「
薪割りの 斧を扱い 火も起こす 幼なき吾の 家事の手伝い」、「七輪の 次に石油で 次はガス 昭和半ばの コンロの推移」、「電気ガス 石油もなしで 火を起こす インフラなしの 覚悟を常に」、「デッサンが うまく見えるや 炭柳 ベレー被りて 柳を描く」

今日の写真は一昨日、家内と久しぶりに出かけた梅津の松尾橋の上から撮った。上流側左岸に大きな柳の木があり、豪雨でゴミが絡んで見苦しい時もあったが、新緑の季節はさすがに目に楽しい。橋の欄干から手を伸ばせば枝が触れられるようで、そのことを思うたびに筆者は橋をわたっている時に大地震があって橋が崩壊すれば、その直前に柳の枝をつかみ、するすると地面に降り立つことを想像する。猿ならそれはたやすいが、筆者の体重では柳の枝は大きくたわみ、またそのことで枝をつかんだまま地面近くまで下りられるかもしれない。そんなアホなことを考えながら柳の写真を2枚撮った。背景の建物が入ると美しくないかと一瞬考えたが、松尾橋近くの梅津では誰でも知る古いマンションを写し込むのもいいかと思い直した。ところで以前に書いたように、昭和30年代前半は小学校の教室には冬場はダルマ・ストーヴがあった。その当番は早めに投稿し、薪と新聞紙と石炭をしかるべき場所にもらいに行き、授業が始まるまでの間にストーヴの火を起こさねばならない。薪は経木のような白くて細いもので、杉の間伐材であったのだろう。マッチで火をつけた新聞を放り込んだ後、その薪数本を火にくべるとめらめらと燃え上がり、スコップで石炭をすくって火に注いだ。小学3,4年生にはその当番をしていた記憶がある。中学校も教室はダルマ・ストーヴがあって、アルミの弁当箱をそれに近づけて温めたものだ。わが家では筆者が小学低学年まで七輪で調理していて、その火を起こすのは筆者の役割であった。斧で薪を割るのは心地よく、斧が棒から外れそうになると、棒の尻を地面でとんとんと叩いて斧がしっかりと収まるようにした。そうした刃物やマッチを今の10歳くらいの子どもが使って調理のための火を起こすことは出来るだろうか。近年はキャンプ・ブームとやらで、親に教えてもらって火を起こすことくらいは小さな子どもでも充分出来ると思うが、コックを回すだけで火が点るコンロが登場してからは、子どもは調理は必ず台所のコンロでと思っているだろう。あるいは電子レンジやオーヴンだ。爆撃されて地下に非難しているウクライナの人々は電気やガスが使えず、火で暖を取ることは出来ないと思うが、となると食料は暖かいものは無理だ。その状態が1か月も続くと肉体だけではなく、精神的にも参ってしまう。ロシアの兵士も悲惨な食生活のはずで、戦争は誰にとってもろくなことはない。命令を下す上層部のみがいわばぬくぬくと安全なところにいてゲーム感覚でいるはずだ。戦争では王侯貴族が先頭に立って出陣したのがヨーロッパの伝統ではなかったのか。

戦争を遂行する代表者が歴史上の英雄として長年記憶されることの不公平は今に始まったことではない。権力者が普通の兵士や一般市民の手の届かないところにいることは誰でも知っていて、災禍に巻き込まれる運命は仕方ないと諦めるしかない。そうであるので、オットー・ディックスや富士正晴のように黙って従軍し、復員後に戦争の事実を作品にすることを筆者は眩しく思う。プーチンは眼前で銃弾や砲弾が飛び交う修羅場を潜った経験がなく、戦争の悲惨さを実感出来ない。同じことは大多数の日本の国民にも言え、それで攻め込まれれば逃げればよいとの意見が出たが、無人島を買っておいて、そこで釣りをし、キャンプ生活をするのか。ウクライナの人口は4千万というのに。話を最初につなげる。家内は2週間ごとに大きな病院に通っている。リウマチの診断が膠原病由来かどうかはまだわからない。薬の量が増え、毎晩両手にシップもするが、シップは腎臓に負担を与え、薬の副作用が懸念される。両手が痛み続けているが、足も腫れる時があり、歩くことにも難儀する。先月29日は家内が梅津段町の銀行に用事があり、買い物がてらに夫婦で歩いた。以前のように早く歩くことは無理だが、2時間程度歩いた日は家内の肺活量は1.5倍ほどになり、体調がよくなる。家内の体調が急激に変化したのは2月以降だ。去の夏はたまたま電話で勧誘を受けた医療保険に家内を加入させた。家内は縁起でもないと言い、筆者の体のほうが心配と言ったが、嫌がる家内に保険に入らせたことは家内の体調の急変をどこかで筆者は予感していたからかもしれない。今はまだ入院という深刻な状態ではないが、膠原病のリウマチであれば完治せず、また寿命も4,5年短くなると聞く。嵯峨のFさんの奥さんが膠原病で60歳で亡くなった。家内のかかりつけ医は大病院への紹介状に「膠原病の疑いあり」と書いた。大病院の担当医は2週間ごとに検査をし、そして薬の種類と量を増やすだけで、病名はまだはっきりとしない。痛みは全く改善しないままで、瓶の蓋は開けられず、水道の蛇口は回せず、またそのことで機嫌は悪いままで、生活は一変した。手を使わずに暮らすことは無理で、また使えば必ずひどく痛むので、本当は重症患者のようにずっと寝ているのがいいのだろうが、横になれば体に痛みが走る。「風風の湯」の温泉にゆっくりと浸かるとよさそうなものだが、翌日は必ず痛みが増す。4日前の月曜日は診察を待っている間、横にいた高齢女性ふたりの会話を1時間ほど耳にしたらしい。「近所の〇〇さんの奥さん、リウマチで72歳で最近亡くなったんやけど、残された旦那さんがこれまで洗濯や料理をいっさいして来なかったから、今大変なことになってるんやて。」家内はその話を筆者に言いながら、72歳まで4年あるので、家事を今のうちに筆者に教え込もうとしている。一昨日の家内は思い出の梅津を歩いて機嫌がよかった。
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