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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●「田舎でも 住めば都と 言うことに 都がよきの 思い明らか」
骨さを 洗い流して 練り込めば 馬鈴の薯も ポテトチップス」、「田舎にも 民の藝あり 明治まで 今はどこでも 同じもののみ」、「そっと置く 蘇鉄の鉢の 貫禄は 邪魔になりつつ まあ仕方なし」、「ここにいろ ワシが死んでも 元気でな 年輪増やせ 後は任せる」



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今日の写真は順に1月28日、30日、31日。先月だったか、京都市内のお地蔵さんを撮影する若い女性カメラマンがTVで紹介された。本も何冊か出している。その放送で知ったが、市内に地蔵の祠が4000箇所以上あるとのことだ。おそらくはるかに多くの面積が必要な神社より数は多いだろう。京都では各町内に地蔵盆の風習があるので、町の数だけはあると見ていいが、一町内に複数存在する場合もあって、4000はおおげさではない。その女性は扉の閉まった祠ばかり撮るのではなしに、地蔵盆における大人と子どものやり取りの様子やまた描き直されるお地蔵さんの石像の顔の変化を追っているので、ライフワークとしてもごく少数の地蔵尊を対象にするに留まる。筆者も昔は地蔵の祠やその内部の石像に関心を持ったことがあってこのブログに写真を載せたが、至るところに地蔵尊の祠はあって、どれも外見は大差がない場合がほとんどで、深く興味を持たなかった。富士正晴の本に『日本の地蔵』があり、これは写真をほとんど載せずに地蔵尊がなぜ京都に多いかを歴史を遡って考察する。富士は京都大学で学んでいた頃に京都の地蔵尊の多さに関心を抱いたのかもしれない。筆者の知る限り、富士は神社に関心を寄せた形跡はなく、それは国家神道に嫌悪感を抱いていたからかもしれない。忌まわしい戦争に駆り立てられた富士にとって、神社は権力者の象徴として映っていたのではないか。その点、街角にひっそりと、また無数と言ってよいほどにあるお地蔵さんは庶民的だ。それに祀られる石像も自然石を使う場合がほとんどで、その目鼻は子どもが描くのでかわいい。富士がその造形に親しみを覚えたとすれば充分納得が行く。神社にはお地蔵さんの石像に類するものが通常はなく、神宝(かんだから)と呼んで鏡や玉、刀などの工芸品を祀る。それらのきらびやかな様子に富士は興味がなかったであろう。上田秋成の『雨月物語』の「蛇性の婬」では神宝として刀が登場し、それを見た和歌山新宮辺りの漁師はびっくりする。息子が京の偉い人が熊野三山に奉納するようなめったに見られない刀を所有し、父はそれをどこかで買ったのかと問い詰める。その言葉は現実的で面白い。田舎の人でも輝かしく飾り立てられた神刀は都の金工職人が製造し、しかるべき値段でしかるべき人に売られている現実を知っているからだ。工芸は漁をする自分たちとは別世界だが、たとえばめったに得られない大鯛が釣られると、舟で大坂に運ばれ、淀川を遡上して都の天皇に召されることがあったはずで、自然の物も工芸品もお金を介在して流通する現実を田舎の人も理解していた。
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 「蛇性の婬」に登場する漁で生計を立てる家族にとって、読書ばかりしている豊雄は道楽者で、男とは呼べない情けなさだ。これが娘であればどうか。昨日書いた『椿姫』のマルグリットは田舎から出て来て洗練され、高級娼婦になった。男にはその道はない。それはさておき、マルグリットが娼婦をやめて都会の賢い若者アルマンと結婚し、田舎で暮らした場合、田舎ではどういう扱いを受けるか。映画『椿姫』では初期のゴッホが描くような農婦がドアをノックせずにマルグリットが眠る部屋に入って来る場面がある。それをマルグリットの家政婦がたしなめると、農婦は料理を運ぶ皿で両手が塞がっていて、足でドアを蹴るしかなかったと口答えする。ゴッホは『椿姫』の小説を読まなかったにしろ、内容は知っていたはずだが、マルグリットのような美女を描こうとはせず、オランダ時代は貧しい農民をもっぱら描いた。マルグリットがアルマンと結婚して田舎に住んでも、農民にはならない。アルマンが農夫になることは無理で、またその必要もない。アルマンの妻としてマルグリットは元の農民ではない暮らしが可能となる。豊雄は自分で稼ぐ能力がなく、それで真女児を見棄て、親の意見にしたがって結婚したが、第一次産業に携わるしかない田舎では読書で夢想するという性格の男は脱落者で、都のように洗練された文化が育つはずがないという秋成の思いが「蛇性の婬」に込められていると言ってもよい。ただし、逆に見ると都の雅な文化は豊雄のように非生産的で、男性が女性化していると言える。神宝を製造する工芸職人は緻密な手作業に携わり、それはそれで漁師とは違う意味の重労働だが、手先が鋭敏であることはやはり女性的と言ってよい。柳宗悦が京都の伝統的な工芸をほとんど評価せず、田舎の人々が使う道具を民藝と称して絶賛したのは、「蛇性の婬」の豊雄を否定する立場にあったと言える。現在の日本でも田舎と東京との差は濃厚にあるが、TVやネットで情報が一瞬で世界の隅々に伝わり、流行の享受において都会と田舎の差はなくなった。後はどれだけ個人がそれを受け入れるかどうかだが、田舎は人の目が都会より厳しいだろう。それで相変らず洗練された文化は田舎では育ちにくいが、豊雄のような人物が許容される時代にはなっているだろう。ネットを使えば金儲けが出来るかもしれないからだ。一方で柳が称えた民藝ももはやほとんど田舎にはなく、また機械での量産文化のために工芸職人も生き残りが厳しくなって来ている。そうしたことを10代、20代の一部の女性は知っていて、自分の性を高く売れる間に売ろうとする。それを「獣性の婬」と呼べば獣に悪いが、獣は本能で動いているので、「パパ活」に勤しむ若い女性はそれを自分を肯定する理由にする。「本能の赴くまま生きることのどこが悪い」はマルグリットも思ったことだ。ところが本能の中からアルマンを愛する心が湧いた。
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by uuuzen | 2022-02-12 23:59 | ●新・嵐山だより
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