「
鵯(ひよどり)の 声は鋭き 嘴も 雀蹴散らし 烏に追われ」、「人気者 任期短し 気にするは 金のことのみ 予ねてのことに」、「縄張りを 奪われ買うは 縄の束 誰が縛られ しらばっくれるや」、「しばらくは 暮らしの不幸 はぐらかし 憚りながら 腹で楽決め」

京阪電鉄の大和田駅のひとつ大阪寄りが古川橋で、同二駅の中間に古川が流れている。大和田駅から茨田堤やその後訪れたスーパーに向かう限りは古川をわたらない。古川はいつのことか知らないが、淀川であったらしい。淀川が蛇行していたのか、あるいは2,3本に別れて流れていたのかもしれない。ともかく古川が旧淀川であれば茨田堤の位置は川のすぐ南なのでなるほどと思う。スーパーからの帰り、往路と同じ道をたどると今日の写真の建物が目についた。左手の駒札には「称峯山不動堂」とあって、大正時代は一帯が田園で、すぐ北を東西に流れる古川の堤防の松林の中に不動明王を勧進して多くの信者によって建立されたという。「常称寺のお不動さん」として親しまれ、「火除け不動」としても地元の守護神として親しまれたそうだが、現在でも世話をする人があることはたたずまいからわかる。胡麻供養が盛大に行われたことがあったとされるので、常称寺は真言宗であったのだろう。駅から北、古川から南、茨田神社から西の8ヘクタールほどの長方形の範囲を常称寺町と言うが、違う名前の寺はあっても常称寺は存在ない。「称峯」は「しょうみね」、「常称」は「じょうみ」と読むのかどうか。地図を見ると御堂の背後に古川が流れている。格子の奧を覗くと木造らしき黒っぽい像が確認出来た。階段が6段あって地面より1、2メートルほど高いところに設置されるのは川の氾濫を懸念してか。かつては田畑が広がり、松林があったのに、現在はすぐ隣りが駐車場で民家が密集し、御堂がなければ古い土地柄がわからない。その後、目の前の細い道を南下し、駅を目指した。すると驚いたことに4,50分前に堤根神社の場所を訊ねた、つまり
一昨日触れた初老の男性がまた自転車に乗ってやって来た。先ほどはスーパーの帰りかと想像したが、前籠は確か空であった。付近を自転車で散歩しているのだろう。何となくけったいだが、それを言えば筆者もそうだ。見知らぬ町をうろつき、スーパーでたくさん買い物して帰るのはよほど暇を持てあましている。帰宅していろいろ調べていると、古川橋駅付近も歴史的に興味深いものがあることを知った。そのひとつは今日の不動明王から西400メートルの古川を越えてすぐにある「弥治右衛門碑前公園」だ。前述の駒札の写真も含めて
そのことについて説明するページを昨日見つけた。どの町にもいる郷土に関心の深い人が団体で歩いた後にまとめたものだ。人物名を冠する公園は珍しい。弥治右衛門のことが碑文に書かれるのは治水にまつわることで多くの人に貢献したからだ。ところが残酷で悲劇的結末であった。
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