「
株下げの わけを知りつつ 手はずなし 戯言重ねて 正体ばれて」、「雑草を 刈ればさびしき 白スミレ 邪魔な相手と ともに生き生き」、「鳥が減り 虫と花減り 人が減り 神は飽きたか 人のわがまま」、「さまざまな 人と国あり 花畑 淡々々と 耕し刈りて」

今日の写真は昨日の柳の写真を撮った5分後の撮影。市バスの松尾橋バス停は四条通りの西端に位置し、市バスがターン出来る広場がある。断っておくと、今日の4首目の「淡々々」は名曲「ターン・ターン・ターン」になぞらえ、「刈りて」は「reap」でこれは「死神」に通じる。話を戻す。バス停のアスファルト歩道のわずかな隙間に白いスミレが毎年咲く。それを筆者は右京区の天然記念物と思っている。今調べると
最も多く咲いた年は7年前のようで、4月3日に撮影している。コロナ禍になってから梅津に足が向かなくなり、去年はたぶん3,4回行っただけだ。去年書いたが、夏場はこのスミレと同じ場所に雑草が生い茂り、去年は他の用事のついでにドイツ製の鋏を持って雑草を三度刈りに出かけた。しゃがんで作業していると若い女性が背後で声をかけ、筆者が両手を土まみれにしていることを労った。雑草は食パンの袋がパンパンになるほどで、その最後の作業が去年10月だったと思う。松尾橋バス停付近を歩くのはそれ以来だ。筆者はまた同じ鋏と袋を用意して家内と連れ立って梅津に向かった。白スミレの満開には数日早いが、それにしても雑草もスミレもほとんどなく、花を咲かせるスミレは一株のみで、5,6株が蕾の状態であった。7年前とは比較にならないほどの絶滅状態だ。その理由を考える。スミレも雑草のようなものだが、他の雑草を始末したことがよくなかったか。雑草が盛んに繁茂する夏より前にスミレは咲く。つまり雑草とスミレは共生しているかもしれない。せっかくスミレの生育環境をよくしようと思っての筆者の雑草の始末であったが、それがスミレにいいことかどうかはスミレに訊かなくてはならない。そしてスミレの答えは現状の姿だ。予想以上に雑草が少ないのは、去年の筆者の作業を見かけた女性がこまめに刈り取ったかもしれない。人間は愚かなところがある。自分勝手なことを正しいと思い込む。白スミレが満開になる様子は珍しく、それゆえ楽しいが、他の雑草にも同じように生きる理由はある。白スミレだけを保存しようと考えて、結局白スミレの生育も根絶やしにしているかもしれない。スミレの種子は芥子粒ほどに小さく、それが雨で流されずにアスファルトの隙間にどのようにして生き続けるかと思うと、やはり後に育つ雑草の根元が守っているのかもしれない。さてロシア人が絶大な権力者を崇拝し、自国の領土拡張を応援するとして、そのことでロシアは領土を狭めるかもしれない。そう考えると、7年前の白スミレ全盛期があって今のさびしい状態がある。いずれまた全盛期があればいいが、人間が環境に手を加えないことだ。

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