「
銘打たぬ 作に込めるや 無作為の 思い貴し 遠くに届き」、「立春を 十日過ぎたる 陽射しよし 寒さ残りつ 梅はほころび」、「選ぶ道 常に違わず 今があり 庭に咲く梅 望みのとおり」、「梅が咲き 鶯待つや 昼下がり 光は川に 望むことなし」
今日の最初の写真は先週の14日に嵐山の中ノ島公園で撮った。4日に先月末に車折神社で撮った白梅の写真を載せたので、それと対にするために紅梅の写真を撮ろうと思っていた。中ノ島公園では白梅よりも先に紅梅が開花する。2,3枚目は15日のわが家の裏庭だ。紅白とも五分咲きで、白梅のほうが開花は早い。去年も書いたと思うが、この2本の苗木を5,6年前に北野天満宮での天神さんの縁日で買った。翌年にはもうその売り手の70代後半と思しき小柄の女性を見かけなかったので、引退したか、亡くなったかだ。買ってよかった。毎年2月の開花は大いに楽しみで、1年で最も味わい深い時節の空気を目下味わい、生きて来てよかった、生まれてよかったと思う。動物も植物も同じ気持ちだろう。ところで14日はヴァレンタイン・デーで、たまたまだろうが当夜は家内が「風風の湯」で85Mさんの奥さんからチョコレートをもらったのでそのことを思い出した。量はわずかだが、そのうちの1種は胡桃の丸ごとの実を白いチョコレートでくるみ、初めて食べた。商品名は知らず、また見かけたことはない。それに高価であれば筆者は買わない。ヴァレンタイン・デーはコロナ禍が終わらず、金欠の若い女性が増えているはずで、盛り上がっていない気がする。女性から男性に愛の思いを伝えることが時代遅れになって来たからでもあろう。男女平等ではヴァレンタイン・デーは不要ということだ。筆者は60年代半ば、中学1年生の時に初めてヴァレンタインのチョコを同じクラスの女子生徒からもらった。その頃からヴァレンタイン・デーは子どもにもよく知られていた。息子は小学生4,5年生でチョコをもらえたのに、相手の女子に「要らない」と拒否した。それを知って呆れたが、女子も同じ思いであったろう。その女子の恨みが効いているのか、息子はその後は全く女性に縁がなく、独身のままだ。結婚相手が見つかることは親としてはほとんど諦めている。独身女性もいるところには何人でいると聞くが、お互い年齢を重ねると経済事情が大いに気になって結婚をためらいがちになる。それで女性は特に20歳前後にさっさと相手を見つけて結婚するのが一番だ。そのことを「世間をあまりに知らな過ぎてかわいそう」と言う意見があるが、世間を知れば知ったで、昨今目立つように女性らしからぬ事件はしばしばあって、女性を天使の化身と思うことのおめでたさを改めて感じる。その一方で赤ちゃんや小さな子どもを見ると無性にかわいく、筆者の顔はほころぶ。家内も孫を見たいのは山々だが、その可能性は年々減って来ている。
先週16日、「風風の湯」でちょっとした出来事があった。85Mさんは最近遅めにやって来て最終の10時近くまでいることがある。筆者は9時には出る。同温泉は正午の開店時が最も客が多く、男女とも20数人ほど玄関前に並ぶ。筆者は午後7時頃に着くが、その頃は最近5、6人グループの学生が目立つ。85Mさんはそれを避けるために遅くやって来る。16日の午後8時20分頃、学生がみな帰った後、脱衣室は別として、サウナは筆者を含めてふたり、大浴場には85Mさんしかいなかった。サウナから出た後、筆者は85Mさんと話すために大浴場に戻った。すると大きな湯舟で尻を半分湯の中の腰掛の段に載せ、もう半分は湯に浮かせた形で仰向けになっていた。「Mさん、何をしてるんですか」と半ば笑いながら筆者は声をかけた。85Mさんはその湯舟でしばしば平泳ぎをするからで、その時は背泳ぎしたいのかと思った。すると返事はなく、尻の残り半分も湯に沈みかけ、左腕を上げて必死に元の体勢に戻ろうとする。その行為を渋面のまま三度ほど繰り返し、最後は湯が口に入った。危ないと思って腕をつかんで小柄な体を引き上げ、一旦腰掛段に座らせたが、またずるずると尻を滑らせて体全体が湯に浸かる。そこで背後に回って体を抱え、湯舟から引き揚げて洗い場に一脚だけ置いてある大きな椅子に運んで座らせた。ぐったりして15分ほどは動かず、声を発しなかった。脱衣場には帰り支度中の常連のFさん、Mさん、Tさんがいたので3人に一部始終を伝え、早速Tさんはフロントに報告した。元どおりに元気になった85Mさんは「今日はいつもと違って2合飲んで来た」と筆者に言い、呆れた筆者はこう返した。「これからは常連がいる間の時間帯に来てくださいよ。そうすれば溺れても誰かが見つけますから。今日のようなガラ空きでは誰も気づかないままに溺れますよ」85Mさん夫婦が帰宅する際、フロントは心配して声をかけようとし、それに気づいた85Mさんは目で合図して何事もなかったかのように装った。明後日Fさんは「助けられたことをすっかり忘れているから、奥さんに言っておいたほうがええで」と言ったが、恩を着せるようで気が進まない。ともかく筆者の言葉が効いたのか、その後は7時半頃に来るようになった。そして9時20分から半頃には帰宅するので、たぶん同じように溺れてひとりになることはないだろう。死は生とすぐ隣同士にある。16日は筆者がもう数分サウナにいれば、85Mさんは溺れ死んでいた可能性が高い。高齢なのでいつ死んでもおかしくない年齢だが、やはり元気で笑いながら世間話をするのはお互いに楽しい。85Mさんに海で用いる球体の浮きガラスに入った酒を半年前から飲んでもらおうと思っている。それを持参する理由が「浮いていてほしい」ということを、85Mさんはさておき、奧さんは理解しないだろう。
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