「
妻の待つ 家に帰らず 車中泊 夫唱婦随で 唸る発電」、「場当たりで 底力出す 老兵の 力及ばぬ 無慈悲ロボット」、「メタルにも 軽重ありて 不要なし 軽みある身に 有無を言わせず」、「銀色の 紙魚を潰すや 虫干しの 古き本読み CD聴きつ」

3年前か、金森さんからTZADIKレーベルからアルバムを出した日本のミュージシャンがいることを聞いた。TZADIKはニューヨーク在住のジョン・ゾーンが90年代半ばから運営し始めた会社で、現在も新譜を続々と発表している。アルバム・ジャケットのデザインがきわめて優れ、統一した美意識で貫かれているので、筆者は同レーベルのCDを積み重ねると背丈を越えるほど買い集めている。10近いカテゴリーがあり、そのひとつに「NEW JAPAN」がある。そこに含まれる全員が日本で誰もが知るというより、むしろアングラ的人気度だろう。TZADIKレーベルがそもそもそういうミュージシャンのアルバムを中心に発売している。実験的、前衛的と思えばいいが、ユダヤ系のジョン・ゾーンがユダヤ系ミュージシャンの発掘と後押しに精力を注ぎ、また彼自身の音楽性の発展を網羅するためのレーベルとなっている。彼は昔日本に住み、それで「NEW JAPAN」のシリーズを設けたのだろうが、ミュージシャンの選定法はわからない。ところが13日に3番目に出演したMOTOR HUMMINGのギタリストであるHioki Simpei(CDに表記、以下Si)さんと演奏後に話し、その謎が少々わかった。金森さんが言っていたTZADIKからCDを出したのはMOTOR HUMMINGであった。Siさんは欧米のレコード会社に録音を送り、その中でジョン・ゾーンが興味を示したのだ。「NEW JAPAN」の他のミュージシャンも概ねその理由でジョンに知られたのだろう。売り込みが功を奏する。これは他のミュージシャンは大いに真似すべきだ。Siさんにどういうアルバム・ジャケットかと訊くと、ロボットと言う。筆者は即座にそのデザインがわかった。2日後に昔買った記憶が蘇り、積んであるCDの底辺りから出て来た。TZADIKのCDを筆者はほとんど2、3回しか聴かない。それでMOTOR HUMMINGの演奏も忘れていた。発売は1999年で、もう23年前だ。最近のことか、TZADIKの在庫整理のためにSiさんは売れ残っているCDを買い取った。その枚数は知らないが、製造は2000枚で、これは妥当だろう。CDは売れにくくなって来ている。またダウンロード購入が増加し、TZADIKの在庫整理は理解出来る。「NEW JAPAN」の名称がいつまで妥当かだが、23年となると1999年生まれの者が成人しているのでもはや新しくはない。となるとMOTOR HUMMINGも音楽性の進歩ないし変化があってしかるべきだ。ところがSiさんはCDを先の1枚しか出していない。

今回のライヴではギタリストのSiさん以外、CDでのメンバーとはベースとドラムスが変わった。ヴォーカルなしの演奏にもかかわらず、律儀にも全員マスク姿であった。ドラムスは男女いずれかと左隣りにいた畠中さんと語り合ったが、Siさんの奥さんだ。CDを聴くと13日の演奏そのままと言ってよい。今回のライヴは全8曲計30分弱の演奏で、短いようだがどの曲も限界まで削った濃縮具合で、即興部分をほとんど含まない。また長年演奏しているので手慣れは当然としても、練習を絶やせば演奏不可能と思わせる凝ったメロディとリズムが疾走し続け、ギター好きの筆者は最初の曲「ラッキー・パペット」から仰天した。独創性の豊かさは他のどのミュージシャンを引き合いに出していいかわからないが、キャプテン・ビーフハートの『トラウト・マスク・レプリカ』のギターを中心とした曲や、また曲調の明るさを含めばザッパのバンドに在籍したマイク・ケネリーを思い出した。ビーフハートも彼もアメリカ西海岸で暮らし、筆者はSiさんのギターにアメリカ的明るさを聴く気がするが、そのことが後述するように彼が今後の方向性を意図している音楽性への関心を納得させる。Siさんはあまりギタリストに詳しくないと言いながら、フレッド・フリスとロシアのギタリストの名前を挙げた。前者はTZADIKから何枚かアルバムを出しているイギリスの実験的即興的ギタリストで、その熱気ある演奏から筆者はジョン・マクラフリンの影響を少し思うが、そういうジャズ系のミュージシャンの系譜に連なる。話の中でSiさんは確か「マサカー」が好きだと言った。これは「MASSACRE」のはずで、フレッド・フリスにベースのビル・ラズウェル、ドラムスのチャールズ・ヘイワードというトリオで、凄まじく重厚な即興演奏を繰り広げ、その音楽性はMOTOR HUMMINGとはかなり異なる。Siさんの命名だろう、CDの題名「MUSICAL ALUMINUM」はなかなか言い得て妙で、ヘヴィ・メタルのロックとは一線を画した軽金属の音楽だ。言うまでもなく「軽」は日本文化の大きな特長で、俳句や4コマ漫画にその真髄がある。Siさんが繰り広げるギターのメロディはどれもごく短く、それを繰り返しながら数種類用意した別のメロディにつなげて行き、そして大半の曲は2,3分ではないだろうか。そこにジョン・ゾーンの1分未満の曲を大量に収めた97年のCD『ロクス・ソルス』の影響があるのかないのか興味のあるところだが、ジョンがMOTOR HUMMINGの短く凝縮された曲に魅せられたことは何となく『ロクス・ソルス』からわかる。ただし同作の曲は楽譜に作曲されたものではなく、どれもほとんど即興だろう。MOTOR HUMMINGのいくつか用意した繰り返しのメロディをつないで構成する手法は俳句と同じように厳密なもので即興演奏の入り込む余地がない。

CDの最後近くには中間部にソロを含めた比較的長い6、7分の曲がある。今回のライヴの最後でもそれに類する曲が演奏され、聴き手は緊張感の中にリズムに乗ってしばし解放感のようなものを得る。曲名はわからないが、ライヴでは最後から2番目の曲は中間部のリフがB-52sを彷彿とさせるダンサブルなものだ。そうした曲ないし部分の必要性は、俳句風に極限まで煮詰めた短い曲ばかりでは起伏に乏しくなりがちであり、またバンドの実力の幅広さやCD全体の流れを考慮すれば当然だが、伴奏のリフの乗って繰り広げる即興演奏は気楽に馴染む分、つまりわかりやすさから普通のロックを思わせがちで、そのことをSiさんは充分考慮してそういう曲と短い曲との間に曲調の齟齬がないように書いている。ライヴの2曲目「アルミニウム・マン」もCDの順に倣い、続く3曲はCDからランダムから選ばれた。その後はSiさんの語りが聴き取れなかったが、他のミュージシャンの曲のカヴァー演奏で、これは意外であった。彼らのオリジナル曲とは全く違ってブルースっぽいリフが終始奏でられ、演奏時間をいくらでも長くすることは可能だろう。つまりとてもわかりやすく、前述したCD最後の即興を含むオリジナル曲とは全然異なり、音楽に詳しくない客の心をつかみやすい。同曲の演奏後にSiさんは今後の活動は青空の下で楽しめるような同曲のような方向性を目指したいと言った。またそのことは前衛を捨てて大衆迎合を目指す道であるとの自覚を抱いているような笑いながらの発言であったが、長年同じ曲を演奏し続けて来たからには別の趣向の曲をレパートリーにすることは当然でもあろう。そこにはもはや若くないとの自覚が混じるはずだが、緊張感を前提とした曲ではなく、もっと寛いだ気分で演奏しながらそこに新たな創作の方法を探るのは脱皮でもある。それはTZADIKのイメージからの離脱でもあるが、今後のSiさんがCDとは全然異なる曲調に移行するかどうかはわからない。またそう望んでも個性を重んじる立場であれば、CDの曲調を混ぜ込んだ新境地を期待したい。TZADIKからCDを出したとはいえ、知名度は爆発的に広がらず、今なおほぼ四半世紀前のオリジナル曲を同じように演奏し続けるのは、創作の観点から言えば停滞だ。だが、あまりにも斬新で四半世紀経っても時代が追い着いていないと考えることも出来よう。昔の作品ではあるが、聴く人によっては新しい。それは作品の作り手からすれば残酷なことだが、芸術とはそういう缶詰だ。蓋を開ければただちに香りが発散する。あるいは固いままで眠り続ける植物の種子になぞらえてもよい。一方、俗受けするものに芸術性がないかと言えば、そうとは限らない。そしてSiさんはもう少し多くの人に楽しんでもらえそうな音楽を意図しているようだが、アルミニウムの軽みを思えばその方法もありではないか。
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