「
鋼鉄の 心錆びれて 古背広 小遣いせびる 孫にまごつき」、「落ち着きの 場所で披露目の 宝物 餅の絵もあり 腹減り忘れ」、「墓場とは 似た点あるも 目に楽し 美術館での 未知の見世物」、「何となく 高尚なもの 見た気分 俗に聖あり アートの役目」

本展の題名『99のものがたり』は収蔵ないし展示作品がどういう経緯でそうなったかを意味するだろう。これは簡単に言えば寄贈と購入で、99は大げさ過ぎる。そこで各作品の作者によって作られた理由とみなせばよい。全作品にそこまで立ち入って知っている人、知ろうとする人は稀だが、99と言いたいほどに作品には多くのドラマがあることを思っておくのはよい。一方、残りの1は鑑賞者が本展で1点でも多く記憶に留め、今後も美術に興味を持つことになればとの開催者側の思いだ。何度も書くように日本では美術館で展示されるような作品が人生の潤いに必要と考える人は千人にひとりもいない。それで多数派の思いに沿って行政が働く民主主義では美術館は最たる不要物になるが、現実には日本には美術館、博物館は数百もある。これは箱物行政の結果で、土建屋を潤わせる意図と言うことも出来る反面、美術品以外にも大事にしておこうという文化財が多いことを示している。図書館の数はもっと多いが、市民の声を反映してベストセラー本が数十冊も一か所の図書館で購入されることを聞くと、裕福であるためか貧しいためゆえかと判断に困る。そのような本はすぐに1冊100円でも売れなくなるが、そういう本を歓迎する人の大多数は古典を読まない。大多数の市民が古典など不要と思っているのが現実として、図書館にそういう本やその研究書を置かないのは、美術館が漫画の原画ばかり展示することと同じと言ってよい。急増する一途の蔵書では貸し出しされない、読まれない本から順に廃棄して行くことはある程度は仕方がないが、ネット・オークションでは図書館から除籍された専門書が目につき、それが捨てられた分、どういう本が入ったのかと気になる。とはいえ、目のある人が購入して役立てるのであればまだその本は救われる。そのことは美術作品にも言える。名品はすべて美術館、博物館が所蔵すべきかと言えば、筆者は反対だ。個人所蔵では他者の目に触れず、せっかくの文化財がもったいない側面があるが、作品は本来一対一で鑑賞すべきもので、個人が所有する喜びがある。日々の暮らしの中で好きな作品に接し続けることは美術館で1分かそこらの短い時間を鑑賞に充てることとは全然違う。作品から伝わる作者の人間性をあれこれ夢想し、また勇気づけられることは人生の意味でもある。ただしこのことは何度も言うように千人にひとりも理解せず、筆者は反感を買うだろうが、そんなことはどうでもいい。もとからそんな連中を相手に書いているのではなく、意見を交わしたくもない。それに筆者はほとんど芸術家以外、他者に関心がない。

洲之内徹が書いていたと記憶するが、日本のまださほど有名でない洋画家の作品は主に工場主が買うとのことだ。日本画の圧倒的なマーケットに比べて洋画は価値が低く、買いやすいからだ。今もそうかどうかは知らないが、たぶん80年代からはアメリカの現代美術作品を購入する人が増えた。彼らは純粋に作品に惚れているだろうが、買っておけば同じ趣味の仲間に自慢出来るうえ、値下がりすることはまずないという投機の対象としても見ている。その観点から日本の現代画家にも関心を抱き、筆者があまり評価したくない作家の作品も収集する。彼らにたとえば桑山玉洲の作品をどう思うかと問うのは愚かだろう。筆者は桑山の作品を見ると和歌山の海や山、明るい光が目に浮かぶようで心地よいが、日本の文人画に関心や知識がなく、しかも和歌山に愛着の思いを抱いていない人には、桑山の作品は一生無縁だ。それでネットでは彼の掛軸がおそらくアメリカの有名現代絵画1点で千点以上は買える。ほとんど誰も注目しないのであるから桑山の作品に価値がなく、美術館で展示する必要もないのかと言えば、和歌山では展覧会が開催されるし、筆者のように万にひとりもいないファンは所有したがる。大勢が歓迎するので価値があるとして、それを絶対視する必要はない。筆者はその反対に知る人ぞ知る画家や作品にこそむしろ興味がある。へそ曲がりではなく、絵画を価格で見ていないからだ。それも本展が言う『残りひとつのものがたり』であって、誰もが異なる思いを本展から汲む。とはいえ筆者は多くのことを考えるので、ジグザグと思いは進み、いきなり話題が変わりもする。アメリカの現代絵画の話につなぐと、昨日の投稿でモリス・ルイスの作品の写真を掲げた。会場では撮影可能な作品がわずかにあり、その前でスマホをかざす人が多く、筆者はほとんど遠慮し、あるいは関心がなくて素通りしたが、ルイスの作品は意外であったので撮った。彼の作品を滋賀県立近代美術館が所蔵していて、何度も見たことがある。日本では同館が86年に彼の展覧会を開催し、その図録を繙いて本展での展示作が同展に出たものかどうかを調べると、そうではない。同展以降に大阪市はルイスの作品を購入したと思うが、滋賀が所有しているものとは画風が違い、またルイスの代表作と言ってよい。ルイスを買えばそれに連なる同時代の抽象画を揃えるという考えは妥当で、本展にはステラやロスコの絵もある。これらアメリカの現代作品は滋賀と重なり、わざわざ大阪が入手する必要があったのかと思わないでもないが、バブル期のことで購入資金はあったのだろう。また今になれば安い買い物であったはずで、アジアからの観光客は喜ぶだろう。韓国の現代美術館の所蔵作の傾向を全く知らないが、購入価格で言えばもう韓国は日本に今さら追い着けないのではないか。バブルのどさくさに買っておいてよかったのだ。

本展は3部門構成で、それぞれ3、1、2のパートに分割された。最初の1-1は「コレクションの礎となった寄贈作品」と題し、筆頭に佐伯祐三が挙げられる。彼の「郵便配達夫」が見開きチラシの表紙に印刷され、館内部の縦長の垂れ幕では最上部に位置する。佐伯は大阪市出身の夭逝した洋画家だ。日本の美術館はどれも郷土画家を重視し、その収集展示に務めている。それゆえ本展も大阪生まれか大阪で死んだ、あるいは大阪で学んだことのある画家を中心にしている。そのことは海外からの観光客にとっては珍しく、また日本や大阪を知る手立てになる。アメリカ人がやって来て日本の美術館にウォーホルやステラの作品がメインに展示されていると、優越感に浸り、憐れみを覚えるに違いない。かつてフランス印象派に影響を及ぼした浮世絵やその伝統がどこに行ったのかと訝りもするだろう。そう考えると、大阪がアメリカの現代絵画を熱心に収集する必要はなく、地元の画家を育てることに財政を費やすほうがいいという意見もあるが、自由人であるべき画家に公的な資金援助が必要かという異論もある。金を与えられれば言うことを聞かねばならない。そんな御用画家にろくな者がいないというのはひとつの真実で、かくて画家は好き勝手に生き、無名のままに若死にする。佐伯祐三もその類だ。ところが目をつける人があった。ゴッホと同じだ。実際佐伯の生涯はゴッホを思わせる。「郵便配達夫」はゴッホがアルルで知り合って描いた「郵便配達夫ルーラン」が念頭にあったのではないか。それはともかく、外国からの観光客が佐伯のこの絵を見れば、そしてその製作年代を知れば、日本がいかにヨーロッパの絵画に学び、独特な表現を獲得しようと格闘したかを知る。そのことはステラやロスコの作品を見ること以上に絵画鑑賞の楽しみであって、筆者もたとえば韓国の美術館に行ってアメリカの現代絵画を見るよりも韓国の作家の作品を見たい。そこにはその国にしかない表現があるからだ。漫画は印刷を旨とする表現で、アニメは映像であるので、ネットで充分堪能出来るが、絵画は実物を目の当たりにする必要がある。いくら8Kの映像技術が出来たからと言っても実物にはかなうはずがない。実物を見せる場が美術館だ。ネット時代がいくら進もうが実物の展示はなくならない。佐伯の絵画で言えば、今描いたかと思うほどに画面に油彩の艶がある。それは映像でもいくらかは伝え得るが、作品と一対一で接することは人間と直接に出会うことと同じで、訴えて来るものが必ずある。その楽しみを知り、なおかつ経済的余裕のある人が絵画を収集する。佐伯の絵画はそのようにして佐伯の死後間もなく実業家の目に留まり、100数十点が短期間に買われた。そして芦屋の邸宅にあったそれらの作品は戦災に遭い、残った絵画がやがて大阪市に寄贈された。それを核に美術館を建てる構想が出て、実現したのは40年後だ。

佐伯の絵画を多く購入したのは山本發次郎だ。彼は僧の墨蹟も収集し、その精神を佐伯の絵画に認めた。その意味で佐伯の油彩画は日本の伝統上にある。「山本」姓が同じく芦屋に住んで白樺派に馴染んでゴッホの「ひまわり」を購入した人物と関係があるかを今調べると、生まれは1年違いで、関係はなさそうだ。どちらも繊維業で財を成し、そのことは山本發次郎より一世代後の細身美術館の最初のコレクションを成した人物も同じで、時代に応じた産業で財を成す者が美術品の収集で名を遺す。今ならIT産業の社長がその立場を担うが、現存の無名画家に肩入れするより、蓄財を考えてアメリカの有名画家を買っておこうという魂胆であれば、心意気は貧しくなっている。それでアメリカのIT長者が日本美術を購入する。本展ではモジリアニの「横たわる裸婦」も山本が購入したものだ。そのことは明日書くとして、本展のチラシの見開き内部にはいわば目玉作品が10点カラーで印刷される。これだけは覚えてほしいという意味合いかどうか、教育的、啓蒙的観点からは妥当なものだ。目を引くのは池田遙邨の「雪の大阪」だ。筆者はこの中之島を描く大作を3,4回見たことがある。池田は倉敷生まれで、大阪で最初に洋画を学んだ。その頃の思い出がこの作品に反映しているのだろう。池田はムンクに傾倒し、関東大震災では一早く駆けつけて写生し、被災者を題材に描いた。また若い頃は細密描写による大作がいくつかあって、その1点が本作だが、祇園の八坂神社を描いた忘れ難い作品は京都市の財産で、目下右京区民展のポスターに使われている。チラシによれば「雪の大阪」は2000年の購入で、いずれ出来る新美術館にふさわしいと考えられた。池田も喜んでいるだろう。彼の晩年の姿を三条寺町界隈で何度か見かけたことがある。長身で洒落た和風の身なりで、大物の風格があった。もうそういう人は出て来ない気がする。それはともかく、チラシには日本画として池田の作のみが印刷されるが、1-1のみでも橋本関雪、村上華岳、上村松園、それに白隠や慈雲、仙厓の作まで展示され、他にどのような作品があるのかと思いが膨らむ。華岳や慈雲は大阪生まれなので欠かせないが、それを言えば蒹葭堂や彼と交流のあった画家や文人の作品もほしい。もっと言えば若冲もだが、大阪市は所蔵していないだろう。代わりにと言うこともないかもしれないが、1-2に展示された石崎光瑤の六曲一双の屏風「白孔雀」があった。大阪の女流画家の島成園の大作や北野恒富、菅楯彦は当然として、なぜ生田花朝の大作がないのか。それに御船綱手の作品も見たかった。このように大阪市はまだまだ展示すべき大阪に因む作品を所蔵している。大声でいきり立つタレント弁護士や漫才師だけが大手を振る大阪ではさびしい。谷崎潤一郎が女性に見たように大阪にはもっと上品で香り高い文化があった。

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