「
蒔く種を にぎる拳の ぐーに勝つ ぱーは広がり 実りは多し」、「掘って埋め 芽が出て愛でて 栗鼠遊ぶ 生きものはみな 持ちつ持たれつ」、「薬にも リスクあること 知ることで 救いありあり くすりと笑い」、「近づくな 工事と事故の 現場には 人も同じで 危うきを去れ」

今日の写真は
「その33」に続いて先月18日の撮影。止水壁の設置は去年終わっているので、そのほかにどういう工事が必要なのかよくわからないが、ともかく接近出来る限り近寄って写真を撮った。2枚目の上の写真からわかるように、渡月橋北詰めから少し西に入ったところに警備員がひとり立っているほかはいないので、なるべくその警備員の目を盗み、あるいは届かないところまで歩き、さらに渡月橋方面から車がやって来ないのを見計らって撮った。川に近い歩道は封鎖中で、車道に立たねば間近で工事の様子が観察出来ない。コロナ禍でタクシーが入って来ることは少ないが、皆無ではない。2枚目の下の写真は工事のフェンスに相変らず工事の概要などを示す写真が掲げられている。観光客のために工事に対する理解を求め、また工事現場の殺風景さを解消するためだ。ところが説明文を読むために近づくと、通行する車の邪魔になる。写真からわかるように見通しのよい道路で、人身事故はまずないが、観光客が多い時はその心配をしておくのがよい。2枚目下の写真は左に木製の灯籠を写し込んだ。真昼であるのに内部が点灯していたからだ。また上下の写真ともトリミングする際、背後の山の稜線を途切れさせ、空をわずかに覗かせた。3枚目の写真は上下ともさらに西で、上は下流、下は上流を向いた。新たにコンクリートが敷かれているのは歩道で、前年に設置された可動式止水壁はそのままのようだ。5,6メートルおきに四角い穴が見えるのはガードレール設置のためか。植樹であれば桜を植えればいいが、たぶんそれはない。植樹ならば円形に穴を開ける。花の嵐山であるべきが、最も嵐山がよく見える川岸に桜を新たに1本も植えないのは、桜の根が護岸を緩めるからと聞いたことがある。写真の四角い穴に植えるとして、岸辺を劣化させるだろうか。それはさておき、写真では去年と同じく止水壁の向こう側、すなわち桂川を覆った上に重機が数台停められる。工事期間中、車道を塞がないためとはいえ、もっと上流に空き地があるはずではないか。そう思いつつ、上流の現場はさほど変化がなさそうなので踵を返した。重機の停まっている箇所は、最初の写真からわかると思うが、堰を利用した発電のために流れが本流から分けられている支流の堰より上流部だ。そこは発電の仕組みを邪魔しない。それで工事後は覆ったままにして人が立ち入ることが出来るようにするのか、それともちょっとした空き地を設けて何かの時に利用するのかもしれない。たとえば花灯路のようなライトアップ時に照明器具を置くことだ。

花灯路は去年が最後になったが、その後も嵐山は夜間に部分的にぼんやり明るい。それがどこからの灯りであるかは確認していない。たぶん料亭やホテルのどこかだが、個人の費用で山を照らすことに京都市は文句を言わないだろう。薄暗く照らしたところで嵐山の自然に悪影響はないと言いたいところだが、実際のところはわからない。夜間に活動する動物は真っ暗なほうが獲物を逃がしくく、活動しやすいのではないか。そのぼんやりと部分的に大きく山の上から裾まで照らされている様子をスーパーからの帰りに眺めるたびに、筆者は対岸に行って眩しいかどうかを確認したくなるが、もちろん誰もいない右岸を歩く気はない。またひょっとすれば若いカップルがいちゃつくために右岸にいるかもしれないが、いるとすればかなり勇気がある。たまにもっと上流の高級ホテルからの車が右岸の細い道をヘッドライトを点けながらゆっくりと走って来るのが渡月橋をわたっている時に見える。その運転手は右岸に人がいると運転が危なくて仕方がない。左岸に天龍寺があり、またそれをいわば防波堤のように護る形で高級料亭やホテル、美術館が建ち並び、それらの建物からの嵐山の眺望は客寄せに大きな効果を上げている。もっともその眺めは現在工事中の道路からでも得られるので、若いカップルは美術館のすぐ隣りの小さなテイクアウトのコーヒー店か、もっと渡月橋寄りの蕎麦屋のよしむらに入る。テイクアウトの同店の土地は福田美術館の南東角にあってとても狭く、なぜ同館が買わなかったのか大いに不思議だ。昔は大きな提灯が角にぶら下がるうどん屋で、また当時周辺は緑が多く、ベンチもいくつか歩道際にあったので同店は風景に馴染んでいた。そこに美術館が建ち、カップ入りのコーヒーを売るようになったのは、それなりに景観を考えてのことで、また若い観光客には便利だ。案外福田美術館の所有者が経営しているかもしれないが、以前のうどん屋が商売を替えたのであれば、せっかくの土地を絶対に手放さない覚悟だろう。昔聞いたことがあるが、天龍寺前の商店街は半世紀に1軒ほども売り家がないそうだ。とはいえそれもここ2,30年は変わって来ただろう。話を戻して、福田美術館に隣接する小さなコーヒー店は、せっかくの左岸の落ち着いた高級感を壊しているように見える。四条河原町のような繁華街にふさわしい店をなぜそこに設ける必要があるのだろう。それは前述のようにせっかくの土地を最大限に利用するためだ。またその思惑は美術館やホテルの中にあるカフェの何十倍もの人が利用していることから見事に当たっている。渡月橋からJR嵯峨嵐山駅に至るまでの道も次々と今なお新しい若者向きの店が出来ている。東京の資本がかなり流入し、またそういう店は儲けるだけ儲ければさっさと撤退すると聞く。あたりまえの話で、芸能界と同じく、人気が廃れるのは早い。

スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示する 