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●大阪中之島美術館、その2
くなら 鉄に徹して 人法度 鐘を鳴らして 人泣かせるな」、「しがらみを 越えてしがむや ガム甘し くちゃくちゃ言わせ むちゃくちゃ揶揄し」、「役割の なきことさびし 独隠居 飲み食べ寝てと それなり多忙」、「今さらに 芸の術など 黒き箱 謎の魅力は ほかにも多し」



●大阪中之島美術館、その2_d0053294_23294257.jpg
昨日の1,2枚目の写真からわかるように、中之島美術館は外にある幅広い階段を上って2階に入る。そこから一直線に延びる長いエスカレーターを利用する。それが4階に着くまでの間に昨日の3枚目である上下に3枚連なる写真を撮った。照明費をけちっているのか、館内部は暗い。3階は収蔵庫で、4,5階が展示室だが、4階を見終わった後、またエスカレーターで5階に上がり、見終えた後は階段で4階に戻り、そこからエスカレーターで2階に着く。今日の写真は4階の展示室脇に置かれるヤノベケンジのロボットだ。足元の奧に立つ女性から作品の高さがわかる。彼の作品にドイツ留学がどう生かされているかだが、日本のアイデンティティを考えると漫画やアニメがあると自覚したのだろう。『鉄人28号』や『鉄腕アトム』で育った筆者にはむしろ既視感があって古臭い感覚だが、美術館の見世物の側面からはこういうあっけらかんとした作品があってよい。ところでこの美術館が出来るまでは作品を市内のたとえば出光のビルのワン・フロアを借りたり、モノレールの南茨木駅構内に大型の彫刻を展示していたりしていたが、後者はまだそのままなのだろうか。かなり大きな作品があって、それら全部を引き上げてこの美術館の3階に収蔵したとすれば、今後小出しに企画展に出すことは以前より便利になる。3階の倉庫は、南海トラフ大地震の津波から大丈夫な高さを計算してのことだ。また同地震を考えれば建物の外観に金をかけることは得策でない。となれば地下に展示室のある国立国際美術館は水没するが、1か所しかない玄関の扉を密閉すればその限りではなく、たぶんそういう設計がなされているだろう。また大阪市立美術館は上町台地にあって津波の影響はない。さて杮落とし展『超コレクション展 99のものがたり』については明日書くとして、今日は思いつくまま。洲之内徹は長年『芸術新潮』に連載された『きまぐれ美術館』に、土方定一からそれなりに文章を褒められながら、一介の画商扱いされたことに気分を害したことを書いた。土方は洲之内より9歳年長だ。同じ美術畑の物書きとしてお互い存在を知り、また出会いがあった。戦後に土方が日本に企画展で紹介した西洋絵画の巨匠は、筆者の世代ではどれほど大きかったかをよく知っている。ブリューゲルやムンク、クレー、ドイツ表現主義の絵画など、筆者の美術に対する興味の本格的な芽生えはほとんど土方の存在があったからと言ってよい。一方洲之内は銀座で画廊を経営しながら芥川賞の候補になるほどの文才によって、松山にいる頃から新聞に美術の随筆を書いた。
●大阪中之島美術館、その2_d0053294_23300029.jpg 洲之内は自分の人生と、その中で出会った主に画家やその作品との交流を書き、土方はそれをおそらく個人のどうでもいい呟きと捉えながらも独特の面白い読み物であると評価した。土方は作品を購入する美術館側にいてヨーロッパ絵画に目が向けていた一方、日本を専門とする洲之内の売画行為を知識人より一段下の商人と見ていたのだろう。洲之内は商売熱心ではなく、狭いアパート暮らしで、そこに1点1000万や2000万円の絵画をほとんど雨漏りに晒し、金儲けにほとんど関心がなかった。それゆえ画商呼ばわりが気に障った。ただし相手は超大物の土方で、その才知にはかなわない。土方も洲之内も身の丈に合った業績を遺して現在の評価がある。以前に書いたことがあるが、筆者がこのブログを始めた思いのひとつは洲之内が亡くなったためだ。とはいえ筆者の関心は美術のみではない。土方も洲之内も日本画には関心をさして示さず、日本における洋画ファンを増やす役割を果たしたが、洲之内は新人の発掘に尽力し、気になる画家を世に出そうとした。一昨日書いたように若くして死んだ画家がいて、洲之内の本がなければ今では誰もそういう画家がいたことを知らない。また彼が見出して現在も知られる画家もいるが、TVに出演してもその作品が広く日本の美術市場で取り引きされることはない。それはさておき、土方が公募展で受賞した若手の作品を美術館が毎年購入するのはどうかと考えたことには、洲之内の活動が影響したかもしれない。いずれにしても新人の才能を発掘し、世間に紹介するのは評価する人つまり文章を書く人の役割だ。そのことを土方も洲之内もよく理解していた。その評価がネット時代になって誰でも発信可能となり、専門家から認めてもらうことなしに収入を得ることも出来る。若手芸術家がより自由を獲得し、古い人間を相手にせず、また相手にされずとも有名になり、創作に困らない収入を得ることが可能となったことは、大いに歓迎すべき変化とひとまず言える。ネットで有名になれば、その後は頻繁にTVに出るか、新聞雑誌に紹介され、企画展を開催してくれる画廊や美術館が現われるだろう。画廊や美術館は基本的には見世物の場であり、後者にしても税金がほとんど使えないのであれば収入は多いほどに歓迎だ。そのためかどうか、大きな美術館で漫画やアニメの展覧会が開催される。そうなれば漫画やアニメが何百年も前の古典となっている美術作品の子孫であるという論評が生まれて来るし、あらゆる時代の作品の見直しも始まり、埋もれていた画家の作品が浮上もする。それはそれでいいのだが、漫画やアニメを中心に過去の美術家の作品を見ると、視野に入って来ないものは多く、それらの作品の価値を軽んじる風潮も生まれるであろうが、まあそれは日本に限ってのことだ。西洋では歴然たる美術の歴史があって、漫画やアニメはその末端のしかも地方国の仇花の扱いだろう。
●大阪中之島美術館、その2_d0053294_23303596.jpg 土方が1963年に企画した『ドイツ表現派展』の図録の表紙は絵画の流派のフローチャートになっている。これがとても興味深い。同展は筆者12歳の時に東京で開催されたため、筆者は関心を持っていたとしても見ることは出来なかったが、そのフローチャートは20歳頃に同種のものを見た。そこに含まれる画家はドイツ表現派に関心のある人ならほとんど作品をよく知っているはずだが、ゴッホやムンク、アンソールといったこれまで日本で何度も大規模展が開催されて来た画家に混じって、たとえば筆者が大いに気になるコリントはごくたまにわずかな作品が将来されるだけで、日本での知名度はかなり低い。土方はそういう画家の認知度を日本で広めたかったと思うが、今なお本格的に作品が紹介されない画家は多い。それを土方の後を継ぐ者がやるべきと思うが、そこには作品を借りて企画展を開催しても客が入らないという悩みがあるだろう。それにあまり知られない外国の画家を紹介するより、漫画やアニメ、あるいはそういう文化に密接する美術家の作品を紹介すべきという意識の変化もある。もはや外国から学ぶものはないという考えで、それはそれで理解出来る。筆者が10代終わり頃に日本の出版社がイタリアのファブリ社と提携して100冊の名画集を発売したが、本国では300冊近く、発売しても売れない考えられた画家は省かれた。日本でのヨーロッパ絵画の紹介は商売上、どうしても部分的に留まる。もちろんその逆はあって、日本でのみ知られ、人気のある画家はたくさんいる。それどころか大半がそうだ。話題転換。美術館は聖なる存在と昨日書いた。そのような気持ちで作品に接するべきとの意味からだ。ところが美術館に作品が収蔵される経緯には生臭い話はつきものだろう。死後の自作の行方を案じて寄贈する画家もいるが、どの美術館も収蔵庫は余裕がない。あっても保存に経費を要し、よほどの有名な美術家でなければ断られる。ただしそこには時の学芸員の考えが左右し、なぜこんな作品がと思うようなほぼ無名の画家の大きな絵画が何点も寄贈され、その後一度だけ展示されることがある。言い換えれば収蔵庫で駄作が長年眠り続けるが、寄贈者の近親者が全部亡くなれば、いつかは本当に処分される。ある美術館がどういう作品を系統立てて購入して行くかは館長や学芸員の思いが受け継いで行かれる必要があるが、時代とともに人気画家は変わり、またその登場によって過去の画家の評価の変化も起こり得る。そういう最先端の美術の流れを土方は念頭に置いて新人の作品を毎年購入するかという考えを抱いたのだろう。生きた美術館とするには100年以上前に死んだ画家の作品ばかり飾っては駄目で、現存の人気作家は欠かせない。ただしそこに難しさがある。日本で知らぬ者がないお笑い芸人が描く油彩画の大作を公的な美術館が購入すべきかとなれば、やはり識者は黙っていない。
●大阪中之島美術館、その2_d0053294_23311204.jpg
 大衆の人気があることと、日本ではほとんど知られないが欧米ではそうではない画家との格差は歴然とある。日本で知られないのは紹介する人がほとんどいないことと、それほど日本はヨーロッパの美術史の上澄みしか受容して来なかったからだ。そのことに土方は力の限界を感じていたのかどうかだが、洲之内は割り切って日本の洋画家、しかも自分の目に叶う人物のみを紹介した。どちらも大事で、土方が日本で紹介した西洋の画家に私淑する日本の画家が洲之内が紹介したと言ってもいいだろう。そう考えると、前述のドイツ表現派展の図録表紙の画家や流派の流れを示した図は、日本の画家にも適用出来る。もちろんどの流れにも属さない画家はいるが、彼らが後の誰かに影響を及ぼせば、そうした流れの図に組み込まれる。その意味で誰の影響も蒙らず、誰にも影響を与えない完全に孤立した画家は評価のしようがなく、現実にはそういう画家が大半と言ってよい。そういう画家こそが本当の自由な芸術家と持て囃す人はいつの時代も多いだろうが、描く決意を固めたことには必ず他者の作品から受けた感動があり、誰の影響も受けないことはあり得ない。となれば美術史は無視出来ない。それを無視することは親や先祖を無視することと同じだが、こう書くと親のない子もよく育つとの反論がある。だがそのよく育つ子には必ず影響を与えた大人がいる。美術史を繙けば一生費やしても咀嚼し切れない画家や作品がぞろぞろと出て来る。それでは自分の作品は描けない。それでどの画家も気になる先人の作品を折に触れて見つめながら、つまりわかったような気になりながら自己に沈潜する。そう考えると前述のドイツ表現派の流れを示す画家や流派の関連を示すフローチャートは19世紀末から20世紀初頭という時間の流れで位置づけたおおよそを示すもので、個々の画家を取り上げるとまた別の図表が出来るはずだ。簡単に言えば、新即物主義のディックスはヒトラー時代に活躍しつつ、画風は中世ドイツからも影響を受けている。ディックスの画風のみでフローチャートが描けるのであって、そのように芸術家は他者と関連し、作品は変遷を把握出来る。それゆえ美術館の学芸員は現在を凝視する一方で美術史を学び続け、購入に携わる場合は美術館としての個性を主張する必要がある。そのことが大阪市においてどのように行なわれて来たかのお披露目が今回の開館記念展で、「99のものがたり」とは何かと筆者は訝ったが、見開きのチラシには「99は未完成であることを意味しており、みなさんの100個目のものがたりで展覧会は完結します」と書かれている。これは99の物語を美術館が用意していることを意味し、その内容を列挙すべきだが、これならまあいいかという作品をランダムに選んだだけだ。それが総花的になるのは当然として、それでも総花とは言えない欠落は目につく。それを個性と呼ぶのだろうが。
●大阪中之島美術館、その2_d0053294_23313330.jpg

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by uuuzen | 2022-02-24 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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