「
屁のみなら かわいいものと 嘆きつつ 玄関前の 猫糞見つめ」、「壊しつつ 新たに作る 骨事情 老いに向かいて 人は何生む」、「寂びれには 尾鰭背鰭を 足せばよし 元気になるは まずは確かと、「元気あり 運気もあると 勘違い 云気ばかりで 嫌われ者に」

昨日の続き。先月27日、息子のアパートを明け渡すために最終の掃除する際、息子は前日に電気の契約を終えていたので、部屋の隅がよく見えず、床の掃きと壁の拭きにかなり手間取った。また20日に引っ越し業者が荷物を運ぶ際に手間取らないようにと、筆者と家内はガスコンロやパソコン、TV、それに細々したものを段ボール箱に詰めるなどして積み上げておいたのに、息子はガスコンロが元からあったものと思って元の場所に移し、さらに押し入れ内の布団などに気づかず、それらを27日に全部運び出す必要が生じた。筆者は雑巾や洗剤などの掃除用具とともに折り畳み式のカートを持って伏見に出かけた。布団は大きなビニール袋に詰め込んで処分し、すべてのカーテンとガスコンロはカートに予想どおりに縛りつけ、事は順調に運んで正午頃に立ち会いは終わった。息子とふたりで大手筋商店街で食事するのは初めてで、息子が入ったことのない店を選んだ。酒造りで有名な伏見であるので飲み屋が目立つ。金がないからでもあるが、息子は筆者と同じくひとりではそういう店に行かない。大手筋商店街は雰囲気のいところで、脇道に入ると大型スーパーがいくつかあり、食事には困らない。それでも店で食べると栄養は偏りがちだ。商店街を西に向けて歩きながら、数年前にあったビルの2階の見晴らしの面白い店にしようとかと思うと閉店して別の店舗になっていた。それで寿司屋に入った。テイクアウトの客が数人並び、繁昌している。内部で食べられるかとそれらの客の隙間からうかがうと、親切にも列を開けてくれて、奧で食べられると初老の男性が言う。息子は同店の存在を知っていたが、ひとりでは入りにくいので敬遠していた。寿司屋特有の大きな湯呑が出て来た時、息子はそのことに驚いた。それほど寿司と言えば回転寿司しか知らなかったのだ。そう言えば家内の妹は夫婦で長年寿司屋を営み、旦那が亡くなった後、まず店の什器を売り払ったが、分厚くて重厚な湯呑の1個や2個は記念にもらっておくべきであった。立派な寿司桶もたくさんあったのに、ほとんどただ同然で処分したようだ。まあだいたいそのような運命になる。それで筆者も相変らず買い続けている本やその他の資料の行く末を本当に真剣に考えるべきだが、息子は興味なしで自分でやるしかない。その踏ん切りをいつつけようかと思いながらまだ何年もそのままになるだろう。話を戻して、入った寿司屋は鯖寿司とちらし寿司で有名で、ふたりとも京都らしく見栄えの美しいちらし寿司にした。息子はそのおいしさにびっくりした。ただし量が少ない。ふたりで3000円程度であれば仕方がない。

食事の後、コーヒーを飲もうかということになり、さらに西に進むと古い喫茶店があった。500円だったと思うが、筆者はガスコンロとカーテンを積んだカートを転がしながら、家内と何度か歩いた龍馬通りに足を延ばしたくなった。もう大手筋商店街を含めて当分伏見を訪れることはないからだ。筆者の商店街好は子どもの頃に近くに長さ500メートルほどの商店街があったからだ。そこを毎日のように歩き、馴染みの本屋も出来た。そういう記憶があるので息子を山科から伏見に転居させた。大手筋商店街は西に向かってずっと下りの坂道だ。その底であるアーケードが途切れた場所で南北の商店街に交わる。そして南が龍馬通りに連なる商店街で、道幅は大手筋商店街の半分以下だが、京都の錦市場と同じで風情があってよい。古いパン屋は健在で、その南隣りに今日の写真の
新しい鳥居を見つけた。カメラを持参しなかったので、息子のスマホで撮影してもらった。帰宅して調べるとそこには建物があったが、取り壊した後に東に通ずる小径に改造し、ついでに伏見稲荷大社の千本鳥居に倣って朱色の鳥居の列を設けた。奧に抜けたかったが、カートが邪魔をする。そこを通り過ぎた後、インド料理店を見つけた。息子はそこも存在を知っていたが、やはりひとりで入りにくいので敬遠していた。ちらし寿司で筆者は満腹だが、息子はまだ食べられると言うで入った。鰻の寝床のように細長い店で、ネパールの国旗が飾ってあった。肌黒い男性の調理人ふたりはネパール人だろう。ウェイトレスは日本女性で、テイクアウト客とともにほぼ満席で、彼女はてんてこ舞いであった。コーヒーつきの最安のカレーセットを頼んだが、辛さ4段階の辛みの少ない2番目を頼むととても甘かった。価格の割りに量が多く、息子はもっと以前に入っておくべきであったと言った。サラダとスープ以外に食べ切れない焼き立ての大型のナンが出て来て、息子も半分食べ残した。ナンは籐のバスケットに紙に包まれて出て来た。その紙に食べ残した半分を包み、それをカートの隙間に差し込んだ。食後はまた南に歩き、家内と入ったことのある南東角の古い茶店の変貌ぶりを確信し、そこで息子と別れ、筆者はバス停に向かった。バスを京都駅前で乗り継いで嵐山に着いたのは1時間半後だ。新しい鳥居の列をネットで調べると、突き当りのすぐ左手に稲荷の小さな社があることを知った。
グーグルのストリート・ヴュー画像を拡大しても神社名は読めないが、その新たな参道として小径が設けられ、50本の鳥居が設置された。「鳥居型モニュメント」と称しているので稲荷大社からは苦情が出ないと思われる。稲荷大社はコロナでインバウンドが途絶え、この店舗が並ぶ小径も目算が狂っていると思うが、大いに賑わってほしいものだ。いずれまた伏見を散策したい。住むにはいいところと思う。息子はそうでもなかったと言うが。
スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示する 