「
垣を越え 川面に触れて 咲く桜 魚のように 吾も見上げる」、「カクテルに 黒ロシアあり 吾好む ロシア和ます オスマンの味」、「鴨を見て カモミール茶を 飲みし後 鴨パストラミ スーパーで買う」、「鴨に鷺 ともに暮らすや 賀茂の川 カモを探して 詐欺師も飛びて」

先月30日に家内と梅津に行く途上で撮った写真の残りを今日は使う。最初の写真はわが家の裏庭の向こうに流れる小川の下流に点在する桜の木で、樹齢はどれも半世紀以上だろう。庭に桜を植えることが昔は流行ったようだ。近隣に建つ新築の家は、高い場合は6000万円台だが、庭はなく、空き地は駐車場だ。嵐山に住んで自宅に庭という無駄は省くべきとの考えだ。それだけ日本は心も貧しくなって来た証しと見てよい。この小川沿いで桜の木がある家はどこも古くて風格がある。戦後は田畑を切り売りして経済力を保持しているのだろう。嵯峨のFさんはそうした嵐山や嵯峨、太秦の古くからの家を「百姓」とこき下ろすが、百姓の出が学者になる例はいくらでもあり、武士の家系が金儲けに貪欲になることもあり、誰しも現在どのように生きているかが見られるべきだ。また、人は見かけによらないと言われるが、見かけによることのほうが多いことを知っていて、ましてや話すとどういう人物であるかは子どもでもおおよそわかる。それはともかく、今日の最初の写真は小川沿いに立ってほぼ満開になった桜を見上げた。桜の木はどれも庭の垣根を越えて川面すれすれに枝を伸ばし、わが家の合歓木のように見上げるばかりの鑑賞でないところがよい。それでわが家も桜にすればよかったかと一瞬思うが、虫が多くて手入れが大変と聞く。それに合歓木よりも大きくなるかもしれず、幹によじ登っての枝の剪定もやりにくいだろう。2枚目の写真は上下ともに同じ場所で撮った。最初の写真よりも50メートルほど上流で、マガモの番が仲よく泳ぎ、藻をついばんでいた。上が梅津に向かう時、下が帰りで、2枚の差はほぼ2時間だ。つまり少なくても2時間は同じ場所で泳いでお互い相手を吟味しているのだろう。梅津で家内が銀行の用事を終えた後、どこかで食べて帰ろうと思い、有栖川近くの初めての中華料理店に目を留め、夫婦で違う定食を注文した。安くておいしい店でまた行くつもりでいる。その後はスーパー2軒に立ち寄って買い物をした。マガモの番はわが家の裏庭のすぐ近くでも毎年同じ様子が目撃出来る。人を見慣れているのか、2、3メートルのところで観察しても素知らぬ顔で泳ぎ続ける。鴨の番は古来仲よき夫婦のたとえに使われ、韓国の古式の婚礼では夫婦が鴨を象った木製の人形を捧げ持つ。確かその古い民具が目黒の日本民藝館に所蔵されている。群れから離れて泳ぐこの写真のマガモの番はいわば筆者と家内で、桜が満開になった好天の真昼頃、近場における用事がてらの夫婦の散歩は、こうして人生の一頁として記すにふさわしい。

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