「
窺いを 続けて気づく 変化あり 幸運得るは 根気と運気」、「メカニズム 知らねば落とす 命あり 人と機械は 似たところあり」、「精神も 機械であれば アートなし 心壊れて 奇怪の跡や」、「酒により 容器の蓋に 違いあり 開け方知らず 壊して飲みて」
2月22日の投稿に、85Mさんにガラス製の「浮き球」に入った焼酎を飲んでもらう用意があることを書いた。10日ほど後にご自宅のマンションに持参したが、短歌を添えるつもりが忘れてしまった。今即興で考える。「割れるまで 浮いて浮世の ガラス玉 波に酔いつつ 並みに酔いたし」85M さんが「風風の湯」で溺れかけたことを少しは揶揄したいが、覚えていないだろうし、覚えていても触れられたくないはずだ。85Mさんはその酒を大いに気に入ったようで、麻縄の編み方が地方によって違うことなどを話してくれた。人間がいる限り酒はあって、TV番組『ヒロシの迷宮グルメ』でもヒロシが酒好きであればもっと面白いのにと思う。せっかく世界各地でその地の料理を食べるのであれば、その土地の酒を飲めばもっと交流は出来るし、文化も理解出来る。筆者が飲むのは酔いたいためではなく、そういう関心からと言ってよい。酒もまたひとつの芸術だ。ゴッホが飲んだアブサンを味わうことでゴッホの苦悩も間接的にわかる気がしている。さて今日の写真はかなり以前に入手したブラジルの「YPIOCA OURO」で、サトウキビを絞っている絵が描かれたラベルを見るとオーストリアのウィーンが輸入し、それが日本にさらに輸入されたものだ。39度で960ml、以前に同じものを飲んだことがある。その時は蓋の密閉構造が少し違い、開けるのに大いに苦労した。昔見た映画に、ビールの瓶の栓を栓抜きで開けるのが面倒で、先端を硬いものに叩きつけて割って飲む場面があった。それと同じことをするしかないかと思いながら、ペンチで先端部をぐちゃぐちゃにしてようやく中身が出るように出来た。ラムネの瓶と同じ構造で、小さな球が入っていた。同様のものは中国の酒にもあるが、その栓はプラスティック製で簡単に開けられる構造であった。今日の写真の一番上は、金色の密閉部分を尖ったもので剥がしかけた様子だ。日本の容器であればたいてい薄いプラスティック製でミシン目が入っているが、この瓶では硬い銅で巻き、剥がすのに錐や千枚通しが必要だ。2枚目の写真はその全体を剥がし終えた後、3枚目は瓶の上部にただ置かれていた金色のプラスティック製の蓋を外した後だ。つまり蓋はネジ式ではなく、帽子のように被せているだけで、瓶を倒せば中身がこぼれる。これは頻繁に飲むには便利でよい。この酒はそのままでも飲めるが、もっぱらカクテル用で、筆者はほとんどムーギョで販売されている輸入のカクテル用トマト・ジュースで割る。それが手元にない時はそのまま飲むか、他のさまざまな酒と混ぜてカクテル実験をしている。
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