれ男女のペアだろうか。筆者らが前述の夫婦と仲良くなれば、どこかでもっと話せたと思うが、彼らは嵐山、筆者は次に行くべきところがあった。筆者が話している間、家内の姿は近くになかったが、いればいい顔をしなかっただろう。割合誰にでもすぐに話しかける筆者を家内は呆れている。
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by uuuzen | 2022-04-13 23:59 | ●神社の造形
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