「
拭くほどに 滑る廊下に 映える照り 神は密かに 遊びをしたり」、「洟を拭く 袖口の照り こわばりて 冬の寒さに 負けぬ童」、「西行の 花詠む歌を 知りもせず 桜に眩み 作る贋歌」、「紅白の 幔幕映えし 青き空 桜満開 贋星条旗」

6日の朝遅く、目覚めて1階に下りると、家内がTVで平野神社の桜を生中継していたと言った。快晴で桜は満開、早速出かけることにした。まずは平野神社。今日から4回ほど投稿するつもりでいる。題名はただの
「平野神社の桜」にしようかと思うと、その題名で以前投稿していることに気づいた。平野神社は桜で有名なので、「神社の造形」のカテゴリーに入れるのもいいかと思う。当日は市バスであちこち回ることにした。そして慣れた四条通りではなく、初めて家内と一緒に三条通りを東に向かうことにした。一昨日と昨日の投稿写真はバス停に向かう途中で撮った。最近知ったが、市内を東に向かう嵐山のバス停は、渡月橋近くの大きなお土産店前にあるが、時刻表には土日祝は天龍寺前から出発するとある。そこから乗ると、北上してJRの線路を越え、丸太町通りに出てそこから東に向かい、三条通りは通らない。となれば三条通り近辺に住む人は土日祝はバスが使えないかと言えば、嵯峨のFさんは三条通りのバス停から乗って土日は馬券を買いに祇園に向かう。ではそのバスはどこから出ているのか。最近Fさんに訊いてわかった。嵐山のバス停からひとつ東のバス停は角倉町で、冨田渓仙の家のほぼ前だ。そこは土日祝も東向きのバスが20分おきに来る。そのバスは嵐山のバス停で待つ客を乗せずに素通りするかと言えば、そんなことはない。嵐山の市営駐車場は嵐山と角倉町のバス停の間にあり、その駐車場のすぐ東は三条通りと丸太町通りをつなぐ高架橋がある。角倉町のバス停で市バスを待つと、その高架橋を下がって左折して着く。また平日に関しては嵐山のバス停からもやって来る。それで土日祝にバスで三条通りを通って東に行きたい場合は角倉町から乗るしかない。6日は平日で、バスの本数がより多い角倉町から乗った。すでに満員で、しかも角倉町から2,3つ東のバス停から大勢乗って来た。大きなスーパーのある帷子ノ辻で大半が下りると思っているとやはりそうであった。高齢者は足代わりに市バスを敬老パスで利用している。その定期券が京都市の財政を圧迫させているという理由で、今後数年の間に交付される年齢が5歳ほど段階的に上がり、また年間費も7,8倍になるようだ。それでも1か月当たり1500円程度だろう。もっともこれは収入がない人で、そうでない人は当然もっと高い。年金は毎年天引きが多くなって手取りが減少しているのに、一方では値上げが加速化し、このたびのロシア侵攻によってさらに種々の値上げが予想される。それでもウクライナの人々を思えばまだまだ天国だ。それほどに平和は貴く、気軽に花見に出かけられる。

三条通りを市バスで東に向かうのは四条通りよりもかなり遅い。右京区役所前でターンし、そこから北に一旦向かって東、そして南下してまた三条通りに入るからだ。家内はそのことを初めて知って顔をしかめていた。それでも平野神社は市内の北部にあるので、嵐山から四条通りに南下し、東に進んでまた北に向かうのは結局同じことでさして時間は変わらない。西大路三条のバス停で下車し、そこから乗り換えて北に行く。最近85Mさんから嵐電の北野白梅町駅が新しくなったと聞いていたことを思い出し、そのバス停で下りた。同駅の少し手前に大型スーパーがあり、それもきれいになっていて、内部を見ることにした。カメラの電池など、少し買い物をすると、レジの近くにイートインのスペースがあることに気づいた。それで寿司でも買って食べようかということにし、家内に売り場に戻らせた。昼を食べる店は暗に決めていたが、何度も利用したことがあり、また落ち着いて座る時間がもったいない。家内を待っていると、壁の説明書に気づいた。同店で買った食料品はイートインで食べると税金が10パーセント、持ち帰ると8パーセントと書いてある。消費税の値上げの際、そのことがTVで何度も説明されていたことを思い出した。飲み物と一緒に寿司を買って来た家内に何パーセント支払ったのかと訊くと、レシートを見ていないと言う。持ち帰るとレジに伝えてイートインで食べると2パーセント分を得する。つまりネコババしたことになり、これは落ち着かないが、レジで訊ねられなかったそうだ。家内を待つ間にイートインはほぼ満席になり、女子学生はパンにかじりつき、無職らしき30代の男性と80歳近い女性は弁当を食べ始めた。昼食を簡単に済ます気持ちはわかるが、何となく日本が貧しくなって来ていることの端的な例を見た気分で、筆者は5分ほどで1000円ほどの握り寿司を平らげた。とはいえ、コロナを思えばそうして孤独にさっさと食べ、店でゆっくりと食べることはなるべく避けたほうがよい。飲み物は筆者は缶ビールを買ったが、イートインでは酒は飲めない。歩きながらもまずく、花見でも出来そうな芝生があればそこで飲もうと考えた。だが平野神社は大勢の人がいるはずで、また神聖な場所でビールを飲むのは好ましくない。スーパーを出てすぐ北が北野白梅町駅で、確かにリニューアルされていた。西大路通りに面した目立つエントランスのみの改造で、内部はそのままのようだ。地名を意識して、切妻屋根を支える円柱の柱数本に琳派風の白梅のイラストがあった。あまり上手ではないが、嵐電らしい田舎の雰囲気だ。この柱は嵐山駅の友禅布を巻いたライトアップされるキモノ・フォレストを思わせる。北野白梅町駅から北300メートルほどが平野神社で、バスを待って乗るより歩くほうが早い。食事を済まし、天気がよくて暖かいとなれば、少しは歩くべきだ。家内は文句を言わなかった。

どうでもいいことを細々と書いている。今日の最初の写真は西大路通りに面した朱塗りの鳥居で、そこを入ると正面に紅白の幔幕があってその囲いの内部が有料の桜の園だ。TVを見ていないので、どこがどのように紹介されたのか知らないが、有料の園が映ったはずだ。そこを通らずに境内を西に向かって横切るには、幔幕で囲った範囲の南つまり境内の南端の塀沿いを進む。今日の写真でその入園の口がわかると思う。幔幕で隙間なく囲っているので、外から見えない。入園料はひとり500円で、家内は入らなくていいと言ったが、せっかくの外出でしかも今回を逃せばもう次はないかもしれない。ふたりで1000円をけちることはない。チケットを受け取りながら、受付の中年男性は「何度でも入園出来ます。今日は夜9時まで見られますから」と言った。それなら500円は安い。あちこち予定をこなした後、また夜に戻って来ればいい。ただし気力が残っていればの話だ。平野神社は夜桜が有名で、7年前の投稿では村上華岳の有名な二曲屏風「夜桜之図」について触れた。20数年前、妹の旦那らの車に同乗し、平野神社の近くを通りがかったついでに慌ただしく夜桜を見たことがある。散りそめの頃で、園内は無料であったはずだ。飲食を提供する臨時の店に電球が灯り、わびしさが漂っていた。肌寒かったからでもある。華岳の絵のように緋毛氈を敷いて大勢が飲食しながら花見を楽しむことは、近年は許されないはずで、その場所もない。おそらく華岳が描いた当時は幔幕で有料範囲を区切らず、華岳は境内の南端つまり今回無料の通路となっている場所から北を向いて描いたのだろう。それなら絵の奧に桜がたくさん描かれることが納得出来る。もう華岳が描いた平野神社の夜桜はないだろうが、それはそれでさびしい。夜桜を見ながら大勢の人々が談笑する文化は復活していいのではないか。とはいえそれを言えばわが自治会でも盆踊りがなくなって30年ほど経ち、コロナ禍のために地蔵盆や地元の祭りも開催出来ず、コロナが日本の風習や文化を大きく変える予感もある。華岳もそんな思いで「夜桜之図」を描いたかもしれない。というのは描かれる人物はみな和服で、髪も江戸時代だ。それで同作はどこか幽霊の宴会を思わせる。現実には露わではないもの、想像を逞しくせねばわからない幽かなものを華岳は描きたかった。見えているものの向こうに見えないが感じられるもの、そういうものを描くにはやはり現実を凝視する必要がある。華岳は平野神社の現代風夜桜を見つめながら、遠くに過ぎ去った日本の情緒を感得した。それは今の平野神社にも漂っているが、想像力がなければ感じられない。それに今の画家が華岳に倣って江戸時代の風俗画として描く力量があるとしても、そういう絵は歓迎されないだろう。また現代風俗画として描いても絵になるかどうか。その意味で日本画はもう死んだと言っていい。

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